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題名: 場面緘黙症でした(幼稚園~高3まで)
投稿日時: 2008-07-31 11:59:39
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はじめまして、りりと申します。
最近ではもう忘れてしまう程だったのですが私は場面緘黙症でした(幼稚園~高3まで)。
偶然にこのサイトに辿り着いたのですが私の話も何かの参考になればと思いました。

私の場合はそういう疾患があるとは当時、私も周囲の誰も知りませんでしたので自力で克服することになりました。
まあ普通に男子には苛められ、石を投げられたり(今でも頭に痕があります)、髪の毛切られたり、女子には作り話や嘘つかれて、やってもいないことをやったとか、工作の宿題を盗まれたり、色々しましたが私は強情なのか、何をされても一言も言いませんでした。
小4までの先生はみんなキレて酷いことを言ったりしましたが小5の時の男の先生は無理に喋らそうとは一切せずに何をしたかというと跳び箱を跳べるコツを教えてくれて跳べるようにしてくれました。私はクラスの中で3人くらいしか跳べない高さまで跳べるようになりました。これは偶々跳び箱だったんでしょうけれど私は人より出来ることがひとつ出来てとても自信がつきました。跳ぶと皆も拍手をしてくれましたからそういうのも嬉しかったんだと思います。
それと、これは特殊なんでしょうけど、私は学校で全く喋らないのですが、教科書の音読は出来たのです(本が好きで得意だったからでしょうけど)。その先生は音読についても上手だと誉めてくれました。そういうことでこの先生だった小5、小6の間は喋ることはやっぱり出来ませんでしたが作文を書いたりすることで自己表現をしたりは出来るようになり何より楽しく学校に行ったのを覚えています。
ところが中学に入るとまた駄目になったんですけど。

私が思うに結構そうとう微妙なものだった気がします。せかされて何とかなるものでもなく、デリケート過ぎるだけでなく、ヘンに完全主義者だったりするのでキッカケに一部でも欠損があると感じるともう駄目なんですね。
いま例えばあの当時の自分に会ったとしても、簡単に手出し出来ないと思います。

私の場合は精神科に偏見が強い時代でしたので私自身でも偏見があり「病気」だと思いたくなかったし、病院に連れて行かれて病名を付けられなくて良かったと思っています。
多分あの当時の下手な病院とかに行っていたら、もっと複雑なことになって自力で克服できなかったでしょうし、自分についたレッテルの呪縛にあって後遺症が残ったんではないかと思います。

:idea: 本人を信じて長い目に見てあげて欲しいです。
:idea: 何か自信がつくようなことを一つでいいから伸ばしてあげて欲しいです。

心理療法士の河合隼雄氏の「猫だましい」という本の中に緘黙児の心理療法というのが少し出てきますので参考になるかもしれません。
同じく河合隼雄氏と詩人の谷川俊太郎氏の対談本「魂にメスはいらない―ユング心理学講義」はすごくいい本なのでぜひ読んでみてください。

何だか長々書いてしまいましたが他人事とは思えなかったので失礼しました<(_ _)>


題名: こんにちは
投稿日時: 2008-07-31 15:48:55
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りりさん はじめまして かいわれと申します。
 幼稚園、中学と場面緘黙症の2度のピークを経て高校まで少なからず症状があり、現在も後遺症をかかえるものです。

 跳び箱や作文の力を見抜いてくれた先生の存在はあなたにとって貴重なものでしたね。

 私は父が仕事柄(市福祉事務所にいた)そちら方面の情報にも詳しく、一度小児精神科領域の相談機関に連れて行かれそうになり、ひどく抵抗しました。あの時行っていたら効を奏したのか、くちゃくちゃにされたのか、今は知る由もありません。

 苛めも酷かったようで、よく耐えられましたね。――耐えるしかなかったのかも知れませんね。
 私も同様でした。一つ一つ例をあげれば枚挙にいとまはありませんが、教科書やリコーダーを貸せと言われて貸すと帰してもらえず「いつも忘れ物の多いかいわれ」という評判がたったものです。

