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題名: 症状が停滞した時、ちょっとプッシュしても大丈夫?
投稿日時: 2006-11-18 23:54:07
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こんにちは。ロンドンに住む6歳の緘黙児の母親です。
いつもははさんやみちさんの取り組みと体験を参考にさせていただいているので、恥ずかしながら私も自分の取り組みを打ち明けたいと思います(長くてすみません)。

うちの息子は、昨年10月頃から個室で先生に囁けるようになり、今年の夏休み前までにかなりの進歩を遂げました。あまり皆の注目が集まらない場面では、教室で担任の先生に小声で自分から話せるようになり、声の大きさや頻度の違いはあるものの、クラスメートの半数以上と会話できるようになりました。また、クラス全員の前で何か聞かれた時は、特に親しい友達のA君や話しやすい友達に耳打ちして、先生に伝えてもらうという形ができていました。

イギリスでは9月から新学年がスタートします。幸いなことにクラスは持ち上がりでしたが、担任の先生が変りました。運悪く、「子供に対する愛情がない」と評判が悪いむっつりしたT先生が担任。しかも、E先生とのジョブシェアで、2・3日毎に担任が交代するのです。

夏休み中に新しい担任達と個人的に合わせてもらえるよう、学校勤務のSENCO(特別教育支援コーディネーター)に何度もお願いしましたが、叶えてもらえず(イギリスでは先生のプライベートタイムを尊重するので、授業時間以外は殆ど何もやってもらえません)。息子は感覚敏感があり、周りの環境に影響されやすく、新しいことに慣れるのに時間がかかるタイプ。完壁主義でこだわりや劣等感が強いところもあります。担任が変り、しかも2人ということで、後退するかもしれないと覚悟はしていました。

結果としては、新学期が始まって2日目に、担任の先生に必要事項や聞かれたことの答えを囁けるようになりました。でも「小声で話す」から「囁き」に後退してしまい、それが継続。日によっては、担任と一言も話さない、ということもあったようです。最近になって、「小声で話す」ことも少しできるようになったみたいですが、作文の課題をする時など、「促されないとやらない」、「少ししか書かない」という昨年度に乗り越えた問題が、また出てきてしまいました。友達についても、安心できる特定の子とだけ喋る、という傾向が顕著に。今学期中、ずっとこういう状態が続き、「話すこと」に関しては、殆ど進歩が見られません。多分、担任に対する不安感はあるものの、息子の緘黙症状を先生もクラスメートも容認しているため、あまり困ることはないし、彼にとってはこの状態が居心地いいからだと思うのです。

症状が後退・停滞した理由を考えてみると、下記のことが挙げられます。
1) 前学年で行われていたグループでのセッションや1対1での読み書きの時間が無くなって、症状の改善を促すプログラムが殆どないこと
特別教育支援の先生が少なく人手不足なので、昨年度かなり進歩した息子は「あまり問題のない子」とみなされているようです。
2)感覚敏感もあり変化に弱い
新学期のざわざわした雰囲気や友人関係の変化に敏感に反応して、学期の始めは以前より不安感が大きく、特に親しい友達2人に対しても引っ込み思案になっていた(ちなみに、先学期にすごく進歩したのは、夏休み前の開放的な雰囲気も手伝っていたと思います)。

新学期に入って学校側も忙しくなったためか、SENCOとも担任とも話し合う時間をあまり取ってもらえず、息子の状態が判らなくて随分フラストレーションが溜まりました。現状が掴めないので、対策を立てるといってもどうしていいか判らず、試しにやってみたのが『資料No.5 場面緘黙児が自分の不安を把握するために』でした。絵を描かせるのではなく、「学校の先生がどのくらい恐いか教えてね」と5段階評価でクイズの感覚で訊いてみました。そうしたら、私が思っていたのとは随分違う評価。超恐い(5)のは校長先生、かなり恐い(4)のは担任のE先生と1対1で読み書きを教えてくれていたA先生、そして前担任のF先生。結構恐い(3)のはアシスタントのS先生、ちょっとだけ恐い(2)に良く話しかけてくれるSENCOと担任のT先生。意外でした。A先生とは個室(カーテンで仕切った部屋)で普通に話せていたし、E先生にも必要事項は囁けます。S先生とは教室でグループ活動をしている時、小さい声で話せます。話し掛けてくれる機会が多いと、不安感があっても声がでるようなのです。ちなみに、1対1であれば、殆どの先生に囁くことができます。

