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題名: 私の場合
投稿日時: 2008-08-14 05:22:43
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はじめまして。
ここには当事者の方が大勢いらっしゃるようなので、思い切って書き込みます。
このことに触れるのはこれがはじめてです。

私は幼稚園入園から高校卒業あたりまで場面緘黙の状態にありました。
中学生の頃、保健体育の先生から「場面緘黙」という言葉が母に伝えられました。
家庭で異常に気づかなかったのかと責められ、精神科で受診させることを勧められたそうです。
それを聞いて激怒した父に、「家族の恥」「お前のせいでみんなが迷惑」などとさんざん叱責されました。
「入院することになれば一般の病気とは違い、誰にも言えない。見舞いに来るものは誰もいない。牢獄のような病室に閉じ込められ、ずっと過ごすことになるんだぞ。」
この言葉に私は絶望しました。
精神の病気と診断されたら、病的でない部分を含め全人格を否定され、隔離されるという恐怖から、それ以降、自分の異常な部分をひた隠しにしてきました。
誰にも言えませんでした。

インターネットの検索でここに来て、同じ症状を経験した方が大勢いらっしゃることを知り、私も自分のことを少し文章にしてみました。
私のケースが、理由がわからなくて悩んでいる方のお役に立つかもしれません。
緘黙症経験者の方、現在緘黙症の方、よろしければ「私の場合」を覗きに来てください。

★★★都合により、ブログへのアドレスは削除しました。今まで訪問してくださった皆様、ありがとうございました。★★★


題名: ドーナツグラフのようになっていませんか?
投稿日時: 2008-08-15 16:36:52
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 10
場面緘黙の「場面」ですが、私の場合は、学校をはじめとして家族に接点のある場所や人がだめでした。
ドーナツにたとえると、中心の空気(穴)のところが家族だとすると、その周りの食べられるところがだめで、その外側の空気の部分に出ると大丈夫になってしまうんです。
みなさんはどうでしょうか。

読んでもらうことを前提に書き込みをしたはずですが、誰にどのような受け取り方をして読まれているか全くわからないので不安です。
ここを見た方は、投票をプツッと押していただけませんか?
お願いします。


題名: ブログ、読んでいます。
投稿日時: 2008-09-10 14:07:05
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kさん、こんにちは。はじめまして。milukuといいます。

ログインさせていただいて、ブログ読ませて頂いています。

これからも書いてください。お読みして、kさんが家族に関する場所や人がだめだったというのは当然なのでは?と思いました。。
自分はかんもくだった時期は短いのですが、かんもくの出現した場所は学校が中心で、家族とはよく話せました。。

よけいな感想かもしれませんが、ブログの中に、父が食べ終わると問答無用で家族は席を立たないといけない、食べかけであっても。。というくだり。私には信じられませんでした。

もしかして、私が過保護すぎるからかもしれないけど、子どもであっても人格があるんです。私なら、どうしても急いでいて、子どもがまだおなかがすいているのに席を立たないといけない場合があったら、それを子どもに謝ると思います。。

また、どうしても急いでいたから、途中で帰ってしまっておなかがすいていると訴えられたら、なにかほかのものを与えると思う。。子どもがふざけていたりして当然食べられる時間内にたべなかった場合は、別ですが。。


私は、「アダルトチャイルド」ということにも関心があり、それ専門のお医者さんに自主的に行ってみて、自分なりに勉強していた時期があります。。いろんな書籍を取り寄せて読んだりもしました。

私にとっては役に立ちましたが、kさんにはお役に立つのかわからないけど、一応書きますね!私が読んでよかった本です。

ご迷惑だったらスルーしてくださいね~。ずうずうしくてすみません。

「アダルトチャイルドが自分と向き合う本」アスク・ヒューマン・ケア研修相談センター編
発行所 ㈱アスク・ヒューマン・ケア



「私たちはずっと、行き先のわからないバスに乗せられていました。
しじゅう激しく揺れる、不安なバスでした。

今は、私たち自身がハンドルを握っています。
どの道を行きますか?

