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題名: はじめまして! 本を出そうと思っています。
投稿日時: 2007-04-29 23:28:13
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初めまして。北野と申します。
私はもうすぐ53歳にる場面緘黙症経験者です。若い頃から自分の性格を単なる性格の偏り以上の一種の「障害」と自覚していましたが、この年になるまで「緘黙症」という言葉を知りませんでした。きっかけはひと月ほど前に朝日新聞東京版「声」欄に載った、ある緘黙症児の母親の投書でした。それを読み、自分の幼少年期の「症状」が場面緘黙症であることを直感し、以後、いろいろネットや文献をあさって確信するに至りました。
1年保育の幼稚園では一言も口をききませんでした。小学校でも最初はほとんど口をききませんでしたが、1学年2クラスで6年までクラス替えのない30人学級という環境のもとで徐々に慣れ、高学年ではクラスの人気者にもなったほどでした。しかし、中学入学で環境が一変し、小学校からのLDの親友以外とはほとんど口をきかなくなりました。
最悪だったのは高校で、県内有数の進学校に進んだため、回りは私のような「変人」には全く無関心で、授業中教師に指名されて小さな声で答えたり朗読する以外、ほとんど口をきくことがありませんでした。そのうえ強迫神経症にもかかり、一時は家族皆殺し→学校放火→自殺妄想に取り憑かれたこともあります。この思春期危機を乗り越えたのは、「なんとかしたい」という強烈な生への欲求=「自己変革願望」であり、大学受験を機に、地方の大学を受験することで、それまで依存してきた家(親)からの自立を企て、みごと緘黙症と強迫神経症を克服しました。(今思うと、無意識のうちに行動療法を試みていたのだと思います。)
しかしその後も、学生時代の挫折体験からパニック障害を十年近く煩ったり、韓国人留学生と結婚してソウルで3年ほど暮らした時、語学力の問題がもとでつれあいの家族に対して緘黙症になったり、さらに慣れない異国暮らしや日本語教師という仕事柄から対人恐怖症になって十年ほど人前に出るのが苦手になったり、つれあいとの不和=ストレスから自律神経を病んだりと、人生の大半を社会不安症的な「病」とつき合ってきています。
ここ13年ほどは韓国語の産業翻訳を生業とし、ほとんど家にこもってきましたが、ここ2、3年産業翻訳では食っていけなくなったので、出版翻訳や執筆活動(30代に数冊の本を出しています)へのシフトを考えています。
そんな時に最初に述べたように「緘黙症」という言葉に出会い、30年来の疑問が解けたものですから、すぐ体験記を書いてみようという気になり、2、3の出版社に企画を持ち込んでみました。そして、障害や福祉関係の本を出しているある小さな出版社の目にとまり、社長と話をしているうちに、単なる個人の手記から構想を広げて、緘黙症者や経験者、親や教師などまわりの人も含めて取材をし、「私の声」から「私たちの声」として読者に訴えかけるような内容にしようという方向になりました。
といっても、私自身緘黙という言葉に出会ったばかりで、何のネットワークもありません。このフォーラムに集う方で、取材に応じてもいいという方いたらご連絡ください。(とりあえず関東在住の方)
本の具体的内容は、取材と私自身勉強を勧める中で煮詰めていこうと考えております。(ある程度時間のかかる作業だと思っております。)
これからこのフォーラムにも積極的に参加していこうと思っていますので、どうかよろしくお願いいたします。


題名: 慎重に願います
投稿日時: 2007-04-30 10:08:36
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北野さん はじめまして
 書き込み拝見しました。

 あなた自身、幼少期の「場面緘黙症」らしい症状をもちつつ社会でご自分の居場所をみつけてこられ、またその人生の大半を広義の社会不安障害の症状に悩まされながら生きてこられたのですね。そのような体験を手記にまとめることは、なかなか進まない場面緘黙症の研究にとって生きた良い資料になることでしょう。また、あなたのバイタリティで出版社にも掛け合われ企画が煮詰まっていくうちに、複数の当事者、関係者の方の声を取り込んでいこうという流れになったということで、その企画自体には私自身も興味をもつところであります。

 しかしひとつ、単刀直入に申し上げます。それは「食っていけなくなったので、執筆活動にシフトする」というくだりが気になる、ということです。
 話の発端は、ご自分と場面緘黙症という概念との出会いなのでしょうが、言葉尻をとらえるようで恐縮ですが、「ご自分のメシの種に当事者、関係者を取り込む」ことを考えておられるような部分があるような気がしてならないのです。