 大人しい子や押し出しの弱い子、仲間の少ない子など場面緘黙症児は様々な側面で苛めに会いやすいと思います。

 元場面緘黙症児の素養や環境などは十人十色ですから、あなたのように「比較的なんでもなくなった」(私とは対照的な)ような方もいると言う意味で、今回の投稿は貴重なものです。

 河合先生の本も参考に見させていただきます。


題名: Re: こんにちは
投稿日時: 2008-08-01 10:24:37
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 13
かいわれさん、お返事ありがとうございます。

>元場面緘黙症児の素養や環境などは十人十色ですから、あなたのように「比較的なんでもなくなった」(私とは対照的な)ような方もいると言う意味で、今回の投稿は貴重なものです。

かいわれさんは後遺症があるということですがそう言われれば私も皆無とは言えないかなとも思います。
何といっても幼稚園2年間、小学校6年間、中学高校6年間の14年間の異常な学校生活を送ったのは事実です。
今でも何か欠けてるんじゃないかっていう思いもありますし、その後必死に「普通」になる(見せる)ために徒労したりもしました。人から言わせると今では何処からどう見ても普通人に見えるそうですが、その代わり高校の時なんかに特に言われていた「物を書く才能」とやらは無くなってしまった、というか希薄になったようです。
「普通人」の仲間入りをしてみると誰もが「普通人」という皮を被っているんじゃないかと思うほど、それ程みんな「普通人」でもないということが分かりました。私たちはそういう皮膜みたいな保護膜というのかを作るのが苦手なんじゃないでしょうか?魂がむき出しになっているというのか。これって相当へビィですよね。(あ、また長くなってしまう)

私が場面緘黙症だった頃にすごく救われたのは本のチカラでした。
良い本に巡り合うと心が豊かになるし決して孤独になることはありません。例えばイジメとかにあっても「レミゼラブル」のコゼットより全然ましだ、とか思えたりもしますし(笑)
私は人の話を聞いていたり観察したりするのも好きだったのでそういう部分でも救われていたと思います。
ただ子供の発育にとって一番大事な身体を動かすということが殆ど無かったので身体能力は低いですし、それ故に低血圧、低体温で顔色が優れず胃炎とか嘔吐とか躁鬱的症状も出ていたように思います。


題名: はじめまして。
投稿日時: 2008-08-03 20:18:14
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リリさん、はじめまして。私は高2の緘黙症の男の子を持つ母親です。うちの子も小学l年から緘黙になって今に至っています。5年生までは一部の友達と話していましたが転校を機に家族以外とは口を利くことはありません。それでも中学3年生まではごく普通に友達もいてそれなりにがんばっていましたが、高校に上がってからしゃべらないという事が本人を苦しませてるみたいで高2の5月に退学をして今は通信制の高校へ通っています。1年前に初めて緘黙症を知りました。私は子供が精神的に乗り越える事が出来ないと思い節目節目にしゃべらないといけないと言ってきましたが本当に無知とは怖いです。今はもうはなせないのではと思っているみたいですが、私としては子供が苦しかった小学一年のときにもっと子供の気持ちになってと後悔の日々です。私がこんなんじゃいけないのですが
。何か親に望む事とかありましたか?やはり、長い目であせることなく信じることが一番なのでしょうか?


題名: Re: はじめまして。
投稿日時: 2008-08-04 00:56:46
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 13
ビオラさん
こんばんは。
私は今はお母様は「家族と喋っているという時の彼」をよーく見てあげていればいいのではないかと思うのです。

その家族だけに喋っている事を外の人にも喋れる日が来ると思います。
今はその日の予行演習を家の中でしている位にしておくというのではどうでしょうか。
そして彼にも、緘黙症というのは大人になると治る人が多いという情報だけでもあげておくことで希望も見出せると思います。

