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あらすじ(場面緘黙症が最もひどかった頃~小学校5・6年の頃)

場面緘黙?の症状が私にとって最もひどかったのは、小学5~6年の頃でした。

話せない、笑えない、著しく表情に乏しい、動きが鈍く一見ぼーっとしているように見える、いつも憂鬱で自己評価が低く、「自分は生きている値打ちがない人間」と信じている…しかし、心の中で劣等感がマグマのようにたまっていて、これが大変なエネルギーになっていました。

緘黙が最もひどかった時期とはいえ、首の上下運動で意志の疎通はできました。発語も、本読みなど、求められれば全くできないことはありませんでした。ただ、声はひどく小さくて、「聞こえない」などと言われることもありました(私を気遣って、露骨にそう言った人は少なかったのですが)。家庭では緘黙することはありませんでした。

 理解ある先生、クラスメイト

担任のY先生は、学校で黙り込んでいる私に気づき、特別な配慮をしてくださいました。例えば、私に積極的に声を掛けられたり、私を褒められたり、私が孤立しないように意識的に私のことをクラスで話題にされたりしていました。話ができない私を責めたり、発声練習をさせたりするようなことは、ありませんでした。

こうした先生の配慮があってか、私はこのクラスでいじめられることはありませんでした。これまで、何度もクラスや学校が変わりましたが、いじめを受けなかったのはこれが初めてでした。

クラスメイトも、概ね私に対して親切でした。「場面緘黙症」という言葉を知らなくても、世の中にはこういう話ができない子がいるんだという理解が、クラスの中にあったように思います。

 友達

新しいクラスでは、友達が2人できました。S君、K君です。私も加えて、仲良し3人組でした。 私にどうして友達ができたのか、不思議です。 おそらく受身だった私のことですから、「友達になろう」という誘いに断りきれなかったのでしょう。

新しくできた友達K君とS君とは仲良く遊びました。 特にK君には、お母様とともに色々と親切にしてくれました。 もしかすると、私があまりに引っ込み思案な子どもだったので、 何か世話を焼かずにはいられなかったのかもしれません。

 学校に行くと、真面目になった

私は場面緘黙症(たぶん)の症状が悪化したのと同じ頃、急に「真面目」と言われるようになりました。学校だけです。家では普通の少年だったのですが、学校に行くと、急に真面目になってしまうのでした。 これが、私の「真面目」人生の始まりでした。 その後も、中学、高校、大学と「こんな真面目な人、見たことない」「今時こんな子珍しい」と言われ続けることになります。

みんなが自分のことを真面目な人間だと思っている、特に担任のY先生などは、富重は真面目だと褒めてくださる、だから自分は真面目な人間のように振舞わなければならないんだ、こういう強迫観念が非常に強くありました。こうして、学校は素の自分を出せる場では、なくなりました。学校ではますます緊張することになってしまいました。これには私が悪い部分もあるのですが。

 親は

父が亡くなった後、一家の生活を支えるため、母は仕事に出ていました。 母は専業主婦だった頃に比べて、以前ほど私の学校のことに関心を持たないようになりました。 もう小学校高学年にまでなったから、という考えもあったかもしれませんが、おそらく仕事と家庭の両立が難しく、息子の学校のことまで頭が回らなくなったのでしょう。

 場面緘黙症を治すためにどんな努力をしてきたか?

この頃の私は、学校で話せないことだけでなく、不安が強いこと、極端に緊張してしまうことを問題視していました。しかし、「場面緘黙症」のことは知らず(親も、もしかすると先生も知らず)、自分が学校で話せないのは性格の問題だと考えていました。専門家には、もちろん相談しませんでした。

そして、私がこんな性格なのは「根性」が足りないからではないかとも考えました(子どもなりにそう考えました)。そのため、体育の授業は、苦手で嫌いだったにもかかわらず、一生懸命やっていました。しかし、こんなことで、場面緘黙症が治るはずがありません。

思い切って声を出してみる練習をしてみようかと思い、試みたこともあります。しかし、これはうまくいきませんでした。そもそも、声を出そうにも出せないのが場面緘黙症です。この方法がとれるようになったのは、私の緘黙症状がだいぶ改善してから、具体的には大学に入ってからです。

今にして思えば、当時の私は、緘黙を治そうとする努力は足りなかったと思います。ただ、緘黙症状があると、自分から積極的に行動する、環境に働きかけるのは、とても難しいです。これは、緘黙が治った今だからこそ分かります。また、学校で話せない症状は、そもそも治そうと努力して治せる類のものかということも、当時の私には分かりませんでした。そして、果たして今の自分を変えるべきなのか、それとも今の自分を大事にしてよいのかという迷いもありました(以上、努力不足の弁解でした)。

理解ある先生やクラスメイトに恵まれたにもかかわらず、 私の場面緘黙症は、卒業までに良くなることはついにありませんでした。

(続く)

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02/23/2008公開


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