レフト
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題名:
元緘黙児が思うこと
投稿日時: 2007-05-06 10:17:37
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登録日時: 投稿記事数:
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初めて投稿させていただきます。
このトピックは、過去に緘黙児であった方々が、緘黙について思うことや、緘黙(社会不安)の克服に向けて取り組んでいることなどを自由に書き込んでみようという目的で作成しました。
あと、現在困っていることや、自分のことについてなど・・・とりあえずなんでもありです。
よろしくお願いします。
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かいわれ
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題名:
投稿日時: 2007-05-06 15:47:31
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登録日時: 投稿記事数:
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レフトさん
こんにちは、かいわれと言います。 実は、あなたが意図したテーマは私がたてて、書き込んでいるスレッド「後遺症がつらいんです」と同じ趣旨なんです。 最近、私の書き込みがごく私的なのがいけないのか、ほかの方がレスしてくれなくて、寂しい思いをしていたのです。 まあそうはいっても、それはそれでかまわずにマイペースに書き込み続けているのですが……。
レフトさんは場面緘黙症とどのような接点がおありなのか、良かったらお聞かせください。
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レフト
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題名:
自分と緘黙
投稿日時: 2007-05-06 19:43:19
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登録日時: 投稿記事数:
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かいわれさん
レスありがとうございます。スレッドがかぶってしまってすみません。 かいわれさんがおっしゃるように、まずは自分と緘黙の関係について書いてみます。
僕は現在22歳の男で、子どもの頃、保育園に入園(4歳)と同時に選択性緘黙の特徴を自覚しました。保育園の庭に入った瞬間に身体が固まったような感覚になって、庭の真ん中で立ちすくんでしまいました。 その後、保育園では首振りと、うなずきでしか意思表示ができなくて、保母さんに何度も声を出すことをうながされて、ようやく機械的に一言声を出せる程度でした。保育園で嫌なことがあったとか、嫌な人がいたというのは憶えている限り全くないです。
小学生の頃は、特定の友達同士なら小声で少し話せる程度で、みんながいる前では、自発的な発言は全くできませんでした。 話しかけられても声を出して返事をすることができなくて、首を使って意思表示をしてました。
その当時、完全に心を開ける対象は母親と兄弟と物心がついたときにはすでに遊んでいた、全員一つ違いの幼なじみの子達(5人)だけでした。 幼なじみの子達と遊んでいるときは、普通の(他の多くの)子ども以上に外で元気に遊んでいました。 小学校5年生の途中に家庭の事情で引越しをするまでは、毎日のように一緒に遊んでいました。
引越し後は、新しい環境になかなか馴染めなかったのもありますが、何よりも、幼なじみの子達と遊べなくなってしまったことから、徐々に気分も沈み始め、それまでは、毎日楽しかったのに、なにか辛いというか・・・過去を振り返るようになってしまって、思い出す度に、むなしい気持ちが募っていきました。
中学生のときには、不登校になって、情緒障害学級というところに通っていました。 不登校になった要因は、学校で話したり自己表現ができなかったというのもありますが、家庭環境も大きかったと自分では思っています。 けど、最終的には苦手な状況から逃げるという行動をとった自分の問題だったと思ってます。
そして・・・現在は、とっくに緘黙ではありませんが(緘黙というのは喋れない状態を指した言葉だという意味で)、社会恐怖(社会不安障害)の傾向があると自覚してます。 例えば、人によって(おもに目上の人)とか、集団の中だと発言しにくいというのがあります。 あと、話しかけられても、相槌ばっかりだったり、声が小さかったり、言葉に感情を乗せにくいというのもあります。
最近は、自分のそうした問題と向き合って、どうするべきかとか、克服していくために何ができるのかとか、色々と考えてます。
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かいわれ
