けいこ
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題名:
SMJ翻訳チーム資料「原因」「病因」について
投稿日時: 2006-11-05 13:17:40
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登録日時: 投稿記事数:
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「原因」は・・・?
SMJ翻訳チームの文献は、次のような仮説を元に書かれています。
・場面緘黙症はいろんな要因が複雑に絡んで発症する。 ・遺伝的素因として、非常に感じやすく内気な気質を持つ。 ・「環境」は子どもに大きな影響を及ぼすが、 家庭の環境(養育態度等)が「原因」とは言えない。 ・虐待やトラウマ体験、ストレスの多い環境がなかったら、 症状が出ずにすんだ子がいる。
◆日本で現在出版され流通している文献には、家庭環境の要因・養育態度などが心理的要因としてあげられているものが多いです。
◆SMIRAの資料には、「1つの原因ではなく、情緒的、心理的、社会的要因が発症に影響を及ぼす」としか触れられていません。
◆Helping your child with selective mutism では、5つの要因 ①子どもの気質②家系的な歴史(遺伝と家庭状況の影響)③発話・言語障害④新しい文化への適応 ⑤学外での学校の友人とのわずかな交流、があげられ、「場面緘黙症の原因は一つだけではなく、もっと複雑である」とあります(P25)。 「養育スタイル(例えばしつけの方法など)や、その他の家族関係やコミュニケーションの方法といった家族特性について調査したが、場面緘黙症の子どもの両親と場面緘黙症でない子どもの両親を比較しても差異を確認できなかった(P28)」「家族の機能不全レベルでの違いを認められなかった(P32)」とあります。 一方で「トラウマティックな出来事が引き金になって、発症した場合もあるということは否定しない(P32)」「家族の機能障害の反応として発症したケースもある(P33)」とあります。
◆SMartセンター資料では、不安になりやすい遺伝性素因説が有力とされており、そこに影響するさまざまな要因を「増幅要因」「危険因子」としてあげています。感覚統合障害(DSI)、会話や言語の障害、環境面ではバイリンガルの環境、ストレスの多い環境があげられています。「ストレスの多い環境は危険因子のひとつではあるでしょう。しかしたとえば虐待や、ネグレクト、トラウマなどが場面緘黙症の原因とする考えには、全く何の根拠もありません」と書かれています。
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私の、なんとなくの個人的なイメージの話です。読み流してください。
(冨氏さん、たとえ話でごめんなさい!)
子どもはみんな、心の中にちいさな「泉」を持っている。
たくさんの川から大量の水が流れ込んで、
泉が洪水になりそうな時、
これ以上水が入らないように、
川の堰がしまることで、洪水から自分の泉を守る子がいる。
それが、緘黙の発症じゃないのかな。
緘黙の子の泉は、大きな川やあちこちに川があって、
たくさんの水が流れ込みやすい形になってるのかも。
ほかにも、発達上の問題を持っている子の泉は、
洪水になりやすい地形や地質等を持ってるのかもしれない。
虐待や、ストレスの多い環境に長い間さらされると、
不安の大雨で、どんどん水位が上がる。
トラウマティックな体験は台風のよう。
それで、堰がしまって自分を守る子もいるかもしれない。
泉に流れ込む水量を少なく(不安の軽減)
周りを固めながら、泉は大きくなって、池になって、やがて湖になる。(自信をつける)
流れ込む川も流れ出る川も、しっかりできていく。(自分の表現や人との交流体験)
そうやって、
かなりの雨でも、いっぱい水が流れ込んでも、大丈夫な川と湖がができていく。
大丈夫な分だけ、川の堰が少しずつ開いていく。
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かいわれ
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題名:
かいわれ
投稿日時: 2006-11-05 18:45:33
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登録日時: 投稿記事数:
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はじめましてかいわれと申します。40代♂自称元場面緘黙症児です。場面緘黙症についてはつい最近知ったばかりのかけだしです。学問的な裏づけのない私の思い込みですが、場面緘黙症の原因を以下のように考えています。 すいません、このページの使い方がよくわからずさっき1時間ほどかけて作文したのがクリアになってしまったので、ここまでで試し送りさせてください。
