中学までに、力を蓄えられるようにしたい、とたくさんの方が思われることと思いますが、そのことで少し私の失敗例を聞いていただきたく、もう一度おじゃましてしまいました
実は娘の場合にも、私はそんな風に考えていろんなことをしてみたことがありました
それは、そのときにはとてもうまく行ったように思えました
そして娘は意気揚々と中学に進学しました
自信と言う意味では、十分なものがあったと思います
充実した、カッコイイ中学生活を送れる自分・・そう思っていたと思います
ただ、ひとつ欠けていたもの、それは「自分を知る」ということです
それまで、みんなと同じように話さなくては、という焦りが大きかったせいで、自分だってちゃんとやれるし優れたところがある、ということをみんなに示したい気持ちも、たくさん積み重なっている
ついつい、みんなにとっての自分の地位・・みたいなもの中心にものを考えてしまう
自分は劣っているように見られているのではないか?という気持ちから、少し自信がついてくると、自分に対する要求が、その反動から、とても高くなってしまうような気がします
頑張らなくてはと焦る気持ちは、大きすぎると心を疲れさせてしまいます
中学では小学校よりも、競争、ランク付けのようなことが多く、忙しさもあって自分を見失いやすい
人と比べられない自分なりな良さ、また欠点、本当に好きでやりたい事、をわかっていること
自分の傾向を理解し、心のバランスのとり方を知っていること、柔軟に考えられること
そういうことが出来るようにしていくことが、本当の意味で、「力」を蓄えることなのではないかと感じています
何かを出来るようにさせてやろうと思った私の努力は、実ったように思われても、どこかで、子どもに「出来ることがいいこと、成果をあげなくては」という焦りを生み出す価値観を伝えてしまったという面もあるのではないかと、反省しています
今好きなことを自分のペースで楽しめている娘は、6年のころ花々しく活躍できたことを振り返って、
「自分はあのときそれほど嬉しくなかった、別にそれが自分のやりたい事ではなかった」と言います
ああ、反省反省

ゆっくりと自分らしくあればいいのだということ、そこから一番いいものが育つということ、不登校のたっぷりな時間の中で、子どもはそのことを、私に教えてくれた気がします