テニスさん、ありがとうございます。以上をまとめるとーー
- 私は家では一番うるさいっていわれるし、すごく仲がいい友達とは普通にしゃべるのに、それ以外の人とはほとんど話せません。それに自分からそれ以外の人に話しかけることは、ほとんどありません。その人たちが話しかけてきたときは、笑っておわるか、少し話すだけで会話がおわってしまいます。
- なれていない人と話すときはドキドキしたり、いつもみたいな声か出ないです。(うわずったような声のときもあるし、声がでないときもあります。)でも、「誰かに自分がしゃべってるところを見られたくない」と思ったことはありません。それと、前に場面かん黙のことをネットで調べたときに発症する年齢は、2~5才とかいてあったんですが、私の場合は、幼稚園のころは知ってる人なのに挨拶ができない程度だったんですけど小学校高学年になるとあまり話したことがない人とはなすときに声が小さくなったりしました。そして中学校にはいってからこの前書いたような感じになりました。
- さっき社交不安障害のことを少し調べてみました。少し私にあてはまるところもあるかな??と思ったんですけど少し違うようなきもします。例えば社交不安障害は人に注目されたりすると汗がでたり、顔が赤くなったりするようですが、私は前にやったピアノの発表会で舞台で一人でピアノをひいたときそのような症状はあらわれませんでした。
ーーとなりますね。
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う~ん・・・
詳しいことはお医者様に訊いてみるのが一番かとおもいますが・・・
(医者も緘黙についてはまともに答えてくれないことが多いけど・・・)
● 1番の「内弁慶」なところだけをみると緘黙っぽいですよね。なりかけ、もしくは治りかけの人にもこういう状態の人はいそうです。
いちおうDSMの診断上は「1ヶ月間無言状態が持続」してから病名をつけることになっているようですけど、
なんとなく近い感じもしますね。緘黙に近い不安症状はあったとか?
グレーゾーンほど見極めが難しく、またグレーゾーンほど苦痛を周囲に認めてもらいづらいのですよね・・・
心の状態は、0か100かでハッキリと区分けできるわけではありませんから。
●● 2番の
青字部分。不安全体としては緘黙と社交不安障害のどちらにも被っていますが、
《「誰かに自分がしゃべってるところを見られたくない」と思ったことはありません》という部分をみると、
社交不安障害っぽいのかなあという感じも、個人的にはしてしまいます・・・。
※厳密には「自分の声や音が他人の耳に入るのが怖い」という感じなのだと思います。場面緘黙の場合、無意識に音量調節してるはず。
それと、社交不安障害の場合、「声が出ない(一時的な緘黙?)」というのはかなり重度のケースで、
ふつうはまったく喋れないというほどではないと思うのです。
●● 2番の
茶色の部分。場面緘黙自体は何歳からでも発症しうると思います。
かんもくの会の会長は高校生から発症なさったとのことですし、
夫婦間で緘黙症状がでてきて夫婦生活に支障が出てきたケースも見かけたことはあります。
幼児の入学時に発症しやすいのは、その時期がトラウマティックな負荷がかかりやすい時期だからにすぎなくて、
実際には、入学に限らず、転校で一気に発症したり、緊張が持続することで徐々に発症していくケースもあるだろうと思いますよ。
ただ、医療関係者の中に「場面緘黙症は子供の時期だけのもので大人にはない」という信仰があったりするので、その辺が悩みどころではありますが。
まだまだ場面緘黙の知名度は低いので、臨床においても正確な情報が浸透していない現状はあるのかなと思います。。
※もっとも、最近では園山研究室などが大人の緘黙などにも着目し始めているようです。
それと、小学校高学年くらいだとだんだん社交不安が強まってくる時期なのではないかなと思いました。
その影響もあるのかも・・・
●●●3番について。テニスさん、ピアノに自信があったとか(笑)・・・
「社交不安」というのは、症状ですので、社交不安障害の基準に当てはまらない一般の人でも一時的に生じたりすることはあります。
それが生活に支障をきたして「適応困難」な状態になったり、もしくはそれによって日常生活に苦痛が生じたりしていたときに
「社交不安【障害】」という診断名が割り当てられるみたいですよ。
支障がないのであればあまり気になさることもないのかもしれませんね(*´▽`*)。
堂々とピアノ演奏ができたのなら、むしろそのことを誇っても大丈夫だと思います。自信を持ってください(^.^)
そのなかで「自分にはここが足りないなあ」と思うのなら、そこから地道に磨いていけばいいのではないかなと思いました。
ご自分の中に「緘黙」や「社交不安」の範疇に当てはまらない「よい部分」があるのなら、
むしろそこを信じて育てていくことも大切かもしれないなあ、なんてなんとなく思いました。
いつもいつも卑屈や不安ばかりの自分ではないのだろうから・・・
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いずれにしても、緘黙や社交不安があろうとなかろうと、テニスさんはテニスさんだと思っています。
病名はあくまでも人の状態を区分するひとつの基準に過ぎず、
誰しも罹患者、障碍者である以前に1人の人間であるという認識を私はしています。
「ラベリング効果」というものもありますしね。
《社交不安障害についての参考リンク》 SAD NET ●場面緘黙についてはこの動画が分かりやすいです。