新担任に関しては、E先生は、「プッシュして後退したら恐い」という意識が強く、息子がアプローチするまで待っています。むっつりタイプのT先生は、緘黙を意識しているのかいないのか、積極的に何かをやらせるようにしています。息子の安心度はT先生の方が圧倒的に高いことが解り、先生からアプローチしてもらった方が安心度が増すのでは、と思うようになりました。最近では、学校生活を楽しんでいるし、祖父母の家でひとりで泊まれるようになったり、学校で行っている放課後クラブ(遊び中心で、11~5歳の生徒たちを6時まで預かってくれる)に、友達A君と一緒でなくても行けるようになったり、と精神的に随分成長したことから判断して、もう少しプッシュしても大丈夫だな、という結論に達しました。

それで、先日今学期初めてSENCOと担任を含めた3者懇談会があった際に、SENCOの同意も得て下記のようなお願いをしてきました(息子にはセラピストも専門医もついてません)。
・先生からの声かけを増やし、何らかの役割をさせるようにする。
・音読は、囁きから小声にするよう、何気なく促す。
・クラス全体の前ではまだ恥ずかしいので、人数が少ない場面で何気なく誉めたり、奨励する。
・放課後、会話の練習をする際に、家で描いた絵や文章を見せて、先生にコメントをしてもらい、少しずつ信頼関係を強める。

今まで「もっと大きい声で」とか、先生に「話せたこと」をその場で誉めてもらう、など「話すこと」を意識させるようなことは避けてきました。でも、今何となくそれをしてもいい時期に来ているような気がするのです。相談できる専門家がいないため、殆ど母親の勘で対策を決めてしまい、不安は残ります。でも、緘黙症の治療は、結局は試行錯誤してその子にあったやり方を見つけていくしかないと思うのです。

イギリスの学校では小学校がインファント(4・5~、6・7歳)とジュニア(7・8~10・11歳)に分かれていて、早生れで勉強遅まきの息子も来年ジュニアに上がります。敷地は同じでも、建物は別で教師陣も全く別。子供の顔ぶれは同じでも大きな変化となるので、緘黙症状が悪化することが予想されます。だから、親としてはその前に少しでも前進させたい、という願いも強いです。

元緘黙児の皆さんにお訊きしたいのですが、担任の先生にアプローチされることを、どのように感じられましたか?嬉しかった?それとも、重荷になりましたか?よかったら教えてください。


題名: みくさん はじめまして・・・
投稿日時: 2006-11-19 11:18:47
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みくさん はじめして・・・

私は 元緘黙児では ありませんし (たぶん・・・) 
先生のアプローチが 嬉しかったか 重荷だったか 感情的なことは わからないのですが
現在 長女の担任の先生が してくださってる事 書きます。
質問の答えに なるか どうかは 疑問です。
的はずれだったら ごめんなさい・・・


長女は 学校では 一言も 声が出ません。
ですが 3年生の時から 勉強する リコーダーだけは みんなの前で 吹けていました。
(リコーダーは 縦笛です)
それなのに 4年生になったとたん 吹けなくなったのです。
担任の先生は 毎年 変わられますので 何が原因だったのか わからないのですが
その先生も 一生懸命 休日に出勤して 二人きりで 部屋に閉じこもり 促してくださったりしたのですが
やっぱり 4年生の一年間は ダメでした。
音楽の成績に 斜線を引かれ(先生のご好意で) 親である私は 悲しい感情を持ちました。

そして 現在 5年生・・・
また 担任の先生が 変わり なんと! 先生と二人きりなら 吹けるようになったのです。

最初は カラオケルームのような 防音設備のある小部屋で。
先生も 横を向いて 決して 吹いてるあの子を見ないようにしてくださいました。
しぶっていたようですが 勇気を出して 吹いたようです。