(中略)
霧が晴れて、こんなにたくさん道が見えます。
網み目模様のように、無限に枝分かれしています。どの瞬間も、私たちが選び取っていくもの。
私たちがつくっていく人生です。

どの道を行きますか?
地図はありません。
私たちの心の声にしたがって、選べばいい。
いまの私たちには、それができます。

「アダルト・チャイルドが自分と向き合う本」の中より抜粋しました。


kさんが考えられないような、お父さんお母さんの仕打ち?のなか自分を見失わず、主張してこられたこと、私は、立派だと思います。。

アダルトチャイルドとは、家庭の環境に自分をあわせようとして、本当の自分の心の声が聞こえない状態?が普通になってしまい、

自分というものがなく、周囲や、今自分にとって大切な人に依存したり、あわせてしまう傾向ではないかなと、今、理解していますが、kさんはご自分を見失ってはおられないように見えますので、こんな本は必要が無いかもしれないですね。。ごめんなさい。余計なことでしたら。。

かんもくとは、少し離れてしまいましたがすみません。

また、ここにコメントしてよかったかどうか迷ってますが、ブログの中にコメントしたほうがよかったでしょうか。すみませんでした。


題名: milukuさん、ありがとうございます
投稿日時: 2008-09-11 00:49:31
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 10
milukuさん、はじめまして。返信ありがとうございます。
また、パスワードをかけた閉鎖的なブログにわざわざ来てくださって、ありがとうございます。
一般(?)の方に読まれてしまうのは抵抗があるんです。
今まで忘れようとしてきたことを文章にするのは結構きついのであまり進みませんが、少しずつやっていこうと思います。

私は外からは「過保護」「甘やかされている」というふうに見られていました。今までブログに書き出したところには出ていませんが、それも当たっていました。
つまり、その時の気分次第に扱われ、統一性がなく育てられました。
外から見えているのは一面だけで、家庭内に存在する奇妙な部分、理不尽な部分が統一できなくて、心の中はぐちゃぐちゃでした。

最初は「緘黙」に関する部分のみを書くつもりでしたが、そこだけをうまく取り出すことはできませんでした。
これからもブログは緘黙を離れ、封じ込めてきた暗い、陰気な部分を吐き出していくことになりそうです。
それでもよろしければ、また時々覗いてください。

コメントはどちらにくださっても、有り難く思います。


題名: こんにちは。投票してみました
投稿日時: 2013-04-13 21:44:35
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過去スレをたどっていたら、kさんのスレを見つけたので、なんとなく投票してみました。

「場面」を厳密に区分けするのが難しいので「う~ん」と悩んでしばらく押せなかったものの、とりあえず「そうなる」を選んでみました。(真ん中の空白がOK部分なのかNG部分なのか理解できていなかったのもあって悩んでました)


Quote:

>場面緘黙の「場面」ですが、私の場合は、学校をはじめとして家族に接点のある場所や人がだめでした。



これを見ると自分も同じなのかな~という気がしたので、「そうなる」にしてみました。^^
自分は、食卓で声を発することもまずないしなぁ~とか思って。
(あ、それだとドーナツにはならないのか・・・)

自分の場合、父と祖母を中心にSM・SADで、親戚関係はSAD的、家族内ではそれなりに緊張、というかんじです。
状況によっては外の人間のほうが不安が少なくて済みます。
(ただし、家族が絡むと不安増大・・・><)
まあ、もとが外でのSMなので、外では勿論かなり緊張しますけど。
家庭内と家庭外では不安の質が違うように思えます。
(外ではSAD以上にBDD的要素の方が強いと思う・・・><;
 でもBDD的な話は人にはしません。興味がないようによそおってます)

いつも仮面を被って生きているような気がする。
しかもその仮面は、自分が緘黙によって作り上げてしまった幻想の仮面。
しかし、緘黙的ないい人像をやめるのも、それはそれでアブナかったりする・・・

BPDやAC関連のブログなどを読んでいるといつも思ってしまうのですが、
緘黙児の悩ましいところは、『逃げられない』とこなんですよね~(;´∀`)
BPDさんやACさんや家出少女、暴走族やら援交少女やら・・・、
みなさん家族から逃げるじゃないですか。

そうしていびつでありながらも「自由」を手にするわけです
(決してそれがいいとは言わないけれども)。

一方の緘黙児は、活動が社交不安によって制限されてしまって、
肝心の『逃げる』ということができないんですよね~

したがって、「緘黙空間」という檻の中に閉じ込められてしまって、ひたすら孤立してしまう。
そんな感じもします。。。

自分の仮面をはがし、自由を手にするためには「逃げろ」
そのためには社交不安なんて「はねのけてしまえ」
・・・緘黙児が突きつけられるジレンマ。

そして、緘黙を克服した暁には、幸福な世界が欲しいとも思える。
緘黙によってボコボコに空いた無数の穴を埋めたいとも思う。
けれど、それが次なる悲劇を生むことがある・・・
そして、最終的に人生は「味気ない平凡な日々」を生きろと突きつけてくる・・・

最近、ブログ村のBPDカテゴリの克服者のブログを見て、
自分の認知を振り返ったりしてるのですけど、
結局は、「平凡な日々を受け入れろ」という身も蓋もないことを突きつけられるのだなと、
感じている次第です。

