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あらすじ(場面緘黙症になる~小学校4年の頃)

 引越し、転校

小学4年の始業式からほんの1週間ほど経った頃、母は引越しをすると私に伝えました。

母の話によると、詳細は以下の通りでした。

この引越しは大人の話し合いによるもので、母がこの話を私に告げたときには、何もかもが既に決まってしまっていたようでした。皮肉なことに、この引越しで最も人生に大きな影響を受けたのは、話し合いに参加できなかった子どもの私でした。この引越しさえなければ、私が場面緘黙症になることはなかったのです。

 場面緘黙症?になる

転校先の学校では、私は以前の学校のように話すことができませんでした。

そして、このときをきっかけに、学校で緘黙してしまうというスタイルが何ヶ月、いや何年も続くことになってしまいました。私の場面緘黙人生の始まりです。

なぜ話せなくなったのでしょうか。転校間もない頃のかすかな記憶をひもといてみると、

これらによってひどく萎縮してしまい、話すことができなくなったのではないかと思います。

 いじめ

転校先の学校では、いじめがひどく、クラス中の子どもたちからいじめを受けていました。 私はひとり耐えながら、通い続けていました。

「いじめられる側にも原因がある」という言い方があります。私の場合、その原因は何だったのでしょうか。大人しくて弱そうな子どもだったから…転校生だったから…思い当たるのは、このあたりです。

私はいじめのことについて、先生から何度も叱り付けられたのですが、 それはおそらく私がいじめられるのは私自身が弱いからだと先生は考えたからでしょう。 しかし、今にして思えば、私はこのとき場面緘黙症だった疑いがあります。 大人しくて弱そうだったのも仕方がなかったような気もします。

私は母にもいじめについて何度も相談したことがあるのですが、よく返ってくる答えが「やられたらやりかえせ」でした。しかし、この学校では、私は場面緘黙症で思うように話せず、自由に動くことすらままならなかったのです。おまけに、私をいじめていたのは1人や2人の子どもではなく、クラス中の子どもたちです。緘黙・緘動少年が、クラス中の児童を相手に1人で立ち向かうのは簡単なことではありませんでした。

 2度目の転校

私のちょうど10歳の誕生日に、入院していた父が亡くなりました。父の死後、母と親戚の間で、今後どうするかについて話し合いがありました。

こうして、私は関西には戻らないことになりました。

私はこのことについては、複雑な思いでした。

私は関西にいた頃は、普通に学校でおしゃべりができたので、また関西に戻って普通の子どもに戻りたいという思いがありました。その一方、もし関西に戻っても、いまのように学校で話せないままだとしたら、どうしようかとも思っていました。昔のクラスメイトに、変わり果てた自分の姿を見られるのは、たまらなく嫌です。

引越し先は、現在通っている小学校の隣の校区内になりました。もちろん、転校することになります。

 2度目の転校で緘黙症状が悪化

小学4年の3学期。父の死をきっかけにした2度目の転校でした。転校先の学校では、勇気を出して声を出そうと心に決めていました。

しかし、皮肉なことに、新しい学校に転校して、緘黙症状はかえって悪化してしまいました。これで、私の場面緘黙症人生は決定的になりました。

私が新しく入ることになったクラス・4年1組は、前の学校のクラスに比べるとおっとりした雰囲気でした。私をいじめる子も少なく、多くのクラスメイトは私に対して友好的でした。

私はこれまで、自分が学校で萎縮して話せないのは、クラスのみんなが自分をいじめるからだと考えていました。しかし、今回のクラスではそれほどいじめがひどくなかったのに、以前よりももっと萎縮して話せなくなっていたのです。

今までは、学校で話せないことよりも、いじめに悩んでいました。しかし、この転校を機に、むしろ学校で話せないことそのものを真剣に悩むようになりました。

(続く)

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あらすじ(場面緘黙症が最もひどかった頃~小学校5・6年の頃)

 

 

02/16/2008公開


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