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かいわれ
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題名:
勝手な思い込みですが……
投稿日時: 2006-11-05 19:15:33
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登録日時:2013-10-18 04:45:31 投稿記事数: 367
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(つづき) 失礼しました。うまく送れました。ログインし忘れていたようです。間違えて。件名を「かいわれ」にしてしまいました。
私の考えは以下のとおりです。
①場面緘黙症は一つの防衛機制であろうこと ⇒防衛機制というのは自分の中に心理的葛藤が生じた際に、気持ちの平静さを保つために、意識的、無意識的にとられる、こころの対策である、ということは皆さんご存知かと思います。 イソップの寓話で、高いところのブドウを採れなかったキツネが「あのブドウは酸っぱいサ」と自分を納得させた話は有名です。あれと場面緘黙症は根っこが同じじゃないかと……。たとえば多重人格も、辛い体験から逃れようとするこころの動きの重なったものといわれますし、いわゆる“ひきこもり”も全て自己防衛のひと方策と言われています。本人も不合理に感じており、周囲も理解し難い。だけど辞められない(引っ込みがつかない)ってことは、こころの葛藤が白旗挙げていることがほとんどですよね。
②原因は先天的な要素と後天的な要素の合体であろうこと。 (1)もともと生まれもった素因がある 敏感、感受性が高い、おとなしい、人見知りが強い、などの傾向が高いことが前提であることは文献でも明らかです。将来、自閉症圏の方が脳に機能障害を有していることがわかったように、我々も(そのとき)脳の働きになんらかの要因があることが判明するかもしれません。脳の働きについては“実はほとんどわかっていない”と現役の医者が言います。
(2)心的外傷(の積み重ね)が(1)に加わる。 素因だけでは場面緘黙症としては実を結ばず、親の悪しき養育態度だったり、兄弟のいじめだったり、様々なエピソードがあった場合、(1)ゆえ、解消されにくく、よりナイーブなこころの状況を形成する。
(3)幼稚園・学校という舞台に出て発症する 慣れない環境――たくさんの人、時間で管理される――でこころの緊張はピークに達します。「黙っている」ことを選ぶと楽なんですね。一つの態度で良いから……。その都度態度や気持ちをことばにしなくて済みます。だけど、ひがな一日気を張っていたら(黙っていたら)疲れます(実際は学校にいる間だけでも十分に疲れる)。休憩をとるとすれば自宅です。学校ではスイッチオン、家に戻ればスイッチオフ。これで場面緘黙症の完成です。
(1)が種で、(2)が水や肥料、(3)が畑、3者揃って実を結ぶんじゃあないかって思います。――こりゃあ自分の幼少期の振り返り描写だな。 「あんたの言うことは、もうとっくに他の人が言ってるわー」だったらごめんなさい。
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ルディ
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題名:
かいわれ説に賛成です
投稿日時: 2006-11-05 21:04:09
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登録日時: 投稿記事数:
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かいわれさんはとても客観的に考えられていて 素晴らしいと思いました
もしかしたらこんな言い方は失礼かもしれませんが うちの次女を見ていても感じることは 場面緘黙になる方たちはたいてい とても内省的で思慮深く、洞察力に優れ たいへん謙虚で、また繊細で豊かな感性をお持ちであり 静かな環境、穏やかな状況を好まれるのではありませんか? 小さなもの弱いもの美しいもの懐かしいものなどに心を寄せ、 また暖かいユーモアをお持ちだったりする・・のではありませんか? きっと、他の人が気付かないようなちょっとしたことにも心をくだき、 丁寧に大切に考えているのです この子達の内面の世界は とても広く深く豊かなものだと思います ですから芸術的センスにも、もちろん優れていますね 想像力の無い人には また外に現れる表現だけしか見ようとしない人には この子達の素晴らしさを決して理解することも 育てることも出来ないでしょう
なんて・・ちょっと親バカでしたでしょうか?