逃げても、・・・・ひとり。逃げられない子どもたち。
どこに逃げたらいいかわからない子ども。
逃げたければ喋れ。それがいつも残酷だと感じてしまいます。

なんだかいろいろ考えてました。
ちなみに私、Linda Grahamさんの記事を富重さんにお知らせしたのがSMJデビューでした。

この記事ではないのですが、リンダさんはこの方です。
http://www.rte.ie/presspack/2007/09/30/would-you-believe-new-series-3/

まさにリンダさんはうまく逃げられたからこそ、あのようなシンデレラストーリーに恵まれたのだなあと、複雑な気持ちになります。

なんだかうまく話をまとめられませんでした・・・
語りすぎて不快にさせてしまっていたらすみません。

(ブログの内容は、個人的に、殺虫剤の件がひどいと感じました(;_;))


題名: 補足・・・
投稿日時: 2013-04-13 22:54:41
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 116
私、これまで、自分への罰として、
冬場でも冷水で入浴するとか、
美的なもの(音楽・絵・映画・漫画・・・)をすべて排除するとか、
飯は申し訳なさそうに食べる(もしくは断食)だとか、
冷暖房は一切つけないだとか、
洗い物は(痛いくらいの)冷水であるほどよいとするとか、
そういうのを色々とやっていたのですけど、
最近はもっと図々しく生きようかなと考えるようになってきました。
だから、最近、そういうのをやめてきてます。
いいのかはわからないけれども。

なんだか、やり続けた結果、
空っぽになってしまった気もするので。

自分が罪悪感を突かれるのも弱いということ、
マゾヒスティックな立場で適応しようとしやすいこと、
(または役割をもつことで適応しようとしやすいこと)、
自分が常に加害恐怖(というのか涜神恐怖というのか)のようなものに苛まれていたこと、
・・・を自覚しているので、そういうのをやめてみようかなあと
最近考えたりしています。

そのせいか、緘黙コミュニティに入った中で、
今が一番安定しているようにも感じます。
不安の低下によって、下手に防衛機制が発動しなくなったのではないかと
自分で分析してみたりするのですが・・・

(私は個人的に、自分や他人にACなどといったワードを適用してレッテルを貼るのは好きではないので、普段そういうことは考えないことにしています。そのほうが前向きになれるような気もしているので)

こちらのスレ、ろくに思考もまとまっていないのに書くべきだったか悩んでいます。
少し後悔しています。


題名: はじめまして
投稿日時: 2013-04-14 05:13:50
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 10
虹橋さん、はじめまして。

ドーナツの説明、わかりにくかったですね。
真ん中の空白が家庭で、内容はともかく話せる状態(厳密に言えばそうでないこともあるけど)、家庭に隣接したドーナツの輪の食べられる部分(学校など)が場面緘黙が出る場所、そこを抜けて完全に外に出たら大丈夫というつもりでした。
例えば、学校帰りの一人の時に会った、全く知らない人には道案内ができるのに、その人が家族と知り合いだとわかった途端に硬直してしまうとか。

ほんと、うまく逃げなければいけなかったんですね。
私の場合は緘黙そのものにはあまり意識を集中させなかった気がします。
しかし、逃避の方法がまずかった。
父に打たれている時に、体から自分が抜けて、打たれているのは私ではない、と意識したのがきっかけで、自分が何人もいるように感じてきました。
自分を統合しなければ、外ではやっていけないわけで。


自分への罰?
罰が必要な理由があるのでしょうか。
自分を責める癖はやめるべきだと思います。

私も以前自分が書いた文章を読み返してみると、感情むき出しで恥ずかしくなったり、何が書きたかったのかさっぱりわからないことが頻繁にあります。
でも、書くことはいいらしいですよ。
書いてしまったことを後悔するのはやめにしときましょう。


題名: kさん、はじめまして。
投稿日時: 2013-04-14 06:29:02
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 116
うわあ、もう返事がきてる! まさか、こんなに早く返事が来るとは思ってなかったです!
さすが、SMJ専属ブログの管理人さんだけあって早いですね。
正直なところ、この一晩、不安でうじうじしていて寝られてなかったです。
果たして書いた内容は大丈夫だったのかと悩みすぎて、ほぼ鬱状態でした。
あまりに悪寒がするのでヒーターつけてました f(^-^;
前は暖房とか一切拒絶してたくせに f(;'∀')

そうですね、あまり思い悩むのもよくないですね。
お言葉いただいて恐縮です。シンプルに考えなきゃ、ですね。
そういえば、自分もいじめられていたときとかノートに書き綴ってたなあ・・・

