フルプレイ動画part9「最後の取り組み」

動画(20分18秒)

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今回の動画について

今回の動画は、序盤と終盤を除けば、ほとんどダンジョン内をうろうろしながら、敵と戦っているだけです。 ダンジョンや戦闘に興味のない方は、中盤をとばしてもよいかもしれません。

スライディング・アウト

実は「スライディング・イン」だけでなく、「スライディング・アウト」というものもあります。 今回の母親のように、緘黙児者が話せる人を、徐々に遠ざけていくことを言います。

ただ、このゲームでは、母親は徐々にではなく、急にいなくなっています。 ゲーム内でお断りしている通り、このゲームのステップの踏み方は急です。

ダンジョンについて

今回のダンジョンは、このゲームとしては最難関にするつもりで作りました。 ドラゴンクエストIIの「ロンダルキアへの洞窟」を参考に、 落とし穴と二つの無限ループ、さらに、ランダム生成ダンジョンを用意しました。 ですが、この動画では、攻略法を知る作者が手短にクリアしてしまっています。

なお、ランダム生成ダンジョンは PLiCy版(ブラウザ版)では表現できなかったため、省いています。 このため、PLiCy版では易化しています。

ぴちぴちの座席の位置が変わっている(12分50秒頃~)

実は、ぴちぴちの座席の位置が変わっています。 part1part2 では、廊下側最前列の席でした。 それが、窓側最後列の席になっています。 part3 の最後の三者面談で先生が話していたように、席替えを機に、ぴちぴちが不安を比較的感じにくい席へ先生が移したのでしょう。

また、ぴちぴちが安心できる同級生(みかさ)が隣の座席になっています。

ぴちぴちと母親の間に「しこり」が残る(17分22秒頃~)

母親が、緘黙を3年以上放置したことを「許さない」と答えたぴちぴち。 ここをどう答えるかはプレイヤー次第なのですが、この動画ではこう答えることにしました。 当事者視点で見れば、こちらの方が自然な感情ではないかと思います。

もっとも、このぴちぴちの答え、見方によっては、母親に厳しいとも考えられるかもしれません。 ぴちぴちにしても、長い間母親に相談しなかった(できなかった)わけではあります。

ぴちぴちが親に対して持つこうした感情が、ぴちぴちが大きくなっても残り続けることはないでしょうか。 子どもの頃に抱いた親に対する複雑な感情というのは、なかなか消えないものです。 結婚して自らが親になり、その子どもが成人するような年齢になっても、子どもの頃に親にされたことを根に持ち続ける人を何人も知っています。

ただ、ぴちぴちはまだ恵まれていると考える人もいるかもしれません。 現実には、3年どころかそれ以上の年月が経っても、親に緘黙のことを理解してもらえない当事者や経験者もいます。 ぶにゅう先生の台詞にもある通り、このゲームの母親は、ぴちぴちの緘黙に気付いてからはかなり協力的です。

ぴちぴちの緘黙を長期間放置したのは、学校も同じです。 ぴちぴちが緘黙する場面を見てきた学校が、適切な対応を怠ってきた事実は重いです。特に教師には、ぴちぴちにせめて一言ぐらい謝って欲しいと作者として思います。 ですが、その場面は描きませんでした。 教師は子どもになかなか謝らないものというのが、私のイメージです。

本当に「最後」ではない

専門家がどこで支援を打ち切るべきかは、専門家ではない私にはちょっと分かりません。 ただ、ぶにゅう先生はこれで最後と考えているわけではなく、今後さらに学校での取り組みを増やしていかなければならないと考えています。 そのことについては、後の動画の中で語られます。

どちらにしろ、ゲームで描かれる部分については最後なので、今回の動画では「最後の取り組み」としています。

それにしてもぶにゅう先生、最後のぴちぴちへの褒め方が、いつもより力が入っています。 「よくぞここまでやった!」(16分44秒頃)と、「!」マークが入っています。 これまでは努めて、大げさに褒めないようにしていたのでした。

ピックアップ!敵の名前

筋弛緩法
そのままの名前です。緘黙児者への支援法の一つに、筋弛緩法があります。 日本の本だと、 『先生とできる場面緘黙の子どもの支援』 に少し書かれてあります。

ピックアップ!本の文

  • 緘黙のある人が声を出したとき、周囲があまり騒いではよくない。 喜びたい気持ちはもっともだが、緘黙のある人は、目立つのが苦手だ。 ひどいと、それが原因で、また緘黙したという例もある。
  • スモールステップの取り組みで緘黙の人にご褒美をあげる場合は、発話そのものよりも関連する行動にご褒美をあげた方が効果的だ。 ぶにゅう先生もそのことは意識している。