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題名:
投稿日時: 2007-05-08 15:57:47
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登録日時:2013-10-18 04:45:31 投稿記事数: 367
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レフトさん こんにちは ご自分の以前の症状、そして現状を語っていただきありがとうございます。思いだして嫌な思いになるのでしたら、実に申し訳ないことだと思います。せっかく自己開示をしていただいたので、今後レフトさんが、なにか建設的に考えていけるヒントになるようなコメントが書けたらと思って書き込みます。
>保育園の庭に入った瞬間に身体が固まったような感覚になって、庭の真ん中で立ちすくんでしまいました。 いわゆる緘動ですね。言葉が出ないばかりか活動までもが停止し“フリーズ”してしまう症状です。私も幼稚園時代よくありまして、その後の人生の中でも(今でも)自分の中で危機状態になると、“得意技”として無意識に緘動状態になることがあります。 フリーズすることで自分を守っていたのですから、そのような心理規制を発動できた、という点においては良いことではなかったのでしょうか。
>引越し後は、新しい環境になかなか馴染めなかったのもありますが、何よりも、幼なじみの子達と遊べなくなってしまったことから、徐々に気分も沈み始め、それまでは、毎日楽しかったのに、なにか辛いというか・・・過去を振り返るようになってしまって、思い出す度に、むなしい気持ちが募っていきました。 新しい環境を契機に、緘黙から解放される方と、あなたのように交友関係が狭まり辛くなる方があるみたいですね。 その時の引越しは辛いものでしたでしょうが、環境が変わることで自分が“そうなる”ことがわかったのは、わからなかったことよりも良いことのように思ってみてはいかがでしょうか。
>中学生のときには、不登校になって、情緒障害学級というところに通っていました。 不登校になった要因は、学校で話したり自己表現ができなかったというのもありますが、家庭環境も大きかったと自分では思っています。 けど、最終的には苦手な状況から逃げるという行動をとった自分の問題だったと思ってます。 あなたのことを思った両親の働きかけがあったのは事実であり、あなたが(その時は嫌々だったかもしれませんが)情緒障害教育をうけいれたということは、なにも対処がなされなかったこととは大違いだと感じます。私、かいわれが中学の不登校の時には「なにもありません」でした。
「逃げる行動がとれた」のはあなたの中に自分を守りたい意欲があって、その時に考えられることを実践したということです。また「問題」と見るのではなく自分の行動の「特徴」と思ってみてはいかがでしょうか。
さて今後どのように問題と向き合って、克服していくかということですが、「問題を抱えるダメな自分」というふうにもし思っているとしたら、それを改めていく方向に少しずつ修正していきましょう。
緘黙傾向が発動されるという部分だけが、少し困っているにすぎないのであって、あとのあなたは社会生活を営んでいる“普通の青年”なのですから、緘黙傾向も一つの個性と考えて、「もう少し、より自分で受け入れやすい方向に持っていく」くらいに考えた方が気楽に考えられます。 一つには、相手をよく知りましょう。 社会不安障害ついてはこのようなサイト↓がありますので、一度のぞいてみてはいかがでしょうか。 社会不安障害情報サイト http://www.sadnet.jp/menu.html
相手の素性がわかれば、対処法も自ずと見えていきます。抵抗がなければ、精神科や心療内科に相談するもよし、また自由診療でやっているカウンセラーに相談するもよし、市町村の精神保健相談窓口での相談ならお金がかかりません。 代表的な方法としては、薬物療法(緊張状態の緩和などを目的に薬を飲む、など)や認知行動療法(カウンセリングや)読書療法(※1、※2)があります。
※1『いやな気分よさようなら』認知療法に関する本 かいわれの愛読書 http://www.amazon.co.jp/%E3%80%88%E5%A2%97%E8%A3%9C%E6%94%B9%E8%A8%82-%E7%AC%AC2%E7%89%88%E3%80%89%E3%81%84%E3%82%84%E3%81%AA%E6%B0%97%E5%88%86%E3%82%88%E3%80%81%E3%81%95%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AA%E3%82%89%E2%80%95%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81%A7%E5%AD%A6%E3%81%B6%E3%80%8C%E6%8A%91%E3%81%86%E3%81%A4%E3%80%8D%E5%85%8B%E6%9C%8D%E6%B3%95-%E3%83%87%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BBD-%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%BA/dp/4791102061/ref=sr_1_1/249-8888670-7649142?ie=UTF8&s=books&qid=1178606289&sr=1-1
