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題名: 緘黙症の発症について自分が思った事
投稿日時: 2007-07-23 02:53:12
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私は、圧倒的コミュ力の差がある集団との接触により緘黙を発症すると考えていますが、いかがですか?そのような意見はこれまでなかったと思うので投稿してみました。ちなみに私一人の個人的解釈であり何の科学的根拠はございません。ですがこれまで見てきた症例では個人的能力にはこれ以外に明確な共通性はないと思っています。
 
ちなみに緘黙になるのは恥ずかしいからという図式は、ある意味では間違いだと思っています。緘黙になると喋ることが恥ずかしくなるというのは、言い換えれば普段しない事をするのは怖いという万人に共通する性質です。つまりこの「恥ずかしい」は正常な判断力を持った人ならば誰でも感じる「単なる不安感」だと思います。恥ずかしいから緘黙になるというのは、つまり喋ることが恥ずかしくて話さなくなるのではなくて、「人と上手にコミュニケーションをとることができない経験を積み重ねるために感じる恥ずかしさを伴った恐怖」から話さなくなるのだと思います。だから前者の恥ずかしさと後者の恥ずかしさは質的に全く違うものです。
 
それから、緘黙児は喋らない事が恥ずかしくてストレスを感じているというのは勘違いだと思います。緘黙で感じるストレスは喋れない事ではなくて自分を不遇と認識させる事態に直面した時に感じるストレスのみです。例えば席替えで嫌がられるなど、これも万人に共通する性質です。
 
緘黙児は緘黙になって以降、生命の危機が脅かされない以上は喋らない事に対してたいしたストレスを感じていない気がします。たぶん奇異の目に見られる中学、高校までは本人から自発的に治そうという気は起きません。最も苦手な集団生活の拠点である学校生活が苦痛であるのは間違いありませんが、それと同時に喋らなくても生きていけるというシェルターの役割も担っているのです。
 
緘黙の発症から緘黙状態が続きますが、発症以降は緘黙の症状というのは、「喋らない事で感じる不安から生じる精神的負荷」に既にシフトしていると思います。その負荷で対人恐怖症などの後遺症の原因がじわじわと生まれてきます。(人が怖いとか)
 
治し方について、私は真剣に考えたことがないと断って、少しだけ触れておきます。もちろん、もっと有効な方法がたくさんあると思っています。
 
子供にはかわいそうですが、無理やり喋らすというのが最も簡単な解決方法であると私は思っています。そこで親に対する一生ものの憎悪が発生する可能性がありますが、子供が喋ることに対する抵抗はなくなるはずです。それが子供のためだと思います。ただし、この方法が通じるのは緘黙になった直後でしょうね。それか幼稚園か小学校低学年までは通じるかもしれません。それ以降だと自殺や家出や酷いと精神崩壊(殺人など)につながってしまいます。それくらい緘黙はシビアな問題です。
 
ちなみに中学高校以上は本人に治す気があるようなら引越しで簡単に解決するかもしれませんね。ただし、コミュ力の上昇については、本人の意思と、その後に本人を取り巻く環境とで度合いは変わるでしょうね。
 
とまあいろいろ緘黙について自分の考えを披露しましたが、
要するに、緘黙の原因はコミュ力の低さだと言いたいのです。
つまり、酷い言い方ですが、頭の悪さです。
 
私はこれまで同じ学校に通学してる時期に緘黙になった例は聞いた事がありません。まず確実に次の二つの時期が発症と一致してます。
かなり幼い頃の入園入学直後、または引越しです。
   
