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19 件の記事    1   2   
題名: 一言でも発した時から場面緘黙症ではなくなることについて
投稿日時: 2007-04-01 17:17:53
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少々疑問に感じていることがあります

DSM診断というアメリカの診断基準では、「あ」でも「はい」でも、返事にいくら時間がかかっても、小さくても、声が出た時から場面緘黙ではなくなるようです

その瞬間から今度は不安障害か対人恐怖になるようです
あるいは場面緘黙の後遺症・・になるのでしょうか?

だとするとうちの子の場合小学校で授業中あてられた時や、学校でとても親しい子と非常に近くにいるときは小さなささやき声が、出せてたかもしれないので、とっくに場面緘黙症ではなかったのかな??
だとするとここに投稿することや、学校に場面緘黙の対応を頼むのも変かも知れず、どこか対人恐怖の掲示板に行くべきなのか?などとわからなくなるのです

では今度は対人恐怖の対応を学校に頼むことになる?


特定の人、場面が非常に絞られているだけで、まだ一言も発せない場面や対象があるかも知れませんが、大変少なくなっているので、それを特定するのは、また説明することも大変です


ある特定の人や状況でのみ、話づらい、ということは相変わらずでも、声が出ると場面緘黙ではない、となるのなら、
場面緘黙、ではなく、場面「難話」とでもいうような、この状態を表す言葉ががあってもいいのではないの?とも感じます
それは引き続いているひとつのものの、程度の違いでしかないからです

たとえば社会恐怖の中にも例えば赤面症というふうな名前はあるわけですから

みなさんはどう思われますか?


題名: 無気力・引っ込み思案・緘黙
投稿日時: 2007-04-02 16:28:19
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緘黙とは一言も話さないこと。

引っ込み思案とは、人前で話ができず、だれかが話しかけても、うなずいたり
簡単なことばで返事をするだけで自分からは積極的に話すことができない、遊び場面
に自発的に入ることができず傍観者として周囲から見ているだけである、集団に
なじめない、仲間となじめずに孤立していることが多い、人とほとんど交わ
らない、などといった社会的・対人的な場面で示される非社会的で後退的な
行動傾向を社会的引っ込み思案という。いわゆる内気で、人前ではもじもじしている
だけで。

緘黙との区別
引っ込み思案と緘黙とは、ともに社会的。対人的場面で生じる情緒的な行動問題で
あり、社会的・対人場面における後退的反応ではあるという点で共通しているものの
その発生のメカニズムや行動特徴はかなり異なってくる。当然対処の仕方も異なって
くる。
したがって両者をはっきり区別しなければならない。

私は緘黙ではないのかも!?あの医師が一言でも喋ったら緘黙じゃないって言った
通り。

緘黙の人が一言でも喋った場合、後遺症になるんだと思う。


題名: 緘黙
投稿日時: 2007-04-02 21:50:32
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 145
みるもさんは、学校で話しがしにくいとか、行動がしにくいことで実際にたいへん困っていらっしゃるのですよね
なぜ医師はそのことに真剣に耳を傾けて、力になろうとしないのかと思います

「緘黙」という言葉が名前に入っているから、そういう杓子定規な判断や対応になるのではないかと思うのです

ではうちの子の場合は幼稚園が場面緘黙症で1年生から後遺症、それとも引っ込み思案ですね

うちの子の不登校は、部活で先輩から、「出来ないことを聞かない」「なかなか返事しない」「家では普通に話しているらしいのに、学校では小さい声でしばらくたってからでないと、話さない」などと言われてしまって、噂されてしまったことも原因のひとつでしたし、家にいるとき先生が来て、子供が「勉強がわからない」とやっと言えたかと思ったら、先生は「そんなの聞けばいいじゃないか!」とおっしゃいました

話すこと、声を出すことの困難さを、またそれがわざとやっているのではなくて、とても困っていることなのだとはっきりと理解してもらうことは、大変必要なことだと感じます
「あ」としばらくたって言えたから、またささやけたからといっても、声を出すことの困難さに対する同じ理解が必要なことに変わりはないと思います。

子供が困っている状況が理解されづらくなってしまうのなら、「緘黙」とい名前を変えてしまったほうがいいのではないかと思うぐらいです


題名: 解釈
投稿日時: 2007-04-05 13:11:30
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Quote:

"ルディさん"]DSM診断というアメリカの診断基準では、「あ」でも「はい」でも、返事にいくら時間がかかっても、小さくても、声が出た時から場面緘黙ではなくなるようです



話の流れを変えるようですみません。
その解釈のソースがあれば、教えていただけないでしょうか。
とても気になります。
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題名: ルディさん
投稿日時: 2007-04-05 16:17:32
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 129
学校で話しがしにくいし、行動がしにくいです。

私も幼稚園のころが一番酷かったと思います。だから、そのあとが引っ込み思案?