 また、もう少し詳しくお調べいただきますと明らかになってくると思いますが、かつて場面緘黙症で今は克服した、あるいはなんとか社会生活を営んでいる(私なんかはそのくちですが)といった人間の多くは、あまり進んで自己開示をしたくない方が多いと思います。出たがり、書きたがりは私を含むごく一部の人間だと思われます。

 一方、場面緘黙症の子どもさんをもつ親御さんたちの中には、ご自分の子どもさんとの関わりの中で非常に良い工夫をなさっておられ、その体験を是非他の同じような境遇の方たちに伝えたいという発動性を持っておられる方も少なからず存在することは確かだと思われます。そのような方が、自ら世の中に打って出る手段を持ちえないでいるとしたら、北野さんのような存在――取材し編集し文章化してくれる――と協同することで良い結果を結ぶのかもしれません。

 早い話が、突然書き込みをされて、「体験手記を書くから取材させてくれ、体験者や関係者の方この指止まれ」といった物腰をとっておられることに少し抵抗を禁じえなかった、というのが話の趣旨です。

 北野さん、どうか私の言わんとする旨をお組取りいただき、今後の企画を丁寧に慎重にお進めくださることを、場面緘黙症いち当事者として切にお願い申し上げます。
 これは私の個人的な意見にすぎません。


題名: かいわれさんへ
投稿日時: 2007-04-30 12:22:51
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 4
 さっそくコメントいただきありがとうございます。
 「食っていけなくなった」云々は事実なのであえて率直に書きました。(実はこの一言で片づけられないくらい、今経済的に深刻な状況にあるのですが、この時代、この年、そのうえ心身の制約等考えたら、生きていける選択肢がきわめて限られているのが現実です。)ですから、もし今考えている本の企画が実現したら、それで入るわずかばかりの印税を(他の手段によって得た収入とともに)生活費として使わせてもらおうと思っているのも事実です。(もっとも、いざ始めようとしてみると、考えていたよりはるかに時間も労力も要する仕事になりそうなので、経済効果からいったらとても割のいい仕事にはなりそうにありません。)
 私にとって「性格」の問題は一貫して大きなテーマで、高校時代の思春期危機を小説に書いたこともありますし、教育問題の側面からアプローチしたこともあります。しかし「緘黙」という核心問題を知らずに今まできたことが私の不幸であったと思います。「緘黙」という言葉に出会えて、40年来抱え続けてきた心の支えが下りた気がしています。ですから、これからは「緘黙」が私のライフワークのひとつになる予感がします。
 無力な私ですが、他の人より秀でていて活かすことのできる才能が「書くこと」です。ですから、私はこれから、書くことによって「緘黙」の問題に関わっていこうと思っています。
 それから、このサイトに突然登場して「本を出したい」というのは、他のメンバーにとってはたしかに唐突だったかもしれません。実は、他の緘黙症のサイトを運営している方にこの間いろいろ相談にのってもらってきたのですが、その方が「場面緘黙症Journal」のフォーラムがいちばん活発なので、そこで呼びかけてみれば」とアドバイスしてくれたといういきさつがあります。
 ご理解いただければ幸いです。


題名: 本の企画、遅々として進んでます
投稿日時: 2007-06-10 21:44:58
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 4
 お久しぶりです。いざ本を出すぞと意気込んでみたものの、何のつてもなく最初は手探りの状態でしたが、この掲示板のお陰もあり、今まで数名の元緘黙者の方に取材することができました。直接お会いして話を聞くと、私とだぶるところも多く、逆にこちらが勇気づけられたりもしています。 :lol:
 これから行政や医療関係にも取材を進めようと思っていますが、緘黙経験者や緘黙児を抱える親御さんの生の声をもっと聞きたいと思っています。
 直接お会いできればベストなのですが、遠方(私は埼玉在住)の方でもこちらで用意した設問にメールで答えていただければありがたいです。
協力してもいいという方は私に連絡いただけるとうれしいです。 :oops:
 元緘黙者として何ができるのか、何をすべきなのか、まだ模索中ですが、本の取材・執筆を通してひとつの方向性を見つけることができれば……と思っています。


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