ただし、コミュ力が低いだけでも喋ることに違和感がない友達や兄弟などがいると慣性のような力が働いて喋れる状態を維持できてしまうと思います。その慣性が働くうちにコミュ力が身に付けばよいですが、たぶん自分の劣等性を意識する事無く社会に出て苦労するでしょうね。コミュ力の劣った人間の友達とは長い交際でもコミュ力のレベルアップには役不足であると想定できるからです。(付き合いが斜め下向きのベクトルということです)(もちろん友達が変わって自分も影響されて変わるような例外はあるでしょうね)だから思うんです。たぶん社会人になってから社会不安障害を発症するのは「お友達」という盾を失って無数の矢に打ち抜かれる運命にある隠れ緘黙(コミュ力が圧倒的に低い人)のような人たち何のではないかと。・・・話を緘黙に戻します。
 
このサイトのブログの日記に幼少の頃お漏らしをしたという話がありますが、それは典型だと思います。先生にトイレに行く事を伝える技術がなかったのだと思います。私も幼稚園のころ、先生にトイレ行きたいと言えずに何度かお漏らしをしました。その時の強い抑圧は今でもはっきり覚えています。伝えたいがどうしていいのかまで頭が回らないが、動物的直感で危機を感じていたんだと思います。この辺りは頭の悪さが出ていたと思います。
 
これは私の例ですが、友達との会話でも、変に嘘をついたりして後悔したり、伝えたい事とは違った意味が伝わり誤解されることが頻繁にありました。(ちなみに私は中学で引越しして発症しました)
 
あと小学生の頃、家族でバトミントンをしに行ったときの話です。
私の家族の人数は奇数なので、バトミントンをやると一人余ります。
私はそれを察知して、わざと自分はやりたくないと言った事があります。
その時に強い抑圧を感じました。たぶん、これは交替でやればいいという意見提示するコミュ力がなかったからだと思います。草むらから楽しそうにバトミントンをする家族を遠めに見ながら、俺はいったい何をしているんだと複雑に思い悩んだ事を今でもはっきりと覚えています。(ただし、これは単なる気遣いであり、緘黙の例としてふさわしくないかもしれません)
 
あと遺伝的性質はもちろんあると思います。ブログの著者と同様私の父も何でもできる天才タイプです。ただ母はどちらかというと頭が悪いタイプです。(悪意ではありません)両者コミュ力は長けてます。気になるのは母が昔無口だと言っていた点です。これがもしかしたら遺伝してる可能性があります。幼少の頃、友達の和に入るのに戸惑った一因となってる可能性は大いに考えられます。(気が小さい事が原因で、イジメ(イジメに関して記憶はありませんが)のようなものに繋がりそれがいやで人の和に入らなくなりコミュ力を磨く環境を作れなかったということ)
 
しかし私は言葉は速い方ですし、他にも父の才能が遺伝したようです。
小学校高学年まではスポーツや学業などで苦しむことはありませんでした。だからもし私にコミュ力を身につける基礎があったと仮定すると、環境的なものも大きく作用するのではないかと思うことがあります。母は子育てに熱心ですが子供と話をしない人なのです。父も同様です。たぶん子供と話すのが馬鹿らしいと思っていますね。いつも無視されており、何度か「お前の話は意味がわからん」と言われた事があります。子供に対する排他的な一面が見られますね。もっともこの言葉には、思慮の浅い言葉を連発した可能性があり、俺自身の自閉的傾向(アスペに近い)、前頭葉の欠陥が疑われますね。いちおう小2年生の時最後に作文の賞は獲ったことあるんですけどね。でも数十人から選ばれた事実が間違いで、俺自身に欠陥があったとしても、環境で何とかなったと思うことが少なくありません。(親が子供と言葉でコミュニケーションすることでサポートになったかもしれないということ)
 
そこで私は緘黙の認識には先天的要因と後天的要因の二つの面からアプローチする必要があると思っています。(←それは、もちろん皆さんそうしているでしょうが)生まれ持った頭の悪さ、それからコミュ力を低下させる環境の二つに焦点を絞って、問題解決方法を考えた場合、生まれ持ったものはどうしようもないのだから、環境を変えるほかに仕方がないという結論に達しました。
 