ただ今の家族との関係が例えば独りが多い為に我儘すぎて他者への配慮がないとかだと後々本人が人との関わりにおいていつもトラブるようになったりするかもしれませんから「親しき仲にも礼儀アリ」という部分は学ばせてあげる必要があると思いますが。

お母様はとにかく息子さんのやることには否定しないで見守る、見ていて感心するようなことがあれば言葉に出して誉める。(嘘はばれますから駄目ですけど)熱中しているものとかあればどんどん話を聞いて、そしてまたそこで何かに感心する、誉める、とかそういう態度がいいんじゃないでしょうか。心配はうつりますからそこは堪えて欲しいなと思います。当時の家の母の良かったのは心配は見せない、そこでした。(何も誉めませんでしたが。)

喋らないという状態で学校で存在するのは確かに辛いものです。でも喋らない人って心の中で沢山オシャベリしている人が多いといいます。
いま通信制にされたということですが本人も望まれてでしょうか?彼は本当は心の中では人と交わりたいと思っているかもしれません。
何か好きなこととかでサークル的なモノとか人と交われる場所に行くのもいいんじゃないでしょうか。もう少し先でいいかもしれませんが、もしもどうやらそういう風な気配がしたらそういうときは気軽に行ってみたらと言ってあげてもいいかもしれません。駄目なら辞めればいいので、そこも気軽に。

あんまり傷つくのを怖れる体質になってしまわない事が大事かと思います。私も一杯傷ついてきましたが辛い目にあった分今では見違えるほど(笑)強くなれたし、本人が耐えられないようなことはその人には起こらないとも言います。
ましてや男の子ですから、とは言え、男の子なんだから、と言うのは厳禁だとか。
逆にちょっとした事でも何かを一つ克服したら、強くなったね、と言ってあげるのもいいかも。


題名: ありがとうございます。
投稿日時: 2008-08-05 20:02:51
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りりさん、アドバイスありがとう。高2に上がってから学校へ行くのがつらくなり辞めてしまったけど今思えば私が子供にこんな苦しい思いをさせるのは自分のせいだと自分ばかりを責めていて新学期を迎えてうまく学校の空気に乗る事が出来ない子供を冷静に観察するのではなく感情で動いた自分がいる気がします。学校の先生にもどうしてあえて大変な道を行くのかといわれましたが緘黙症のことを知り本人がリラックスできるのが一番と思い込んでしまいました。どの道を行けばいいのかはっきりわからないけどサッカーが大好きで中一からクラブチームに入り学校を辞めるまでサッカーに明け暮れていたけどその時は本当に変わりたいここでは無理という本人の気持ちを優先しました。通信ですが今は夏休みですが普段は週5日サポート校に通学しています。今は担任の先生と交換日記をして意思疎通を図っています。私に出来ることって今はご飯の用意と見守ることぐらいですが子供に自信を取り戻せるよう頑張ります。5月の終わりから個人のクリニックにも通い始めて今はプッレシャーが必要といわれているのですが気持ちは揺れています。プレッシャーはある程度必要ともおもいますが怖い気もします。これからも色々教えてください。お願いします。


題名: ビオラさん
投稿日時: 2008-08-05 23:48:30
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 13
緘黙症になる原因って何なんでしょうね。私にもよく分かりません。
でも私は親のせいではないと思っています。
私の場合は幼稚園に入った時に皆が野獣(笑)みたいで何かショックを受けたみたいなんですよね。早生まれだったので他の子より小さかったし色んな意味で恐怖したようで帰ってきたら珍しく高熱を出して寝込んだそうで、それからだったんですけど。

息子さんはサッカーが大好きなんですね。素晴らしいじゃないですか。チームプレイが出来るというのは素晴らしいと思います。
私なんかはチームプレイが全て苦手でしたから身体がカチコチになってしまっていました。
何かサッカーやスポーツが続けられるといいですね。好きなこと、夢中になれることが何か一つあるだけでもラッキーなことだと思います。
好きなことの為だと人間やっぱり頑張れるものですから。
自信が出てくればきっと治ります。