しかしながら、SMJ掲示板に、こんな秘密の入り口があるとは知りませんでした~。びっくりです!
この掲示板ってすそ野がひろいんですね。
もしかしたら富重さんも忘れていたりして(*'▽')


題名:
投稿日時: 2013-04-14 07:34:39
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 116
>例えば、学校帰りの一人の時に会った、全く知らない人には道案内ができるのに、その人が家族と知り合いだとわかった途端に硬直してしまうとか。

自分の場合は一般的な社交不安も強いので、厳密には分けにくいですけれども、
わかるような気もする・・・(ただ、こういう場面に出合った機会がほとんどないのではっきりしたことは言えないですけれども)
たしかにしがらみがないほうが、対面した時、らくかもしれない。

私の場合は、家族に自分の内面や、本性を知られるのが怖いみたいなところがあって、
周囲の人間に不安の壁を作ってしまうところはあるかもしれません。

まず最初に祖母に対してトラウマ的に突然緘黙してしまって、
そこから徐々におとなしいキャラクターを演じる癖がついて、
その周辺の人たちに少しずつ緘黙的なキャラを浸透させてしまった感じかも・・・
kさんがご家族に対してなかなか緘黙にならなかったのはすごいなあと思います。


あとは、自分がきちんと必要な要望を相手に伝えきれるだけの
「コミュニケーション能力の自信」がないときは、
相手に対して不安(不信)を抱くかもしれないです。
自分の押しの強さに自信がないから、
相手の挙動をコントロールできる自信ももてないというのか・・・

kさん例の場合は、おそらく情報の流れも含めた不安なのでしょうかね。
迂闊なことは話せないという警戒心というのか・・・
(もしくは家族への類推(連想)からくる不安?)

要するに、
(不安対象となる)相手の背後に家族を見出しているということなのかなと感じました。
なんだか背後霊みたいですね。
なんだろう、相手が親と関係があるのなら、もう一人の自分を見せられなくなってしまうという不安感でしょうか。

今回、かんもくってまさしく
「情報コミュニケーションの不安」なんだなって改めて思いました。

そういえば、自分の場合、話している間に徐々に緊張していって
話せなくなる(その後は緘黙)というパターンも出たりします。
だんだんと自分が話していたことに後悔して、これは話していていいのだろうかと思い始めて
相手に不信(警戒)感が出てきて、
気づいたら声が出せなくなっていたというような・・・
緘動のような感覚で声が出なくなる感じです。

もしかしたら、kさんのような出方は、おもしろい例なのかもしれませんね。
「外で話せない」というパターンを耳にするのがほとんどですので。


題名: 不安は共通する要素
投稿日時: 2013-04-14 18:42:36
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 10
私の方こそびっくりです。
忘れていた掲示板にコメントが付くなんて。
IDとPWを探し回りました。

>もしかしたら、kさんのような出方は、おもしろい例なのかもしれませんね。

そうですか!
私の場合、学校や家の近所の店を避けて少し遠くまで文房具を買いに行ったり、ついて来ないでと母に頼み込んで家のかかりつけではない病院に行ったり(知らない医師や看護士には病状を説明できた)、心当たりがいくつかあったので、他の人もそういったケースが多いのではないかと推測していました。
他の方もそのことがわかれば解決の糸口になるかもと思って冒頭の質問になったのですが、そうですか、おもしろい例ですか。

>kさんがご家族に対してなかなか緘黙にならなかったのはすごいなあと思います。

私も父には突然緘黙がよくありました。
都合が悪くなると黙り込む、と解釈されましたが、頭が空っぽで言葉が出なくなっただけで、意識的に操作できる状態ではありませんでした。
当時は子どもなりに家庭内で戦っているような心情でいました。
思い返せば、ただ怯えた子どもだったんです。

>kさん例の場合は、おそらく情報の流れも含めた不安なのでしょうかね。

正にこれでしょうね。
その不安感や恐怖から来るものが習慣になってしまったというか。

>かんもくってまさしく 「情報コミュニケーションの不安」なんだなって改めて思いました。

的確な表現をなさいますね。
そうなんですね。

ところで、殺虫剤のところを読んでいただいたとのことですが、ひどいと感じたのは誰に対してだったのかな。
私はずっと父に対して憎しみの感情を抱き、母を被害者としてとらえていました。
でも、おかしな日常を当たり前のこととして処理して来たのは母でした。
そういった環境に子どもとして存在した場合、当たり前のこととして受け入れてしまう、それが結果としてはきついですね。
どこの家の子どもも、休日にはぶたれたり突かれたりしているものと思っていた時期がありました。


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