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題名: 息子の緘黙症は私が原因
投稿日時: 2010-06-03 00:04:48
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小学四年生の息子が居ます。
保育園のころは緘黙に加え、緘動もあったように思います。
学校に行きだしてからは、成長と環境の変化もあり
緘動はほとんどなくなりました。
話すことや、友達と交わることはは今でも出来ませんが、
学校の理解と協力もあり、
今は休み時間にクラスメイトとドッチボールをすることが出来ます。

息子の場合、緘黙の原因は私自身なのではと思っています。

私は学生のころから、友達との付き合い方は「とても狭く、とても深く」
でした。
クラスメイトとは楽しくおしゃべりするけど、
一緒に帰ったり、トイレに行ったり行動を共にするのは
親友と呼べる子だけ。

親友が学校をお休みすると、もう私はその日は一人だと感じていました。
他の子を受け入れられないのではなく、遠慮してしまうのです。
あの子には他に親友がいるから・・・と。
深い仲でなければ行動は共にできないって。
「一緒に帰ろう」などとはいえませんでした。

就職しても同期の三人と仲良くなりました。
一緒に呑みにいったり、旅行に行ったり、いつでも一緒でした。
だけど、他の人とは社内で楽しくおしゃべりはしても
仕事時間外に誘うことも誘われることもありません。

私はいつでもそんな感じです。
今もそうです。
楽しく井戸端会議するママ友はいても、ランチに行ったり
子供の行事に一緒に参加したりする友達がないのです。
もう出来上がってるグループに入ることが出来ない。

私自身、なんか話しにくい雰囲気があるんだと思います。
複数で楽しく話せても二人になると空気が重いというか
会話が続かなくて、相手もなんだか早く切り上げたいと思っているのが
わかります。


今、年長の娘が居るのですが
今日、幼稚園の行事に行ってきました。
終わってから園庭で遊びたいと娘は言ったのですが
たくさんの子供が遊んでいる間、周りで子供を見守りながら
立話ししているお母さんのグループがたくさんある中
私は一人でいるのがたまらなく嫌でした
グループに所属していない自分を見られるのが恥ずかしいと
思ってしまいます。

息子の時もそうでした。

私が人目ばかり気にしたり、いろんな人と交わりあえない性格がゆえ
子供からたくさんの機会をうばってきたのです。
公園や公共の場には連れて行けても
お友達の家に行ったり、きてもらったりすることも殆どなかったのです。
緘黙症には色々ありますが、むすこの場合、私が原因だと言えます。

分かっているのに、どうしようもなくて
くだらないと思いながら、どうしようもなくて。
息子と娘に申し訳なくて。
私がもっとお友達が多い、家族ぐるみで付き合えるような性格なら
息子にももっと、場慣れさせてあげれたはずなのに!

子供より自分を守ってしまっていたのでしょう。
情けなくて、腹立たしくて。

本当にくだらない、愚痴を最後まで読んでくださって
ありがとうございます。
こんなこと、恥ずかしくて親にも夫にもいえませんでした。


題名: maiさん こんにちは
投稿日時: 2010-06-03 13:38:29
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 元場面緘黙症児(あくまで自己診断)のかいわれと言います。

 書き込み読ませていただきました。

 くだらない愚痴などと思いませんで、ある意味では、世の中を渡っていくうえでのmaiさんの苦悩が書かれてあり、深刻な部分があるのではないか?と感じました。

 幼稚園時代に緘動や緘黙のあった息子さんが、小学校にあがり環境と共に、そのような症状が無くなってきたことは良い事でしたね。

 場面緘黙が悪いことだ、とmaiさんはお考えではありませんか?
 一つの個性として捕らえてあげれば、もう少し息子さんの見方も変わってくるんじゃないでしょうか?