まあ、そんなところがあるのですから、 ルールをまだ身に着けていない子どもの集まるような野生的(!)な 環境が、この子達にとってどんな印象のものとなるかは なんとなく想像がつきますね
またこのように繊細な子供たちにとっては かいわれさんが(2)で書かれている心的外傷は いたるところにあるのではないでしょうか もしかしたら他の子にとってはなんともないようなことも この子にとっては大きな「外傷」となってしまうこともあるかもしれません
気にかかるのはこの「心的外傷」という言葉を使うことです 家族内ではさして問題とならないかしれませんが もし家族が家族外から言われる場合を考えて 慎重に言葉を選ばなくてはならないのではないかということです 例えば「虐待」という風に言い換えられたとき 家族が社会的に追い詰められる可能性があると考えられます 親として、学校等に子供に対する理解と援助を お願いいなければならない時に そのことが障害となるかもしれないことを 考えておかなければならないと思います
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俊太
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題名:
僕の場合は
投稿日時: 2006-11-05 21:09:29
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登録日時: 投稿記事数:
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僕の場合はもともとなりやすい性格(人の目を気にする性格)に 体が小さい上に早生まれで体力的にも精神的にも不利だったのと 入った幼稚園でトラウマまではいかないけど 劣等感を痛く味合わされたことだと思います。 他の緘黙の人のホームページを見ると 僕以外にも入った幼稚園・保育園でひどい目に合わされたという人 結構多いような気がします。
僕が思うに環境=親の養育態度と言うわけでなくて 環境は親の養育態度だけではなくて幼稚園・保育園や学校での環境もあるんじゃないんでしょうか。 あと本人の資質も性格だけでなく肉体的に不利だったりするのも影響するんじゃないかなって気がします。 なりやすい性格にもすごくなりやすい性格の場合もあるし ちょっとなりやすい性格もあるだろうし 環境もちょっと環境が悪いとかすごい環境が悪いとか それらが複雑に絡み合っているんじゃないかなって思います。 だから緘黙の症状も人によって様々で重い緘黙もあれば軽い緘黙もあって 単に重い軽いで分けられないこともあるんじゃないんでしょうか。
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かいわれ
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題名:
まるでガラス細工です
投稿日時: 2006-11-06 10:31:38
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登録日時:2013-10-18 04:45:31 投稿記事数: 367
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ルディさん “素晴らしい”と賞賛してくださりありがとうございます。
「心的外傷」という言葉にひっかかるものをお感じですね。もともと精神分析の用語で、一般に使われるきっかけは阪神淡路大震災の時だと思われます(このときはPTSDに至る要因ということでのトラウマでしたが)。マスコミなんかでも“トラウマ、トラウマ”と言葉が独り歩きしています。 『心理学辞典 有斐閣』によれば「心的外傷(psychic trauma):……人がショックやストレスを引き起こす過度な情動体験をしたとき、それが精神的に適切に処理されないまま抑圧され、コンプレックスとなってその後の神経症的症状形成につながる……」とあります。 本来は無意識に追いやられている体験を指すようです。単なる「嫌な思い出、失敗談」をトラウマと言ったり、あまりにも安易に言葉を使いすぎている感じがします。
それと、おっしゃるように“過度な情動”の“過度”はストレス・ショックの発し手だけではなく、受け手の課題もあるものと思われます。 靴を履いて岩場を歩くことはできますが、裸足で歩くのは辛いし、皮が擦り剥けます。あるいはワークブーツでなければ痛くてしょうがないハードな岩場もあるでしょう。言うまでもなくこの場合の“アシ”は我々の心の敏感度合い、感受性を指しています。岩場に悪意がなくてもアシによっては“十分にこたえる”わけです。いっそのことを岩場を避け、砂浜を歩けば裸足でもOKでしょう。しかし人生避けてばかりはいられません。
ある言葉(得てして専門用語)を聞くと、自分なりの理解・イメージでその言葉をとらえるのが人間ですから、おっしゃるように気をつけて使わねばなりません。特に家族の中で「トラウマ」というと、犯人探しをして、たいてい親が悪く見られますよね。ここの掲示板を覗く方はある程度の見識をお持ちだと考え用いました。「こころのキズ」でも良いんですが……。同じですかね。