題名: ありがとうございます。
投稿日時: 2008-08-06 07:41:36
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うちに子も幼稚園の年少(2歳)の時におかたずけができなくて先生にきつく叱られてしまいその時固まってしまいした。それ以来先生がそばに来ると動きが止まるようになったので先生もこれではいけないと優しくなったみたいですが、私がこの事を聞いたのはお誕生日会の時で子供が叱られた時ではありません。私は独身の時からの職場でずっと働いていて子供に目を向ける余裕がなく気ずかずにいた事がたくさんあって今になって昔の事が思い出されしかも自分の未熟な所ばかり・・・・・
でもりりさんのお話を聞いて親が不安な気持ちではいけないという事がよくわかりました。何年もどうしてだろう?どうすればいいのとか?そんなレベルで考えてばかりでした。過去の事より今が大事ですね。ふりかえってももとには戻らないもの。うちの子供は運動神経がわりと良くて中三まで友達が普通にいたのもその事が大きかったと思います。今の生活は何ヶ月前に比べると正反対だけど無駄という事ではないと思います。りりさんのお勧めのほん注文してみました。読んでみますね。力になってくださり本当にありがとうございます。


題名: はじめまして
投稿日時: 2008-10-17 11:02:52
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こんにちはバニラと言います。小5の息子が小3から緘黙症になり現在に至っています。
息子は学校や習い事などの場面や、他人との1対1のやりとりには一言も口をききません。
 いつまでこの状態が続くのかどうするのが息子にとっていいことなのか模索している私にとって自力で克服したというりりさんのお話は本当に救いに思いました。
病院も通ってプレイセラピーなども受けましたがあまり効果がないと病院から言われたので通院もやめました。
今は担任の先生がとても力になってくださりしゃべらなくても息子も参加できるようなクラス活動にしてくれてます。
そのかいあってか活動も積極的になり友達とかかわりたい気持ちもかなり見えてきました。
サッカーを習っているんですがそのメンバーと本当に楽しそうにみんなと遊んでます。でもいざ話しかけられても一言もしゃべらず、バイバイも言わず。
終わったあとみんながいなくなったのをきょろきょろして確かめてから私としゃべりだします。
緘黙になったころの息子は確かに緊張でしゃべれないという状態だったと思います。
今はいろんなことで自信がついてきてしゃべれるけどもうみんなの前ではいまさらしゃべれないと思いこんでるような気がします。

そこでりりさんにぜひ聞きたいのですが緘黙から脱出した瞬間って覚えてますか?
最初の一言を発声したときりりさんは一大決心をしてしゃべろうと意識してでた言葉ですか?
それともその時期がきて自然に話せたという感じですか?

初めてなのに長々と書いてしまってすみません。


題名: 少しこちらにはご無沙汰してしまいました
投稿日時: 2008-10-20 00:55:19
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 13
バニラさん、こんばんわ
お子さんは小3から緘黙症になられたんですね。
それまでは普通に喋っていたんでしょうか?
私の場合は一対一だと相手によって喋れる時もありました。
そういう意味では徹底している感じですね。
私も基本的には完璧主義みたいなところがあります。
でもあの頃は特にどうしようもなくそういう些細なことが物凄く重要だったんですね。
場面緘黙の度合いはそれぞれだとしても、今になって私が思うのは、個々の何かその時期のようなものがあるような気がしています。
私は結局、高校卒業するまで緘黙でした。
ただ、短大に進学した時にたまたま誰一人として私を知っている人間がその短大に行くことが結果的になくなったのですが、それは現状打破には有利だったように思います。
そして私は教職を取っていたのでその次の年の5月には教育実習に母校の中学に行きました。
同級生の同じクラスだった子も実習生で来ていてかなり驚かれましたね:oops: あの時は気まずいし、かなり動揺しましたが、何とか乗り切りました。
やっぱり(完全ではないものの)大人になったから打破できたような気がします。

私の話が参考になれば嬉しく思います :D


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