 これまでのmaiさんの生き方を振り返るに、付き合いが深くて狭かったり、いつも話さない子とフランクに付き合いができなかったり、今でも、ママ友さんとランチする時間が持てなかったり――こういった、maiさんの社会との接点の、ご自分で思うところの不十分さが子どもさん達に影を落としているんじゃないか――と思うんですね。

 「かんもくネット」が出している書籍『場面緘黙Q&A~幼稚園や学校でおしゃべりできない子どもたち』角田圭子編 学苑社――にも「『場面緘黙』は遺伝しますか?」の問いに回答があります(p.22)。

 「抑制的な気質をもつ子どもが、場面緘黙などの不安症状を示すかどうかは、子どもがどのような環境におかれるかが大きいと思われます」と同書に書かれてあります。

 「緘黙児の家庭に、極端に内気な人がいることが多いと言う研究があります~(中略)~緘黙児の中でも抑制的な気質の影響は小さい場合もあることを示唆する研究があります」(同)

 ――つまり子どもに抑制的な素養があっても、必ずしも場面緘黙に至るとは限らないということです。

 さらに「発症に影響した特別な出来事や神経生物学的な問題が見あたらない場合は、抑制的な気質が発症に大きく影響しているのではないかと思われています」ともあります。

 注目する点は三つですね。
 1)mai さんの息子さんが抑制的なお子さんかどうか?
 2)maiさん自身が極端に内気であるかどうか?
 3)特別な出来事や神経生物学的な問題が見あたるか否か?

 3)に関しては文面からはなんとも言えません。

 特にmaiさんが気にしているのは2)かもしれません。
 しかし、私には、どうもそうは思えないんです。

 ①maiさん自身場面緘黙ではなかった。
 ②学校でも就職してからも親しい友達ができた、いた。
 ③今でもママ友がいる。

 ――というのがその理由です。
 しかし、maiさんとしては②③あたりが自分は不十分ではないかと、お考えなんでしょうね。

 ただね~、自分は自分で良いんじゃないでしょうか?
 
 他人と自分を比べるのはそりゃ自由ですけれど、「他人の人付き合いに比べて自分のそれは50点はおろか、僅か30点にも届かないかもしれない」などと思っているとしたら、そのように自分を卑下する必要はないように思います。

 「付き合いが狭くて深い」と仰せですが、それだけ、気持ちの深い部分での人付き合いができる証ですよ。

 「既存のグループに入り込むことができない」とも仰せですが、誰でも、気後れするものです、そう言うときは……。

 maiさんの中に「理想の人付き合いのスタイル」みたいなのがあって、それに合わない自分は「十分人付き合いのできない人」であるかのように聞こえます。

 どうか自分で自分のことを「裁かない」でください。自分を痛めつけることは辞めてください。

 今回はこのへんで一旦ご返事を辞めてみます。


題名: ありがとうございます。
投稿日時: 2010-06-11 19:44:00
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返信、大変遅くなって申し訳ありません。
温かい発言ありがとうございました。

最初の投稿をしてからも、私はずっと自分を客観的に見ていました。
グループで会話ができても、二人になると話しにくい・・相手も話しにくそうにしています。
二人だけで話し込んでいるお母さんたちを見たりすると、
心からうらやましいと思います。

学生時代やOL時代に仲が良かった友達とも
今はもう年賀状だけの付き合いになってしまっています。

私はアダルトチルドレン・・ではないかと思っています。

私は一人っ子で母子家庭で育ち、
今、思うと母は働いてお金を残すことに必死で、私はいつもほったらかしにされていたように思います。
小学生の頃、熱を出しても仕事は休めないと出勤していました。
夜や日曜日は母の女友達がやってきて、家はたまり場となっていました。
いつも、母の顔色をうかがってビクビクしていた頃もあります。

結局、自分も何らかの問題があり、
それを解決することが出来なければ、緘黙症の息子をきちんと
受け止めてあげられないのではないかと思うようになってきました。

今の私の状態では、下の娘まで人とかかわる機会を極端に減らしてしまうことになるのではないかと、思います。
幼稚園が午前保育のとき、大部分の人は午後からはお友達親子と遊ぶ約束したりするのですが、娘にはそういう機会を全く与えてあげれてません。お天気がいい午後、家でビデオを見ている子供を見ると、本当に申し訳なくって・・。

どこか、心療内科などに行ってみようかとも思っています。

なんだか、緘黙症の息子のことより、私の相談になってしまって申し訳ありません。


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