また学校への協力を求める件ですが、「私たちは岩場です」という両親はいないように思えます。「岩場だから私に頑丈な靴をちょうだい」といえる子どもも場面緘黙症にはなりにくいでしょう。親が少なからず、子どものストレス因子になっている際に、それに気づけたならば、子どもも好転するんではないでしょうか?もちろんすぐに、簡単にはいかないでしょうが……。
場面緘黙症に陥りやすい子どものイメージ(次女さん像)を上げてくださいました。内面は非常に豊かなんだけど、表面に出てこない。自分で言うのもおこがましいのですが、まさにそのとおりです。次女さんのそのような特性(個性)を見抜いてあげられる母親でおられるルディさんは素晴らしいと思います。「聡明な親ばかさん」だと思います。これは褒めことばです。 いくつか私の例をあげます。食べ物の痛み具合を一番に指摘する。人ごみや渋滞が嫌い。音に関しても敏感です。こないだ講演を聴きに言ったとき、マイクのチューニングが少し大きく(講師の声が大きかった?)30分もしないうちに頭痛がし、我慢してたら首が痛み出し、吐き気さえしてきて、講師には悪いと思いながら(ここもそう)途中で出てきました。それと中学のとき、地震(たいした震度でなかった)を敏感に察知し、いの一番に机の下に隠れて教師や同級生に笑われました。ささいなことが、嬉しく、苦しく、美しく、悲しく感じられます。……あげだしたらキリがありません。
エレインNアーロンという心理学者が提唱したHSP(Highly Sensitive Person:とても敏感な人々)というのをご存知でしょうか?本も出ていますが、まさしくそれです。
俊太さん ご意見お聞かせくださりありがとうございます。
私も早生まれで同級生より精神発達も相対的に遅く、体も小さく、やせていました。こういうことも大いに影響すると私も思います。自分が背が高く屈強な体の持ち主だったら人生(良くも悪くも)変わったと痛感しています。
幼稚園・学校の環境もおっしゃるように大きいと思います。言葉は悪いのですが「客層の悪い学校と、良い学校」では子どもへの影響、とくにHSPには大きな違いです。私は、自分と同じような傾向のある息子の行く末を案じ、幼稚園から中学校(現在)まで私学(客層が良い、だけど学費が高い)に行かせました。金で買える環境を揃えてやりました(子ども一人なのでなんとかなった)。
結局、環境というストレス因子も、環境自体の良い悪いがまず問われる。それは仮にささいなことであっても、長い間絶え間なくかかることで痛手が大きくなること。受け手の感受性の問題が次に問われる。これらがからみあって“症状化”するんだと思います。
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かいわれ
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題名:
大風呂敷を広げるのは辞めよう
投稿日時: 2006-11-06 11:04:27
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登録日時:2013-10-18 04:45:31 投稿記事数: 367
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件名は自分に宛てています。 過去の投稿をよく読みもしないで、長々と大風呂敷を広げている自分を恥ずかしく感じました。 けいこさんの川~池~湖の例えはイメージし易いですね。 原因、要因、素因など似ているような言葉は適切に用いないと大きな誤解を生みますね。 わたしも自分の経験、想いを皆さんに聞いて欲しいのだと思います。 不快に思われた方、たいへん失礼しました。
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ルディ
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題名:
たとえば
投稿日時: 2006-11-07 12:29:11
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登録日時: 投稿記事数:
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かいわれさん、そんなに反省なさらないで下さい 大丈夫です
ところで、疑問なのは たとえば全くストレスが無くても (ストレスの水遣りを怠っても) 「種」だけで 場面緘黙の「芽」が出て来ることはないのかな?と いうことです
なぜかというと、またまた凄い親バカぶりを発揮しなければなりませんが うちの子のは、生まれたときから 本当に本当にかわいい赤ちゃんでした 白くて、マシュマロのように柔らかく おっぱいを良く飲んで いつも穏やかに微笑んでいるので 女神様のようだねと家族で言い合いました
みんなでいつもだっこして 大変可愛がりました
お絵かきと絵本が大好き 水遊びも大好きでした お人形遊びはいつまでも飽きずに やっていました 近所の子や兄弟と毎日遊んでいました 穏やかで優しくかわいいので(もちろん親バカです) みんなにとても良くして頂きました
幼稚園も本人に合った 優しく丁寧な対応のところを選びました 先生はとても良くして下さるばかりか たいへん可愛がってくださいました お話はしなくても先生と目と目で交流しているのが 見ていてわかりました
みんながとても本人を愛していたのですから いったい何が「水遣り」だったのか 疑問に思うわけです
