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ごぶさたしてすみません~! しばらくKnetに行っておりました!
おお、鬱憤たまったときはボクササイズでもおやり下さいませ!
わたくし進んでサンドバッグやりますので~
カラダの痛みなら慣れてますので(冷汗)
こちらもいろいろとご負担お掛けしていた節もありますしね
最近、ほめたり、やさしいこといったり、ふざけたこと話したりすると怒られるのかなあとか、まわりを気にしてばかりで
確かにまともなやりとりになってませんでしたね(苦笑)
どうぞどうぞ、最初みたいに、テキトーにおちょくっといてくださ~い!
いつもいつもありがとうございますっ!!(^^) 感謝感謝です!
現在、思考の整理中です。
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はじめてのときからずっと思っていたのですが、ねこうさぎさんって
ご自身の欠点(弱点?)をあかるく打ち明けるのがお上手ですよねー(^^)
ねこうさぎさんは、もうすでにオープンに打ち明けるのができてるんですね!
すごいです!(^^)
実は、それをみて見習わなきゃと思ったところもあるんですけど(^^)
社交不安のことも特に気にしていないで、ぽんぽん言えちゃう所が、
ねこうさぎさんの安心感とか、ひとなつっこさに繋がってる気がする・・・・
自分の欠点をすなおに打ち明けられるっていうのも、それ自体がもう長所なのかも!?
ねこうさぎさんの文章をみていると、不安や欠点を語っていても、
卑屈さや、重苦しさというのがないんです。
それって、なかなか他の当事者がマネできないことだったりするんですよ。
他の当事者って、けっこう暗い話し方がおおいので(それでつられちゃうんだよね)・・・・
なんでできちゃうんですか?
実はそれ訊いてみたかったんですけど・・・・・
ご自分のことについてどう思っているのだろうとか、ずっと考えてました。
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実際、「なかなかおもしろい人だなあ」なんておもってました(^^)
実は、それが理想で、自分たちの不安について、ポジティブな解釈(?)みたいなことをして、
かる~く共有していくくらいがたのしくて(気がラクになって)いいんじゃないかと思ってました。
なんだか、みんな最後はグダグダ言っておわるやりとりが多いので・・・
「ひどいよねー、学校の人って」みたいな・・・・
「ああ、私達ってダメな変人、暗くて失敗ばっかで・・・・ね、ね、ね? もういやになっちゃうよね、ね、ね。」
・・・・・・・要するに、研ナオコの歌みたいな(笑)
まあ研ナオコもいいんですけど、「もうなんかアタシタチってホントそそっかしいよね~?(アセアセ)」
「ホント、そうだよね~ ^^) 。でも、ま~、そんなもんだよね❤ 大丈夫大丈夫~☆」
こっちのほうが安心感あっていいとおもうんだけど~~・・・・・
僕もこれだったら喜んで「オネエ言葉」多用しようと思うのだけど、だめなの?
まあ、いろんな性格があるからいろいろあっていいとは思いますが。^^
そんなかんじです、ねこうさぎさん。
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ひとつ。(knetにも似たようなことを書いたんですが)
「配慮」というのは、一般的に
自分の内的状態をうまく自己処理できない側(=ゆとりのない側)が、
ゆとりのある側(=多くは健常者)に求めるものですが、
だからといって、ゆとりのある側に、
「聖人君主のようにカンペキに振舞え」ということではないような気がする。
それを求めるのはやや徒労が多すぎるような気がする。
そりゃ、無理です。ぜったい。
感情の起伏がある「人間」として生きている以上、
怒ったり、ケンカしたり、つらくなったり、泣きそうになったり、・・・・が当たり前。
それぞれコンディションもあるのだし、
ーーそれに、こちらが知らない大変な事情もいろいろあるのだし、
いつもいつも最高のコンディションで付き合ってくれというのは無理です。
つまるところ、理解を求める側にも、
「理解を求める以上は、理解をしてくれる相手のことも理解しよう
(=こちらもうまく対応してもらえなかった時に許せるだけの大らかさを持とう)」
というギブ・アンド・テイクの精神が通常は求められると思います。
むずかしいですけどね。・・・・あと感謝。関係を維持したいならば・・・・
(もちろん、年齢により求められるものは変わってきます)
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上記にあるように、
「相手だって、こちらがまだ知らない事情を抱えているかもしれない。
相手の一部を理解できていたとしても、
相手の全てを理解できているわけではないかもしれない」
と、考えてみるのが、謙虚になるためのコツなのでは?
とかいって、余裕がないときはむずかしいんだけども・・・(><)
実際、文字からの情報だって、かなりの誤解が含まれているものだし、
「欠点を打ち明ける」のコラムにもあったように、
『人は聞きたいように話を聞く(認知する)』ものなので、
自分が求めているような理解の形というのはそうそう簡単に手に入るものではないのでしょう。
理解する側も理解する側で、むずかしい自己コントロールが求められるので、・・・。
8割とか6割とかくらいが合格点なのでしょうか・・・・?
