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3 件の記事    1   
題名: 症状の度合い
投稿日時: 2007-06-11 13:54:06
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娘小1です。つい先日担任から告知されました。
みなさんの症例を拝見させて頂きました。
娘の場合は重度より軽度のような感じは受けますが、イマイチ解かりません。たとえば発表会や運動会などで、大勢いる観客のほうを向いて私達両親の居場所を物色するくらいの余裕を持ってるようなんですが、コレってどうなんでしょうか?はたして症状が軽いと言えるのか?
この先深刻な症状に悪化するものなのか、不安です。
私達には、友達出来たよ、とか、話してるよ、とか、トイレに行きたくなったら先生呼べるよ、とか答えていますが。。。。。。。


題名: 症状は様々です
投稿日時: 2007-06-12 06:41:50
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kazupiさん
 “告知”というのは「あなたの娘さんは場面緘黙症です」ということなんですね。

 私は、しゃべれなくとも、国語の音読みはできました。また音楽の独唱テストでもそこそこの歌声は出せました。
 しかし、ごく数人の仲良し同志以外は、任意に雑談するというのは全く話せませんでした。

 なにをもって「重症」とするかですが……
 社会場面でとる我々の行動は
  第一の水準――動作・態度表出の水準――その場面に足を運ぶ
  第二の水準――他者との感情・非言語表出――会釈、うなづき、視線の交換など、
  第三の水準――言語表出――適切な言葉でコミュニケーションをはかる

 ――という3つの水準に分けて考えられ、なんらかの緊張で適応的行動が破綻する場合三⇒一の順に破綻します。
 水準三、二での失敗が重なり緊張が極度になると我々は社会的場面にアシを運ぶことすら出来なくなります。
 概して動作や態度に困難が現れる子どもは、緘黙の段階としてはより深刻な段階にあるといえます。

 大勢いる観客の中で居場所を物色する対象が両親であるので、学校という社会的場面であっても、少し緊張がほぐれるのかもしれません。
 「家庭では普通に話せます」というのと同じレベルと考えれば、違った場面で「両親以外には緊張が高く、行動抑制が現れている」ということであれば、症状はけして軽くはないといえるのかも知れません。

 この先、症状が悪化するかどうかは、失敗経験が重なるかどうかがポイントのような気がします。
 失敗経験とは、周囲の判断でなく、娘さんの主観的レベルの話ですので、同じ事態がおこっても、周囲が暖かく見守ることで、「こういうことをしても良いんだ」と娘さんが思えば、失敗体験とはならないのです。

 これは一つの考え方ですので、いろんな意見を聞き、なおかつ学校での様子を詳しく把握されたほうが良いと思われます。


題名: 2
投稿日時: 2007-06-12 10:02:49
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かいわれさん
さっそくのアドバイスありがとうございます。。
正直言ってこれから大変だなあという気がします。
昨日こんな会話をしてみました。
「○○子、友達出来た?」「うん、○○ちゃん」「いいなあ、お父さんは居なかったよ」「え?なんで?」(以外な顔)。「お父さん話が苦手だったから」
「へえ、○○子とおんなじだ」「でも自然に友達できたよ」「どうやって?」
「え~とね、お父さんが好きだったTV番組を同じく好きだったヤツがいてさ、すごく盛り上がったのさ」「そーなんだ。それで友達になろうって言ったの?」「いや、いちいち友達になってくださいなんて言わなくても休み時間のたびにまた何回も話をすればいいのさ」

こんな感じでした。。

さっそく娘は妻に報告したみたいです。


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