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題名: ママりすさんへ てちてちママさんへ
投稿日時: 2006-10-15 08:01:15
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ママりすさん

>初めて投稿させていただきます。

SMJデビューですね、ママりすさん。嬉しいです。

>ElectiveがSelectiveに変わったいきさつなどがもし考慮されていれば、「選択性」という言葉は採用されなかったのではないでしょうか私も「選択性」には抵抗を覚えます。

私は、日本語ElectiveがSelectiveに変わったのに、日本語はすっと「選択性」なのだと思っていました。違うのかなあ?

>「緘黙症じゃないけど緘黙気味」なんていう表現を使う人がいるかどうかわかりませんが・・・。

「場面緘黙症」はあくまで「症状」に対する名前なので、言葉をどう使うか難しさがありますね。


てちてちママさんへ

こちらこそ、はじめまして。

>私は病気というより息子の個性だと捉えるようにしたいと
思っています。学校で話せない以外は大抵のことは出来ていますし、
話せないことは、息子のほんの一部でしかないような気もするんです。

とても大切なことだと思います!
軽度発達障害の子ども達についても、よくこの話が出ます。「個性」なのか「障害」なのかは、周りの人たちの見方や支援のあり方によって変わりますよね。日本人は「みんな同じ」が好きで、「個性」「人それぞれの違い」をなかなか認めにくい。

えじそんクラブをおこされた、ご自分もADHDをもつ高山恵子さんという方の本だったかと思いますが、(記憶曖昧です)「違い」「違う」という日本語が、英語にするとdifferent (違いがある)とwrong(間違う)の2つの意味を持っている話を読んだことがあります。
みんなと「違う」ことが、「wrong 間違ってること」と捉えられやすいと。
「みんな違ってみんないい」のに。

わたしと小鳥とすずと    金子みすず
        
    わたしが両手をひろげても
    お空はちっともとべないが、
    とべる小鳥はわたしのように、
    地べたをはやくは走れない。

    わたしがからだをゆすっても、
    きれいな音はでないけど、
    あの鳴るすずはわたしのように
    たくさんなうたは知らないよ。

    すずと、小鳥と、それからわたし、
    みんなちがって、みんないい。 


題名: 場面緘黙?場面緘黙症?
投稿日時: 2006-10-21 16:28:21
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「場面緘黙」で止めてる
みんな考えて緘黙の名前出してるんですねー

私は「場面緘黙症」と保健室の先生に言ったら「場面緘黙」、症をつけず
かえってきた。そういうことだったんだー

症をつけないんなんて考えなかったー。

私は場面緘黙症を病気の代わりに「症状」という言葉使ってます~
「病気」ではないですよね?名前だけ?


題名: みるもさんへ
投稿日時: 2006-10-22 02:39:55
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 209
>私は場面緘黙症を病気の代わりに「症状」という言葉使ってます~
「病気」ではないですよね?名前だけ?


みるもさん、書き込みありがとう!!
そう。「場面緘黙症」は「症状」です。

資料6の印刷はされましたか?
○△×は書きました?

ずっと前みるもさんがスクールカウンセラーがアンケートしてくれたらいいのに、と教えてくれたでしょ。
この資料は、みるもさんの言葉をヒントにして、○△×式にしました。
感想を聞かせてくださいね。


題名: アンケート便利
投稿日時: 2006-10-23 00:49:18
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 129
昨日、印刷しようと思ったらインクがないみたいです。
できませんでした。

印刷できたらすぐに○△×書きます!