超敏感な感性や読解力を持っていて、苦労まみれで世情に通じていて、なおかつ霊感まであって、心理学の知識をカンペキに使いこなせ、コミュニケーションや自分の生活管理をカンペキにこなせる人・・・・・がいたなら実現可能でしょうが。
個人的には、「わかるわかる」みたいな共感はともかく、
相手の事情を汲むといった場合において、
「私はあなたのこと(=事情)をちゃんと理解してます」とはとても言えません。
「自分は何様のつもりだ」って思ってしまいます。
「わかる範囲で頑張ってみますね」というのが基本的な僕のスタンス・・・・
で、実際にわかってほしいのは、そのわかる範囲の外にあるものだったりする。
というのも、実際、人は本当に悩んでいる部分などをなかなか相手に話せるものではないからです。
こわくて隠すことも多いいです。一番にわかってほしい部分はごまかしたりするもので・・・・
だから、僕の基本的なスタンスというのは
「こちらには見せない苦しみがあって、僕の見えないところでいろいろ苦しんだり、悲しんだりしてるんだね。わかってあげられなくてごめんなさい。でも、できる範囲で理解してあげようとは思ってますよ」
というもの・・・・正しいのかはともかくとして・・・・。
最終的には、ぶつけたい思い・行き場をなくした思いというのをキャッチしてあげる、
受容してあげるというのが、「相手にとっての理解」になるのかなと・・・。
そうなると、最初に述べた理解とは少し意味が異なってくるのですが・・・。
吐いてもいいんですよ、と存在を保証してあげるというのか・・・・
「打ち明けにくい思い・事情を吐き出してもいい自分」というのを確認させてあげるというのか。
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なんだろう、世のなかは、
「事実(正論・原理原則・行動面などの表面的なもの・精神論)に重きをおく人」と
「きもち(相手の心情・個々の事情・コンディション)に重きをおく人」の2種類にわかれますね。
それと、「私」を軸に思考や会話を構築していく人と、
「あなた」を軸にそれらを構築していく人の2種類にわかれるようです。
たいてい、どちらも自分の価値観と同じものを要求することが多くなるでしょう。
それと、自負心が強いほど、(最高点じたいが高いため)要求水準も高くなるといえるのかもしれません。
一般的に、事実を重んじる人は「私」を重んじる傾向があるのでは?
こちらのほうが合理的で、自分に厳しく律していけるというメリットがあるので、
自己実現には強いとおもいます。ただ、にぶいねと言われることも多くなりがちではと・・・・。
気持ち云々は切り捨て、ただ厳しさを他人に要求することが多くなりがちなので。
アドバイスを求めても、ルールなど、容赦のない原則論がかえってくることが多くなるでしょう。
基本的に、強くなる努力をひたすらしていくタイプ。
うちの父親はこちらだろうと・・・・。
一方の、きもちを重んじた場合、カウンセラーのように他人の気持ちを汲むのはうまいのだけど、
繊細な自分の基準に 周りのレベルがついてこないため、
「世の中の人はにぶいのばかりだ」というフラストレーションがたまるかも・・・
こちらはこちらで、人の感情の機微を汲み取る努力を日々していたりするものなので。
こちらは自分かな・・・・。強迫的なわりにけっこう女々しいです。
どちらがいいとか悪いとかは言えません。
どちらにも長短あります。むしろ補完しあう関係なのでは?
どちらも、自分の水準に合わない人(異質な存在)を目にすると、
今までの自分の努力(もしくは努力の方向性)を否定されたような気持ちになり、
怒ったりするのでは???
まあ、そんなかんじです。
僕は、兄弟が自閉症なので、
世間の人とはまたちがう物差しを自分の中にもっているのですけれども。
自閉の感覚は、そう簡単には一般の人間にはわかりませんね。
小さい頃からしょっちゅう健常者が自閉圏の人間の不満をいって
いじめたりケンカしたりしているのを見てきてますので、
世間も世間でこんなものだという思いもあります。
重度の自閉症の人について、「わかってくれない」というような会話
(実際には、もっと努力して周りの事情を汲んで行動してくれればいいのにねという不満。これぐらい言わなくてもわかるだろう、常識だろうみたいな・・・)
を目にしていると、「わかってないなあ(健常者は)」と思ってしまいます。
自分じゃどうにもならないんですから。どこかに限界があるのだから。
はっきりいって、うちの自閉の兄弟に、こちらのきもちを理解してもらったことなんてないです。
こちらが傷つくのは覚悟しないといけません。
でも理解のない一般の人はそれができず、自閉圏に文句をいう事が多いのですけれども。
率直に申し上げれば、自閉症をバカにされると個人的に腹が立ちます。
そうはいっても、店とかで残酷な光景を目にしてしまうんだよな。
特に女子高生。言葉を選ばない。まるで奇人扱い。それを見て、傷ついてしまう自分・・・・
本人も一生背負うし、家族も一生発達障害を背負って偏見に耐え続けていく宿命なんですから。
それをみて、これからも耐えていかなければいけないのだなと自覚するというか・・・・
まあ、自分の場合は、兄弟の自閉症の特性に配慮しすぎて、飲み込みすぎているのかもしれないです。
それも自分が拡散していくひとつの要因かもしれない・・・・
いつも調整役のポジションばかりやらされるから・・・・
翻訳もそうだけど、いろんな立場に立って考えてみるというのはむずかしい。
自分もおせっかいなところがいけないところです。
たぶん、いらぬことをするのには、強迫の影響もあるのだと思います。
では、話がまとまってないですけど、この辺で切り上げます。
変なことをいっていたらどうしよう・・・それと迷惑かけていた人がいたらごめんなさい。