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かいわれ
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題名:
疑問なんでしょうね
投稿日時: 2006-11-07 18:21:39
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登録日時:2013-10-18 04:45:31 投稿記事数: 367
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ルディさんの娘さんがなぜ場面緘黙症なのかが疑問なんでしょうね。 親を含む周囲の養育態度、幼稚園の環境など、どこをみても発症因子が見つからない、なぜなの?と思うのは自然ですね。
私にもわかりません。書き込みの情報だけで判断するのは難しい、増して専門家ではありません。一応医療者のはしくれですけど……。 条件――それすらまだ未解明――がそろえば好発するとして、それら条件がそろわなくとも症状が出てもおかしくないんだと思います。
長寿日本一だった泉重千代さんは、亡くなる直前まで愛煙家でした。がんの元凶といわれるたばこを100年近く吸ってても長生きでした。そうかと思えば危険因子とは無縁の幼い子どもさんが、がんにかかって短い生涯を終えます。世の中不合理です。
だれがどういう人生を送るかは“神さまだけが知っている”んじゃないんでしょうか、――そう言っちゃうと実もふたもないですかね……。
人生で我々が初めに味わう心的外傷は“出産”だと聞いたことがあります。“安住の地”と思っていたお母さんの子宮から、イヤでも出されてしまうんです。ここでこころに痛手を負うんだそうです。
そういう目で見てみると、とても可愛がっている親御さんから、通園のため、たとえ一時でも離れるのは、理屈抜きにストレス(分離不安)ですよね。 こういうストレスが全て悪いわけではありません。正常な発達のためのハードルです。通り抜けねばなりません。
あるいは良くしてくださる幼稚園の近所に工場があって、鈍感な子どもなら気にならない、だけど敏感な子どもにはとても不快な臭いや騒音が一日流れている、としたらこりゃあたいへんですよね。
私が申し上げたいのは、一見なんでもないことが人間ストレス因子にもなりえるってことです。人のこころって複雑ですから……、まして敏感で、感受性の高い子だったらなおのことです。あえて、危険因子をみつけるとそういうことも言えるということです。
とはいえ、これは私のいち意見ですから、流して聞いてください。他の皆さんはどんな風にお考えなんでしょうか?
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ルディ
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題名:
ありがとうございます
投稿日時: 2006-11-07 20:51:17
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登録日時: 投稿記事数:
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かいわれさん 丁寧に考えていただき有難うございます
いっしょに考えていただけて、とても心強く感じています
環境的なことでは、因子と言っても思い当たらないのですが 遺伝的な「種」としてはとても思い当たります
これまた自画自賛になってしまいますが 夫も私も、どちらかと言えば神経は繊細なほうだと思っています (まったくの主観です、知ってる人が見てませんよーに)
夫は音楽、私は文学、哲学、美術等がとても好きで お互いに子供のころはおとなしくて引っ込み思案なタイプ 誰とでも話せるようになったのなんて・・つい最近のことです
また夫の家系の方は口数少なく、思慮深い方が多いように思います ストイックで奥ゆかしく、 謙虚でありながら自分のスタイルを崩さない様子は 大変、魅力的で尊敬しています
子供に関してひとつ不思議に思ったことがあります 入園前の体験入園の時のことです
子供はほんの小さなしきいをまたぐとき 「ねえママ、ここピョンしていいの?」 いすに座るとき 「ねえママ、座ってもいいの?」な調子で 「歩いてもいいの?」まで とても細かい、自明に思われることまでひとつひとつ聞くので 少々閉口してしまいました
こうした考えは、今も変わらず持っているのではないかと思います
いくらきちんとやっていて優れていても まだなお、これではダメなのではないか? と、大変不安に感じるところがあります そして、「もう駄目だ・・」となり投げ出してしまうところがあります
まわりから見ていると、大変もったいなく感じられます あんなに出来ているのに、あんなに先生に褒められているのになぜ?
うちの子の場合、もしかしたら言葉に関しても、 そのように考えるのかもしれないと感じています
私自身も小さいころは言葉にならないたくさんの思いを どう相手に伝えていいのかわからなくて黙ってしまったり 泣いてしまったりしたことがあるような気がします
そんなわけで私は、必ずしもストレスが関係しているとは 言えないかもしれないのではないかと考えています
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