※2『他人がこわい』社会不安障害に関する本、ルディさん紹介 http://atbb.jp/smjournal/viewtopic.php?t=93&start=0
いずれにせよ「出るところに出てみる」というのが良いでしょう。考えたら、あなたがここに書き込みをされたのも、勇気ある第一歩でしたね。
あとは手前味噌ですが私のたてたスレッド「後遺症がつらいんです」を読んでください、一人の場面緘黙症当事者(後遺症、二次障害をももつ)があがいている一つの例が見られます。
とりあえずこんなところで終わりますが、なにかお感じになったらまた書き込んでください。
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レフト
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題名:
かいわれさん、丁寧なアドバイスありがとうございます。
投稿日時: 2007-05-13 10:17:27
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登録日時: 投稿記事数:
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かいわれさん こんにちは 緘黙経験者の視点から、親切にアドバイスをしてくださって、ありがとうございます。
>その時の引越しは辛いものでしたでしょうが、環境が変わることで自分が“そうなる”ことがわかったのは、わからなかったことよりも良いことのように思ってみてはいかがでしょうか。 そうですね、自分ひとりでは何もできないんだということを思い知りました。 失ってしまったものは大きかったけれど、得るものがあったのも事実です。
>あなたのことを思った両親の働きかけがあったのは事実であり、あなたが(その時は嫌々だったかもしれませんが)情緒障害教育をうけいれたということは、なにも対処がなされなかったこととは大違いだと感じます。 情緒障害学級の教員の方には、とても良くしてもらい、少人数でのアットホームな環境も、精神的にはすごく良かったと思っています。
>緘黙傾向が発動されるという部分だけが、少し困っているにすぎないのであって、あとのあなたは社会生活を営んでいる“普通の青年”なのですから、緘黙傾向も一つの個性と考えて、「もう少し、より自分で受け入れやすい方向に持っていく」くらいに考えた方が気楽に考えられます。 僕もその点については、かいわれさんと同じような考えをずっと持っています。 そうした傾向を「問題」と表現したことについては、また今度書き込みます。
> 相手の素性がわかれば、対処法も自ずと見えていきます。抵抗がなければ、精神科や心療内科に相談するもよし、また自由診療でやっているカウンセラーに相談するもよし、市町村の精神保健相談窓口での相談ならお金がかかりません。 代表的な方法としては、薬物療法(緊張状態の緩和などを目的に薬を飲む、など)や認知行動療法(カウンセリングや)読書療法(※1、※2)があります。 実は、精神科(メンタルクリニック)は最近になって初めて受診しました。 その話も、また今度書き込みたいと思います。 あと、本のご紹介ありがとうございます。 ルディさんが紹介された本はすでに読んだのですが、かいわれさんの愛読書も近いうちに読んでみます。(読書療法というのは、無意識に実践してました)
またご意見があれば、遠慮なく書き込んでください。
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かいわれ
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題名:
投稿日時: 2007-05-13 16:59:48
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登録日時:2013-10-18 04:45:31 投稿記事数: 367
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レフトさん 返信ありがとうございます。 >失ってしまったものは大きかったけれど、得るものがあったのも事実です。 失ったものの大きさ、というのはその本人でなければわからないものですね。そして、大きなものを失った経験をお持ちの方であるが故に、得たもののありがたさがひとしおに感じられると言うこともあるのではないかと私は思います。
>情緒障害学級の教員の方には、とても良くしてもらい、少人数でのアットホームな環境も、精神的にはすごく良かったと思っています。 「受け入れられた経験」と言うのは、お金だけでは買えないものであり、あなたの財産になっているのではないかと思われます。