資料をお渡ししてからは 少しずつ スモールアップも 考えてくださったようです。

次は 誰もいない 階段の上で。
本人は 意識しなかったようですが 休み時間で 結構 聴こえてたようです。

この前にいたっては 授業中に 教室から 少し離れた廊下で・・・
授業中だったので し~んとしていて 教室まで 聴こえたようです。
クラスの仲間の誰かが 「おい 静かにしろ!」と言って 長女の吹く音色を聴いてくれたようです。
先生と長女が 教室にもどると みんなが 拍手でお迎え。
長女は 「もう! いややってん!」とか 言ってましたが 私には なんか うれしそうに聞こえました。

さて 次は 先生 どんなことをされるのか?
私は 結構 楽しみであったりします (笑)


長女にとっては 少し 重荷になることばかりかな?と想像するのですが
でも うちの場合 その成果は すばらしいものだと思ってます。
親の方の支援・取り組みは 失敗に終わったのですが
しばらくは 先生の方に おまかせして(自分がさぼってるみたいで 心苦しいのですが)
長女が リコーダーを吹くことによって 自信を持っていったらいいなぁ!と 思う今日この頃です。


長文で 失礼しました :oops:


題名: Re: 症状が停滞した時、ちょっとプッシュしても大丈夫?
投稿日時: 2006-11-19 11:26:30
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みくさん こんにちは
 みくさんが熱心なお母さんであり、場面緘黙症対策先進国であるイギリスで、子どもさんのことを上手に対処なさっている様子は、時々この掲示板を読んでうかがっております。
 ちなみに私は幼稚園から中学校まで場面緘黙症当事者でした。

 担任の先生からのアプローチが嬉しいか重荷かというご質問にお答えします。

 「どちらでもあり、ケースバイケース」というのが私の回答です。
 
 まず、子どもと教師の関係で、どんな子どもさんでも、「好きな先生、ウマの合う先生とそうでない先生がある」と思います。私の場合、ウマの合わない先生とは、気の利いたアプローチをしてくれたとしても重荷でした。合わない先生のそれは“気の利かないアプローチに等しい”のです。

 場面緘黙症が日本の場合――イギリスでもそうなのでしょうか?――情緒障害の範疇にあるということがキモだと思います。
 
 どんな良い対応でも、合わない先生とは“こころが通わない”のだと思います。小手先の技法ではなく、元々人間と人間という部分のつながりで信頼関係がなければ、改善的なコミュニケーションを交わす以前尾の問題だと思います。このへんの視点が抜けると、本末転倒になるのではないかと思われます。
 少なくとも私の場合はそうでした。


題名: のひめさんへ
投稿日時: 2006-11-19 18:22:33
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 107
のひめさん、はじめまして(といっても、のひめさんのサイトは以前ロムさせていただいてました。無くなってしまって残念です)。

>先生と長女が 教室にもどると みんなが 拍手でお迎え。
長女は 「もう! いややってん!」とか 言ってましたが 私には なんか うれしそうに聞こえました。

長女さん、良かったですね!リコーダーがまた吹けるようになったということもですが、クラスの皆が認めてくれたことで、更に自信がついたのではないでしょうか。長女さんの努力もさることながら、一生懸命に向き合ってくれる先生との信頼関係があるからこそ、少しずつ勇気を出していけるのだと思います。いい先生に出会えてよかったですね。

スモールステップの設定の仕方って、本当に難しいと思います。緘黙症状や性格を考慮したうえで、その子に負担にならないやり方で治療しないと、拒否反応を起こしたり、後退してしまうこともあるので。特に、高学年になってくると、自我が確立されてくるので、子どもの気持ちを充分に考慮する必要があると思います。今長女さんの中で、「やりたい」という気持ちが強くなってきているようなので、これから少しずつ色々なことに挑戦していけるのではないでしょうか?保護者が傍観者の立場にたって、先生にリードしてもらう方が、うまくいく場合もあるようですよ。

難しいことですが、イギリスでは、「誉めて伸ばす」教育の大切さを提唱しています。人間、おとなでも子どもでも、やはり誉められると嬉しいし、自信がつくもの。特に、公の場で誉められることが少ないであろう緘黙児にとって、先生が誉めてくれる(認めてくれる)ということが大きいような気がします。