懇談でお母さんが「いつも勉強わからないって言ってくるんです」と担任に
伝えたら「勉強は学校で教えます」と言われたそうです。
私が聞かないから教えてもらってないです。

私も「緘黙」という名前ともうひとつの名前がいるような気がします。


引っ込み思案と検索しても正しい意味が見つかりません。
引っ込み思案の意味がわかったのは、「無気力・引っ込み思案・緘黙」の本でした。
引っ込み思案はおとなしい人によく使われる言葉だと思ってたけど・・。

引っ込み思案の子の例

園内ではおとなしく、先生に話しかけられると返事はするものの、自発的に動きまわろ
うとしない。自由遊びの時間も、友人の遊ぶ様子を遠巻きに眺めてることが多い。
話しかけるときちんと応答するが、自発的に口をきくことが少ない。
遊びには、依然として自発的に加わろうとはせず、仲間や先生から誘われると
加わるといった受け身態度を示している。
また、集団遊びにおいて集団の様子に変化が生じると、仲間から離れてポツンと
していることもある。しかしながら、先生が「・・・・すれば、うまくできるんじゃない」
などと声をかけると、何とか遊びに加わることができる。



この受け身態度が私の幼稚園の頃にそっくりでした。
私は緘動のほうが強かったって言ってましたここで。


題名: 引っ込み思案の章
投稿日時: 2007-04-05 16:28:09
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 129
記述式評定尺度

先生が「皆と一緒に遊ぼう」誘ったときに,

(  ) 自分からすすんで遊びに参加する。
(  ) すぐには来ないが,自分から遊びに参加しようとする。
(  ) 自分からは来ないが,誘えばすぐに遊びに参加する。
(○ ) 誘えば,しぶしぶ遊びに参加する。
(  ) 誘っても,遊びには参加しない。


引っ込み思案には3種類のタイプがある。
1,社会的スキルと引っ込み思案
2,不安型の引っ込み思案
3,自発型の引っ込み思案


題名: 緘黙の章
投稿日時: 2007-04-05 16:42:58
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 129
選択性緘黙から全緘黙へと移行することがある。

分類がある。
①緊張性無言症
②選択性無言症
③驚愕性無言症

原因は遺伝。出現率は0,19%

発生率1年保育に多い。

発生時期 幼児期 学童期 前思春期

強い偏食


題名: お世話になっています
投稿日時: 2007-04-05 17:02:53
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 145
このことにはみんな興味ないのかな~?と思ってたので、富重さんに質問していただいて嬉しいです

DSMのなかの「一貫して」と「話せない」については、WIKIの中にもあったし、「話せない」はよくいろんなところに説明として出てくるのですが
、いつも違和感を感じています
そう書いてしまうと、やっと声がなんらかの形で出せるようになった人は同じ理解をされなくなってしまう気がします

ソースはというと、専門家の方に聞きました

他にもよく説明として、「不登校にならない」、「医師や心理士の前で話さない」「学校で話さない」などありますが、これも疑問に思ってます

選択性、とか場面てちゃんとついてても、その状況を固定的にとらえてしまうと子供の困ってることはきちんと認識してもらえない気がします

言葉って、表すと同時に限定してしまうものですね
幅のある内容を含んだ名前がつけられない時は、誤解を防ぐ為の丁寧な解説が必要と感じます

本人がとても頑張って少し話せることが、かえって無理解を生んでしまうことは皮肉です


題名: みるもさん
投稿日時: 2007-04-05 17:44:35
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 145
みるもさん、いろいろ調べてくださって有難うございます

みるもさんが、うちの子と同じようにひとりでこの問題を背負ってこられて、今またここで無理解な現状にぶつからなくてはならないことは同じ年代の子を持つ大人として、なんだか申し訳なく思います
ですがみるもさんは、色んな状況にも冷静さや柔軟さを失わず、むやみに人を責めることもなく、とても優しくしっかりしたお嬢さんだなと感じています
今もこうして本を見て、状況を見つめようと努力していらっしゃることを、ついつい親の感覚で見てしまって失礼かもしれませんが、本当に偉い!と感じます
たとえ大人でも誰しもが前向きな気持ちで、きちんと自分を見つめようとすることが出来るとは限らないと思いますから

なんて、よけいなお世話?? :roll: おばさんのおせっかいを許してくださいね


題名: もう少し広く…
投稿日時: 2007-04-06 17:30:28
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 366
ルディさん、お返事ありがとうございます。
専門家がそう解釈しているとなると、そうなのかなあと思ってしまいます。
なにはともあれ、DSMの診断基準だと、
一言でも発した時から場面緘黙症ではなくなるということが分かりました。

ですが、私としてはもう少し広く場面緘黙症を捉えてもいいのではないかと思います。
ささやくような小さな声でしか話せない子も、程度の差はあれ、
発語や不安の問題を抱えていることには違いないからです。
ルディさんのおっしゃる通り、
「やっと声がなんらかの形で出せるようになった人は同じ理解をされなくなってしまう」
という心配があります。

国立特別支援教育総合研究所のウェブサイトは、DSMの診断基準を紹介しながらも、
「まったく声を出さない状態から小さな声では話す,首を振ることで意思表示をする,
特定の限られた人となら話す等,状態や程度は様々です」
として、小さな声で話す状態も緘黙に含めています。

SMJ翻訳チームの資料1にも、
「場面緘黙児はみんな同じ方法で話すことへの不安を表現するわけではありません。
ある子どもは特定の社会的場面で、完全に無言で、誰とも全く話せません。
一方、とても小さな声でなら話せたり、限られた少数の相手となら話せる子もいます」
と書かれていて、やはりある程度話せる子も場面緘黙児に含めています。

どれぐらい喋らないのが緘黙で、どれぐらい喋れば緘黙でないのか、
このあたりは議論が分かれるところかもしれません。
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