“そうした傾向”を「問題」としたことについてもう少しお聞かせ願えたら一緒にヒントが考えられるかもしれません。 メンタルクリニックへの受診もいかがだったんでしょうね?受診するにあたっては、けっこう勇気が必要だったのではないでしょうか? 「行かなきゃ良かった」、「これについては行った甲斐があった」など受診した感想は様々と思いますが、これもいかがだったんでしょうね。
これ以上お話いただくのに抵抗があればお辞めください。
あたしが紹介した『いやな気分よさようなら』は「抑うつ傾向」を抱える人を主にターゲットとして書かれています。しかし、通常の「ああ~、やんなちゃうなあもう」位の気分の様な時にも参考になる本です。それくらいは、たぶん日々誰しも持ちえることだと思います 昔の電話帳くらい厚いので、ほんとうにうつの時にはとても開く気になれませんが、平易な言葉で書かれているので、ボリュウムの割には読みやすいのです。あっ、でもね内容はしっかり学問的な理論を背景に書かれているのでそういう意味でもお奨めです。たしか¥4,000.-弱しますから、アマゾンのマーケットプレイス(中古販売)で改訂版を¥2,000.-台で探して買いましょう。私も中古を買いました。
私の職場の臨床心理士(この本を紹介してくれた男)も学生時代からの愛読書で、今でも時々読み返すようです。
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ルディ
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題名:
レフトさんへ
投稿日時: 2007-05-20 12:35:32
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登録日時: 投稿記事数:
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こんにちは 突然お邪魔致します
実は、レフトさんにご意見をうかがってみたいことがあって書き始めました
レフトさんはご自分の不登校について、「個人的な問題」として書かれていますね その経緯について知らないままに言うのはおかしいのですが、もしかしたら、場面緘黙と社会不安をひとまとまりとして考えてみると、案外、個人的と捉えていたことが、そうでないということがありうる、つまり、何かを回避してしまいがちなことも、社会不安に伴う、一般的な状態、ということも出来るような気がします もしこの言い方が、レフトさんにとって失礼なものだったら申し訳ありません
というのもレフトさんのご経験を拝見すると、あまりにうちの場合と似ていますので、それがレフトさんだけの問題であるとは思いにくいのです
もし良かったら、お時間のあるときに今回出された資料NO.14を、読んでみていただけないでしょうか 私はこの資料を見て本当に驚いてしまいました なぜかというと、自分の子どもだけの特性かと思っていたことが、社会不安の子どもが陥りがちな状況として述べられていることに、ぴったりと当てはまっていたからです
大人が子どもの困っている原因をきちんと把握できない、無知な状況にあったために、子どもはたくさんの困難を抱えた上に、それが自分の責任であるかのように思い、人からも責められてしまうとすれば大変悲しいことだと感じるのです
私自身も、子どもの社会不安を理解せずに、子どもの回避行動を、たとえば「情けない」ことのように捉えてしまったことがあり、「次からはちゃんとしようね!」などと言ったり、安易に励ましたりしていたものです
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レフト
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題名:
ルディさんへ
投稿日時: 2007-05-26 20:37:40
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登録日時: 投稿記事数:
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こんばんは。この間は、どうもです。(説明不足の意味不明な文章ですみません) ルディさんがおっしゃられていることは、その通りかもしれないですけど、それは、困難を抱えた子を支援する立場の人から見た意見であって、僕自身は、そうゆうふうに考えたことがないです。 僕は、当事者目線でしか考えられないので、ここでも当事者の視点で意見を述べてみます。
僕が、不登校になったのは自分の問題だったと書いたのは、最終的には、自分の力でどうにかできたことだし、自分にしかできないことだと思っているからです。 でもそれは、今だから言えることであって、その当時の自分には、学校という恐怖状況を乗り越えていく気力はなかったです。 毎日、強い不安を抱えながら、学校に行くことだけで精一杯でした。 自分自身、社会不安の傾向があるのは認めるところですけど、不登校になってしまうのが、すべて社会不安のせいかといったらそうでもないと思うし、自分が不登校になったのも、それだけが問題だったとは思ってないです。
