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題名: 教師。という存在
投稿日時: 2007-06-30 01:54:59
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全日制という学校に通っていた生徒であった私は
教師、教員、教職員
というものにたいして酷く不信感を抱いていました。
教師、、、
私の母は私に言う時はもう19才になった頃でも「学校の先生」というように言っていました
(私を小さい子供のようにいくつになっても捉えているんでしょう)

それになるには、大学を卒業する事が必要であります。
そのための学費とは1人の人間に幾ら位お金がかかるのでしょう。
卒業をして、免許、資格をとらなければそれにはなれません。
現在、教員をしている人々で生徒達に接していて
緘黙症 というものを知っている人間はどれくらい、いるのだろう。

高校でした。入学式の後のHR、奨学金制度を手に持ち
「決して恥ずかしい事ではありませんから、」と言いました
ある生徒が他の生徒がいる中で「奨学金、」と声を掛けてきたら
教室から廊下へ連れて出て「大きな声では言わない。」と言いました。
その教員は緘黙症...その時点で知っていたのだろうか。

例えばスクールカウンセラーが携わった本に実体験として
内気で大人しい子だったAちゃんという生徒が、
私が声を掛けた事でクラスメイトと喋れるようになりました。などとあるのを見たら、私は
スクールカウンセラーが大人しそうな容姿をしている生徒に
”目を付けて”自分の功績の道具に使った というような捉えを
心の中で静かに、馬鹿にしていました。

実際、今度の年から中学校の教員になる事が決まったという20代の女性と
メンタルな掲示板でお互い来訪者として関わりを持った時、
年下の無職であった私が言葉を出すまで、
ADHD というものを知らなかった。よく、見つけたね!と
返答を受け、呆れ返った
教師=不信 やっぱり、程度でした。
教師を勤続30年という人も、なった理由は
「親が教師だから」とか、その程度の人が多いのかと思う。
女子校で女性教員でも個人的に好みでない生徒に対してどうでもいい、といった構えをしたり
男性教員は好みの容姿の生徒の目の前まで行って顔を見たり
自分は熱血教員だ、熱心な教員だ、といった者はどこの全日制でもいますが、体操服を見てきたり

ここまで執着してしまうほど、
私は自分自身の外見に自信がずっとなかったし、
女性教員から心の中で嫌われている生徒であったり
男性教員からはどうでもいい生徒、葛藤させる状況を楽しそうにわざと作り上げる等されました。

緘黙症、、、自分で見つけるしかなかった。

もう、私と同い年の人達が教員になる年代になってきました。
何のために、なるの?
意志、意義、それは、何ですか?

私は全日制高校は中退、
今は働いています。昨年度から通信制高校に入学し、在学中です。
やはり生徒の中に混じり授業を受けている側にいると冷静に見ているので
この先生は真剣に取り組んでいるという印象を持てた人はいました。

図書室、理科実験室、体育館、視聴覚室、美術室、被服室
教師というものが残ってる


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