このアンケート式は、上手く表現できない私にとってアンケートが
伝えてくれるのでとても良いです :D

資料作りいつもありがとうございます~~


題名: みるもさんへ
投稿日時: 2006-10-25 08:05:10
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 209
自分の状態を、先生や親に知らせたい気持ちと、知らせたくない気持ちで
揺れてるんですね。

資料6は表紙をのけると、ネットの情報は全く載ってないですよ。


題名: 一人だけ違う意見
投稿日時: 2006-11-12 23:48:32
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先日、子供や思春期の子のための「こころのクリニック」に行ってきました

すると始めに臨床心理士(?)の方が小さな部屋で子供と話し、それから親である私が入りました

小さい頃からの経過を話し、今は教室に入れないこと等を相談しました

そして子供は場面緘黙ではありませんか?とたずねたところ

「自分と話せたのだからそうではない」とのお返事でした

実は以前、教育センターを訪ねたときも
同じ返事が返ってきました

またスクールカウンセラーの方にも
「子供の不安は家庭で安心して過ごせないから」
と言われてしまいました

学校の先生も、自分とはなんとか話せるし
図書室でも司書に話をしていたから
ちがうのではないかとのこと

けれども、家では子供はよく話しをし、兄弟と遊んで普通に過ごしており
近所の犬友のおばちゃんたちともにこにことお話できます
黙ってしまうのは
同年代の、まだあまり親しくない友人が一人でもいる状況にある時や
先生にうまく答えられない質問をされた時等、生活の中でも非常に限られた状況においてです
そういう「場面」では確かに、たとえ家であっても親の私とさえ目をあわさず、声も出なくなってしまいます

けれどもよくわからない人にとっては
子供がいったいどういう状況で
緘黙になったりならなかったりするのか、
その区別のつけ方を理解することが難しいのではないでしょうか

ある子供が自分と話すことが出来なかったからといって、
他の子も同じとは限りません
その区別のつけ方は
症状の強さによって、あるいは子供の状況のとらえ方によって
ひとりひとり微妙に違うのではないかと思います

それを、子供の基準ではなく自分の基準で、
例えば親と、親以外の人
という風に大雑把にとらえているのではないでしょうか

それが非常に厳選された状況においてのみである、
というケースを、理解出来ないのです

意志がある無いという意味での選択ではなくて、
その特定の「場面」は、
「当人の不安が発生するかしないかによって厳選された」状況において
であるという意味では
「選択」がついたほうが理解されやすい面もあるのではないかと考えます

またselectにも
選択という意味は含まれているのではないでしょうか

ただ、場面とした場合にも、選択とした場合にも、ある一定の場面が個々に違っているという説明さえあれば
大きく誤解されることはないと思います


題名: elect と select
投稿日時: 2006-11-15 14:38:24
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 209
ルディさんから見られて、こどもさんは現在DSMの診断基準にあてはまっていますか?
過去に、当てはまる時期がありました?
「自分と話せたから、場面緘黙症ではない」というのはおかしいよう思います。
のひめさんもそう言われたと言っておられたような・・・

でも、診断については境目の子どもは曖昧になることも多いので、
肝心なことは、「場面緘黙症かどうか」より、対処の方ですよね。
でもその肝心な対処の方も、いきなり
「子供の不安は家庭で安心して過ごせないから」なんて
・・・・う~む。ひどいですねえ。
ルディさん、どんなにショックだったでしょう・・・

名称については、いろんな意見があっていいと思います。
selectとelectのニュアンス・・本当だ
この2つってどう違うんでしょうか?私もよくわからないです。
selectの方が「厳選された」って感じで、上品な感じがします。
あっそれはコマーシャルで「セレクトされた品揃え」とか言うからか。
どなたかご存じの方おられませんか?


題名: elect と select Ⅱ
投稿日時: 2006-11-15 15:59:04
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 研究社『新英和中辞典』四訂版では以下のようになっています

 elect
  投票などの一定の手続きによって正式に選ぶ;選んだもの以外は排斥する意味が強い
 
 「彼は公正な選挙で、代表に選ばれた」なんて言うときの「選ぶ」です。
 select
  広い範囲の中から慎重に考慮して選ぶ
 
 「彼女はパーティーに出るため、一枚の赤いドレスを選んだ」なんて言う時の「選ぶ」です。

 ――はっきり言って,日本語では同じ「選ぶ」でその違いは良くわかりませんが。electが、他は相手にせず、信念を持っての選択であるのに対し、selectは、どれも良いドレスなんだけれど、その日の雰囲気だとか、自分の気分によって選択した、ということで、後者がより“情緒的な要素が関与している”ような気がします。
 解釈の部分は私の主観ですから、あんまり参考になりませんね、失礼しました。