>大人が子どもの困っている原因をきちんと把握できない、無知な状況にあったために、子どもはたくさんの困難を抱えた上に、それが自分の責任であるかのように思い、人からも責められてしまうとすれば大変悲しいことだと感じるのです
周りのサポートもたしかに大事ですけど、周りの理解を得るというのは、困難を抱えた本人にはどうすることもできないですよね。 現実に、困難を抱えたまま周りの適切なサポートが得られないまま大人になってしまった人もいると思います。
僕が今まで考えてきたことというのは、その当事者がどうしたら、自分の抱える困難を軽くしていくことができるかということです。
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ルディ
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題名:
丁寧にお返事下さり、ありがとうございます
投稿日時: 2007-05-27 11:39:17
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登録日時:2013-10-18 04:45:31 投稿記事数: 145
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そうですね、私は親としての立場からの見方しかしていないかもしれませんね 子どもの不登校の過程で学校と接したときに、あまりに理解がない対応に驚いてしまったので、同じことでほかの方たちが困ることのないように理解が広がってほしいというのが私の願いです 緘黙という見えやすい状態以外にも、不安から起こる様々な状況があり、それは本人の甘えだとか、親の過保護が原因と捉えられて学校から見放されたような状況になりやすいので、社会不安に対する理解が広まってほしいと思っています
ですが、それはそれとして、子ども自身はこのことを出来るだけ自分のこととして乗り越えたい、また自分にはそれが出来る、と考えているようです 不登校という経験をしたことも、本人は「人生には無駄は無いんだ」などとつぶやいて、自分なりに何かを得たと感じているようです 私はそのことを、とても頼もしく思っています
誰しも、生まれたときから何のかたよりもない性格ではないと思います 社会が成熟して、いろいろな子どもの良さを受容できるようになって欲しいとは思いますが、システム化された援助を受けてよりスムーズに人生を過ごしてしまうことが一番いいのかどうかはわからないと思います あわただしい時代となって、長いスタンスで人生を見ることが出来ず、ちょっとした違いやつまずきを、大げさにとらえるようになってしまっているかもしれませんね 本人は、ゆっくりではあっても、自分で困難を乗り越えることが出来る知性や能力を持っているかもしれず、そうすることで、より賢くたくましく成長していくかもしれない・・実を言えば、私は自分の子どもに対しては、そんなふうに感じていますし、出来るだけ「最低限」の援助をしよう、と思っています
そんなわけですから(長くなってしまいましたが・・)、レフトさんの「当事者がどうしたら、自分の抱える困難を軽くしていくことができるか」というテーマは、ほかのたくさんの方にとっても有意義なことだと感じます
親の立場からの考えで中断させてしまって、ごめんなさい たくさんの方のご意見をうかがえることを、楽しみにしています
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グレイ
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題名:
場面緘黙児(元場面緘黙症)の人に聞きたい事があるのですが。
投稿日時: 2007-06-21 22:37:39
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登録日時: 投稿記事数:
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私は20代後半の元場面緘黙児です。 すいません…どこに書いていいのか分からなかったので、とりあえずここに書いてみるのですが、 場面緘黙児・または元場面緘黙症の人に聞きたいことがあるのです。 突然ですみません。
場面緘黙症と関係があるかとかは分からないんですが、皆さんの中で、子供の頃、
「大人になりたくない(大きくなりたくないに近い?…)、と強く思っていた」 「子どものままで(ずっと)いたいと思っていた」(いや、いれるとさえ思っていたかもしれない) 「中学に上がる時、とても抵抗を感じて嫌だった。中学に上がりたくなかったなど」 「進路(将来の事)に興味や関心を持てなかった」(危機感はゼロ) 「自分は大人になれない、と子供の頃に感じていた」
というようなことがあった人はいますか?…
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