
私は、自分の場面緘黙症は本当に治さなければならないのだろうかと悩んだことが何度もあります。
私の考えはこうでした。別に話せないことが悪いというわけではない。おしゃべりな人、無口な人など、世の中いろんな人がいていい。こんな私だから好いてくれている人もたくさんいる。内気な性格を変えるのは、自分らしさの放棄につながる。
話せなくても、周囲の理解があるので学校生活に特に不満はない。将来は不安だが、もしかしたら無口でシャイなままでも、社会に適応し、自己実現をする術があるかもしれない。
※ 場面緘黙症は、無口なことには違いありませんが、ただの無口とは違います。念のため。
しかし、大学進学で、就職先に営業職が多い経済学部に入ったこともあって、無口な自分は変えなければならないという考えに結局落ち着きました。
場面緘黙症を治すも治さないも個人の自由であり、本人の意思が尊重されるべきだと思います。 本人がまだ子どもの場合は、保護者が代わって意思決定を行うことになります。 現代の医療は、患者の自己決定権を尊重する流れです。
このため、保護者以外の第三者による、場面緘黙症は治療されるべきであるという「べき」論の扱いには、 気をつけた方がよいと思います。 個人のレベルでそう考えるのは結構ですが、そうした考えを保護者以外の第三者が強制するのは疑問を感じます。
場面緘黙症を治すのを悪いというつもりは、もちろんありません。 ただ、それは保護者や本人の意思に基づくべきで、 保護者や本人の意思次第では、リスクを覚悟した上で場面緘黙症を治さない自由や、治療を拒否する自由も認められてよいのではないかと思います。 冒頭でも書きましたが、例えば、 おしゃべりな人、無口な人など、世の中いろんな人がいていいという考え方や、 無口でシャイなままでも社会に適応し自己実現をする術を探すという生き方も 尊重されてもよいのではないかと思うのです。
本人のためという名目で、専門家などの第三者が、 保護者や本人の同意もなく治療を強制するのは、古いパターナリズムです。 そうしたお節介が認められるのは、子どもの保護者だけです。
専門家ができる範囲は、例えば、場面緘黙症は早めの介入が効果的であるとか、 放置すると長期化する可能性もあるとか、こういう治療法が科学的に根拠があるとか、 そういう情報提供と治療までで、治療を行うかどうかの決定は、保護者や本人の意思にゆだねられるべきです。
※ 原文を大幅に書き直しました。 いろいろ書きましたが、保護者の方の場合、私は子どもに場面緘黙症を治療させるのが無難だろうと考えています。 もちろんこれは強制ではありません。
01/30/2007公開、01/26/2008編集