はじめまして、りりと申します。
最近ではもう忘れてしまう程だったのですが私は場面緘黙症でした(幼稚園~高3まで)。
偶然にこのサイトに辿り着いたのですが私の話も何かの参考になればと思いました。
私の場合はそういう疾患があるとは当時、私も周囲の誰も知りませんでしたので自力で克服することになりました。
まあ普通に男子には苛められ、石を投げられたり(今でも頭に痕があります)、髪の毛切られたり、女子には作り話や嘘つかれて、やってもいないことをやったとか、工作の宿題を盗まれたり、色々しましたが私は強情なのか、何をされても一言も言いませんでした。
小4までの先生はみんなキレて酷いことを言ったりしましたが小5の時の男の先生は無理に喋らそうとは一切せずに何をしたかというと跳び箱を跳べるコツを教えてくれて跳べるようにしてくれました。私はクラスの中で3人くらいしか跳べない高さまで跳べるようになりました。これは偶々跳び箱だったんでしょうけれど私は人より出来ることがひとつ出来てとても自信がつきました。跳ぶと皆も拍手をしてくれましたからそういうのも嬉しかったんだと思います。
それと、これは特殊なんでしょうけど、私は学校で全く喋らないのですが、教科書の音読は出来たのです(本が好きで得意だったからでしょうけど)。その先生は音読についても上手だと誉めてくれました。そういうことでこの先生だった小5、小6の間は喋ることはやっぱり出来ませんでしたが作文を書いたりすることで自己表現をしたりは出来るようになり何より楽しく学校に行ったのを覚えています。
ところが中学に入るとまた駄目になったんですけど。
私が思うに結構そうとう微妙なものだった気がします。せかされて何とかなるものでもなく、デリケート過ぎるだけでなく、ヘンに完全主義者だったりするのでキッカケに一部でも欠損があると感じるともう駄目なんですね。
いま例えばあの当時の自分に会ったとしても、簡単に手出し出来ないと思います。
私の場合は精神科に偏見が強い時代でしたので私自身でも偏見があり「病気」だと思いたくなかったし、病院に連れて行かれて病名を付けられなくて良かったと思っています。
多分あの当時の下手な病院とかに行っていたら、もっと複雑なことになって自力で克服できなかったでしょうし、自分についたレッテルの呪縛にあって後遺症が残ったんではないかと思います。

本人を信じて長い目に見てあげて欲しいです。

何か自信がつくようなことを一つでいいから伸ばしてあげて欲しいです。
心理療法士の河合隼雄氏の「猫だましい」という本の中に緘黙児の心理療法というのが少し出てきますので参考になるかもしれません。
同じく河合隼雄氏と詩人の谷川俊太郎氏の対談本「魂にメスはいらない―ユング心理学講義」はすごくいい本なのでぜひ読んでみてください。
何だか長々書いてしまいましたが他人事とは思えなかったので失礼しました<(_ _)>