
中学校に入った私は、緘黙を治すことよりも、勉強により強い関心を持つようになりました。 この中学校は勉強重視の校風でしたし、私の地元では高校の学歴が重視されます。 さらには、私の両親はともに進学校の出身でした。 加えて私は、試験で少しでも悪い点数を1回でもとってしまうと、 自分の将来はなくなってしまうのではないかという強迫観念のようなものを持っていました。
中学校では、学級担任の先生の他にも、教科担任の先生、部活顧問の先生と、多くの先生と接することになりました。ですが、どの先生も、学校で緘黙する私のことを責めたり、発話を強要したりすることはありませんでした。私は大人しくて真面目でお利口な生徒と見られていたようで、褒められることこそあれ、叱られることはありませんでした。もっとも、先生方が場面緘黙症をご存知だったかどうかは分かりません。クラス担任の先生は、大人しい私のことをクラスで積極的に話題にしてくださいました。半ばひいきのようにも感じたのですが、私がクラスで孤立しないようにという配慮だったのかもしれません。
私はクラスメイトからも、大人しくて真面目でお利口な生徒と見られていたようでした。男子の中心的生徒たちや、一部の女子生徒からは「富重ちゃん」とかわいがられ、いじめを受けることはありませんでした。 クラスのみんなは、きっと場面緘黙症のことは知らなかっただろうと思うのですが、学校で話さない私のことを理解し、親切に接してくれました。クラスには小学校5~6年の頃からの友達・K君とS君がいて(おそらく学校の特別な配慮で、再び同じクラスになったのだろうと思います)、相変わらず仲良くしていましたが、新しい友達はできませんでした。
思春期とあって、私はある女子のクラスメイトに恋心を抱きました。 私が彼女の何に一番惹かれたのかというと、その快活でおしゃべりな人柄でした。 場面緘黙症の私は、自分のことが大嫌いでした。極端に無口で引っ込み思案な自分が、です。 それだけに、自分とは正反対の彼女に強く惹かれたのでした。 しかし、彼女との関係は何も進展せず、結局最後まで片思いのままでした。 私に告白などできるはずがありませんでした。 緘黙だった頃の私は人を怖いと感じていたのですが、意中の異性でさえ、その恐怖の対象だったのだろうと思います。また、異性と付き合うことへの期待よりも、不安や恐怖の方を私はずっと強く感じていました。場面緘黙症の自分に自信も持てませんでした。
中2の新しいクラスにいたのは知らない人ばかりで、 私の数少ない友達であったK君やS君とも別々のクラスになってしまいました。 そして、私はこのクラスでは友達を作りませんでした。この中学2年への進級を境に、私の長い友達ゼロ人生が始まりました。 しかし、私は友達がいないことを気に病むことはありませんでした。
クラスには、私をいじめる、やんちゃなクラスメイトが一人いましたが、 それ以外のクラスメイトは、私に好意的か、もしくは無関心か、どちらかでした。 クラスでは誰も「緘黙」なんて知らなかったのでしょうが、多くは私のことを理解してくれていました。 クラスメイトは、相変わらず私のことを、真面目で勉強のできる生徒と見ていました。
特に、クラスの中心グループの女子は、私のことを「カワイイ」と言い(私は男です)、 私を異常にかわいがっていました。 私は彼女たちの真意が分からず、彼女たちの言動に戸惑うことも多かったのですが、素直に喜んでいました。 加えて、ちょっとしたショックも感じていました。 当時の私は、自分は価値がない人間だとか、とても暗いことを考える少年でした。 そんな中、彼女たちと出会い、「自分と一緒にいて、楽しいと思う人が世の中にいるんだ」と気づいたことは、 私の自尊心に影響を与えました。
担任の先生は体育が担当の怖い男性教諭でしたが、私との仲は良好でした。 私は場面緘黙症とあって、学校ではとても大人しく、悪さ一つしない(できない)生徒でした。 加えて、真面目で勉強ができるというイメージで通っていたので(誤解もいいところですが)、 先生には優等生として認識されるようになりました。 私は学校で緘黙していましたが、そのことについて先生が責めることもありませんでした。 ただし、先生が場面緘黙症をご存知だったかどうかは定かではありません。
このような学校生活を送っていたのですが、私の緘黙症状は劇的に良くなるということはなく、 逆に悪くなるということもありませんでした。 ただ、4月の始業式が始まろうというときに、私はおなかが痛いのが我慢できなくて、 先生に申し出てトイレに行ったことがあります。 相当勇気を振り絞ったのでしょうが、それだけのことができるほど、この頃には緘黙症状は改善していたのだろうと思います。
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04/11/2009公開