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4 件の記事    1   
題名: 克服できました
投稿日時: 2007-04-13 13:03:03
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私は小6まで極度の場面緘黙症でした。
しかし、中学入学と同時に克服できました。
それまでは学校では笑う時も声は出せませんでした。
ため息の声すら出せませんでした。
3、4年の頃が一番ひどかったです。当時の担任の先生は睨んだ目で声を出すことを強要しました。私のことを「おし」と呼んだこともあります。国語の音読で指された時などは、皆に注目されながら蚊の泣くような声で読みました。学級会で私がしゃべれるようになる方法を議題にされたときには心が傷つき、初めて皆の前で泣きました。でもその時も声を出して泣くことはできませんでした。友達は皆同情の目でした。首を縦や横にふったりすることとほんの少しの笑顔だけが友達とのコミュニケーションでした。今思えばいじめられなかったのが不思議ですが、勉強ができていたので皆から一目置かれていたような気もします。いつもひとりぼっちでしたが、いじめが無いことだけが今となっては救いでした。
5、6年の担任の先生はしゃべることを決して強要しませんでしたし、
笑顔で話しかけてくれたり、いろいろ褒めてくれ、皆と同じように接してくれました。場面緘黙症は続きましたが、気持ちはだいぶ楽になりました。
親には言えませんでしたが、転校をして違う環境の中でしゃべれる自分になりたいと強く思うようになりました。このままではいけないことがわかっていました。自分が大人になった時に生きていかれるのかどうかと心配でたまりませんでした。
実は中学入学といっても、私立の女子小学校だったので60人の小学校の友達はそのまま全員同じ中学に行きました。でも、中学から新たに100人が入学してきたことと、先生が全員違ったことは私にとって変われる「最初で最後のチャンス」に思えたのです。
中学入学と同時にしゃべるようになった私のことに皆驚いたに違いありません。
でも、皆は私の勇気をあたたかく受け入れてくれました。
もしも驚かれたりしたらまた逆戻りしていたかもしれません。
でも、自然に受け入れてくれ、お陰で親友もできるようになりました。
環境を変わることをきっかけに勇気を出すことは気持ちの中では簡単ではなかったけれど、つらい自分のままでいることがもう耐えられなかったから勇気を出すしかなかったんです。
その後大学に進学し、就職しました。25歳で恋愛結婚をし子供を二人生み、今44歳です。
おそらく今の私が小6まで場面緘黙症だったなんて誰も信じられないかもしれません。


題名: はじめまして
投稿日時: 2007-04-14 13:08:36
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ぴょんこと申します。よろしくお願い致します。

3.4年生という一番大切な時期に、とてもつらい思いをされたのですね。読んでいて涙が出てきました。本当に、先生や専門の方に正しい知識と正しい行動をとってもらいたいと強く感じました。

私の、友達も小学生の時代に、むりやりしゃべることを強要されたり、先生自身が無視されとと誤解し、ビンタをされ、廊下にたたされたり、おまえが話さないからみんなが迷惑している。話すまで授業を進めないと1時間中立たせ、クラス全員でしゃべることを待ち続けたこともあったそうです。

彼女は大人になった今も、会社で電話が怖かったり、会議で発表ができず、上司に叱られたり、と後遺症で苦しんでいます。人も怖いし、一生結婚もできないと人生に悲観しています。

学校側に少し配慮を求めただけで、わがままな親、過保護すぎると怒られたり、怒鳴られたり・・・緘黙で苦しんでいる親子は、とてもいい人ばかりなのに、とても傷ついているのが現状です。

さつきさんは、克服できて本当によかったですね。


題名:
投稿日時: 2007-04-15 15:43:28
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ぴょんこさんの過去の投稿記事をすべて読みました。
ぴょんこさんは 場面緘黙症に親子で立ち向かっていてステキだなと思いました。
場面緘黙症にもいろいろなタイプがあるようですね。
私は、不登校ではありませんでした。(高校まで皆勤賞だったほどなんです。)
でも、3、4年の時は、学校へ行く足が毎朝重かったのは事実です。その頃は私も子供だったので、風邪などの病気以外で休むことは絶対許されないことだと思っていました。学校へ行くことは義務のように感じていました。
私が希望を持てたのは、高学年の時の先生のひとことだったんです。
おはようやいただきますなどの日常の挨拶の話の最後にこう言ったのです。
「ニコッとするのも挨拶のひとつです」そのときにわたしの顔を見てニコッとしてくれました。ニコッと返せたかどうかは忘れましたが、うれしくてうれしくて。それからはいつもニコニコすることを心がけました。相変わらずことばは出なくても、ニコニコならできました。それからは授業の時には先生の話をよく聞き自然に相槌をよく打つようにもなり、そのことを先生に褒められました。テストの点が良いときも皆の前で褒めてくれました。
ことばのやりとりが一番簡単なコミュニケーションかもしれないけれど、
笑顔や人の話をよく聞くこと、相槌をうつことだって大切なコミュニケーションだと教えてくれた先生でした。先生に認められて自分に自信が持てたことが中学から変わろうという気持ちになったのだと思います。
元場面緘黙症の私の例を少しでも参考にしていただけたらと思っています。


題名: さつきさんへ
投稿日時: 2007-04-19 13:52:49
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 72
私の投稿記事を読んでくださったそうで・・・はずかしいです。感情的に勢いでかいたことも多かったので・・・でも、うれしいです。ありがとうございます。

さつきさんの高学年の先生のような人ばかりだったらいいのにと思いました。学校の環境、とりわけ先生の存在はとても大きいのですね。

新学年になって、まだ、新しい先生とはお会いしていません。電話でのやりとりでは、とても優しく、娘のことを必死に理解しようとして下さっているので、本当に感謝しています。

学校・・・楽しく通える日が来るといいなぁ


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