緘黙児童が生まれない(出産云々じゃないですよ)ためには、コミュ力を鍛える環境を整えることが重要であると考えます。(これは予防法であり解決策ではありません。ただ問題の性質上、予防法=解決法ではありますが・・・)
 
そういうわけです。何がご意見あればどうぞ。


題名: 喋ることが恥ずかしくなる?
投稿日時: 2007-07-24 21:11:20
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緘黙について、はっきりとした原因や
どういった治療法が効果的かは私には分からないので、コメントを差し上げにくいです。
ただ、気になったことがあったので一点。

私は元緘黙児(自己診断)ですが、
「緘黙になると喋ることが恥ずかしくなる」というのは私も違うと思います。

確かに、緘黙児は極端な恥ずかしがり屋ですが、
別に喋ることが恥ずかしくて喋らないわけではありません。
声を出そうにも、出ないわけです。

いろいろ論文や専門書を読んできましたが、
「緘黙になると喋ることが恥ずかしくなる」という説明は、見た覚えがありません。
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題名: 209さんへ
投稿日時: 2007-07-25 10:38:17
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209さん、あなたの文章から感じる私の感じたことは、あなたはかなり重症のアスペルガーですね? 左脳型の…。おそらく父方からの遺伝でしょう。自分の欠点を知り、広い視野で物事を考えるよう努力をしたほうが良いと思うのですが…。たとえ、脳の障害を持っていても、アスペルガーの詳しい知識、他の人とのかかわり経験、本人の方向性の意識等により、少しは変わることができるのですから…。まず、それが先だと思います。もちろん環境も大切ですが…。重症のアスペルガーの方にはかなり難しく、あなたも努力したことがあるのかも知れませんが、「木を見て森を見ず」のアスペルガーの特徴が、文章にとても感じられます。


題名: 集団との接触説
投稿日時: 2007-07-26 12:27:54
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はじめまして209さん

何によって緘黙状態が引き起こされるのだろうか
遺伝的な条件があったとしても、その直接の引き金となるものは何か
大変興味深いテーマですね

外的な要因として考えられるのはは、自分よりもコミュニケーション能力の秀でた人間の集団との接触である
つまり、もともと内的にコミュニケーションの能力の低さがあるから
(例えば、親が子どもと話さない、アスペルガーの傾向がある、あるいは内向的などの原因から・・)

初めての集団生活である入園、入学、知らない土地での出来上がった集団との接触といえる転校で、緘黙となることからそれが推測される

そう仮定するなら、集団と接触するにあたって、親などが出来る策として何か考えられるのではないか
それはコミュニケーション能力を高めることである

とっても納得できる気がします

たしかに、うちの場合は、お姉ちゃんと妹がいたり、幼なじみが多かったのでおかげでコミュニケーションに消極的でも通学にも問題が無かったということがありました

209さんの鋭い文章から、とても頭のきれる方だと感じられます
ただ、ご自分でもおっしゃっているように、コミュニケーション力というのは分析力や鋭い言葉の閃きだけではなく、またちがった種類の頭の良さを必要としているのかもしれませんね
それはおそらく、あるひとつの価値観だけで物事を断定しない柔軟性というものも含まれているような気がします

コミュニケーション力を高める、ということはもし言葉で説明するとしたら非常に複雑な内容だと考えられますね

うちでは一番下の娘が人に対してとても落ち着いて接することが出来ていると感じますが、彼女の幼少時は男の子にまみれて噛み付いたり引っかいたりのけんかあり、いっしょに悪いことをして叱られたり、どろどろになって思いっきり遊んだり・・
おかげでこの子は、酸いも甘いもかみ分けることの出来る、かなり成熟した人柄となったように思います

なんとなく中途半端ですが、何か意味のあること言ってますでしょうか???


題名: ごめんなさい
投稿日時: 2007-07-26 12:35:05
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上のゲストさんはルディでした


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