題名: 診断名は重要だと思うわけ
投稿日時: 2006-11-15 23:11:25
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緘黙の名称という議題に関係ない気もしますが
少しは関係しているかもしれませんね

診断名が無いと、学校がちゃんとした対応をしない場合があります

たとえば不登校のように
子供が困っていることに対し
診断名がないと
子供の不安そうな様子から
色々な勝手な憶測が発生し
家庭に問題があることにされてしまったりすると
学校では何の責任が発生しないととらえる結果
子供の勉強の機会を設けることも考えてもらえないなどの
本人にとっての実質的な損害につながる場合があります

もしも、誤って、家庭で虐待したと言われるとすれば
ショックどころか、名誉毀損もいいところです

実は我が家では、その件に関してはやっと先日、学校が申し訳なかったと
家族の前で謝罪してくれましたが・・

それは病院で場面緘黙という診断が出たからなのです

いくら資料を持っていったところで
ただのお母さんの意見、と捉えられるところがあります

診断が出た人でさえ、自分で話さないことを選んでるんだろう?などと
心無い誤解に苦しまなければならないのですから

診断さえおりていない人たちの精神的苦痛や実質的損害は
予想もつかないほどなのではないかと思います


題名: ありがとうございます!
投稿日時: 2006-11-19 16:26:38
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けいこさんいつも丁寧に考えて下さり、本当に有難うございます

けいこさんの優しさが、このフォーラム全体を
とても居心地の良いものにして下さっていると感じます

やはり、お互いの顔の見えないネット上の意見交換は
一歩間違えばとても恐ろしいものにもなりうることを思えば、
安心して発言できることの有り難さを思わずにはいられません

また、みちさんの息子さんの詩には
とても驚かされました

やはり親は、子育てにおいて、もう一度人生を
素晴らしく捉えなおす機会を与えられていると思いました

その詩そのものがとても素晴らしいので
解釈してしまうのも不遜なことかもしれませんが

息子さんは、孤独の中で、何よりも自分自身と
出会おうとなさっていることに
たいへん感動させられました

人から決められた自分ではない
核となる自分に出会うことで
世界を捉えなおし、自由に羽ばたいていくことが出来るはずだ

そしてそうした自分に出会うのは
内面の迷路の中なのかもしれない

求心的になることで
逆に世界へと羽ばたいていくことが出来る
そう捉えた息子さんの感性に
人間の作り出してきた芸術全体に共通して流れる
創造性の源泉のようなものに
息子さんは触れているのだと感じ
圧倒されました

自分も子供の感性についていくためには
おちおちしてられないという気がしてきました

息子さんの詩から思い出したことがあります
わたしの好きな一冊、
アン・モロウ・リンドバーグ「海からの贈り物」の一節です
孤独について書かれた章のなかで彼女はこう言っています

  自分が自分に対して他人である限り
  他人に対しても私たちは当然他人であり、
  両者の距離を縮めることは出来ない

  自分の核としっかり繋がっている時だけ、
  わたしたちは他者とも繋がることができる

そのためには孤独は貴重であると続いています

私自身、緘黙を持つ子供を育てるからといっても
闇雲に人と繋がる方法論を身につけさせようとすることだけに
とらわれるべきではなく、
子供の成長を尊敬を持って
見守らなければと感じます
助けるつもりがあだとなって
子供の内面へずかずかと踏み込むことの
無いようにしなければいけないなと思います

本当に素晴らしい息子さんをお持ちですね
うちは娘ばかりなので
詩の中の「俺」という言葉に
とても頼もしさを感じました


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