題名: かいわれさんへ
投稿日時: 2006-11-19 19:09:25
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 107
かいわれさん、はじめまして。コメントありがとうございました。

>「どちらでもあり、ケースバイケース」というのが私の回答です。

その通りですね。T先生に関しては「好き」なことが明確なのですが、E先生は「授業が厳しいので恐い」ようです。ただ、彼女にも固まることなく、囁くことはできるので、慣れれば親しみがますのでは、と願っています。息子は自分がやったことを認めてもらいたいという気持ちが強く、「E先生が、お家で描いた絵や文章を見たいって言ってたよ」と伝えたら、彼女が担当の日に自分で学校へ持っていきました。でも、やはり皆の前で彼女に見せる勇気はなく、「マミー、放課後持ってきて」となりました。この日は放課後教室を訪問することができなかったので、明日チャレンジして様子を見ようと思っています。

>小手先の技法ではなく、元々人間と人間という部分のつながりで信頼関係がなければ、改善的なコミュニケーションを交わす以前尾の問題だと思います。このへんの視点が抜けると、本末転倒になるのではないかと思われます。

うう~ん、その通り。考えさせられます。でも、現状では担任をのぞくと、誰も治療の手助けをしてくれる人はいないのです(大変不本意です)。
息子は今日本でいうと幼稚園の年長さんに当るのですが、この年の子どもにとって先生は「絶対的」な存在ですよね。私自身すごく恥ずかしがり屋で内弁慶だったため、保育園・小学校低学年は親友にべったりくっついていて、先生には全く注目されていませんでした。それで、息子にとってはどうなのかな、と想像がつかないのです。ただ、イギリスの学校の先生は日本と比べてもっと親しみがもてる感じです。
また、息子は小学校にあがって緘黙・緘動が酷くなる前は、家に遊びに来る女性に自分から話しかけて遊んでもらっていました。基本的に、大人の女性に相手をしてもらうのが好きだと思うので、今回プッシュしてみようという気になりました。そうでないと、ずっと現状のままか、放って置かれるうちに少しずつ後退するような気がして、恐いです。


題名: 好きな先生なら、プッシュしてほしいかも・・・
投稿日時: 2006-11-20 21:06:04
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みくさん、こんばんは。

緘黙児としての経験ではありませんので、参考にはならないとは思いながら、自分の小学校時代のことを書いてみたくなりました。

私は緘黙というほどではありませんでしたが、ほとんど口をきかない、たまに発言しても蚊のなくような声しか出ない、引っ込み思案で自己評価の低い子どもでした。5・6年生のときに担任の先生に恵まれ、苦手なことにチャレンジするチャンスを与えてもらい、たくさんの自信を得ることができました。(男の先生です。)

私の1番のコンプレックスは、運動音痴だったこと。

はっきり覚えているのは、跳び箱。6年生になっても、クラスでただ一人、一番低い段が飛べませんでした。跳び箱って勢いですよね。思いっきり踏み切ればなんとかなる。体育の時間に、先生が私のために時間をとって指導してくださいました。そして、何度もトライしてやっとできたとき、先生とクラスのみんなが拍手してくれました。すごくうれしかったから、今でも覚えているんだと思います。それから、鉄棒の逆上がりも・・・

そして水泳。なかなか距離がのびない私に、先生がバタ足のやり方についてちょっとしたアドバイスをしてくれました。先生に言われたように練習していたら、「○○のバタ足はうまい!オリンピック選手みたいだな~。」とほめてくださって、みんなの前でやってみせるようにおっしゃいました。すっかりその気になってはりきって泳いだのを覚えています。

自分を表現することも苦手でした。毎日提出することになっていた日記の中で、最初のうちは「もっと自分の気持ちを書いてごらん。」などのアドバイスをしてくださいましたが、そのうちに、「○○の書く文章はおもしろいな~。」と、先生は何度もほめてくださいました。私はしだいに日記に長い文章を書くようになっていき、自分の体験したこと、思っていることをありのままに表現することがおもしろくなっていきました。作文は私の得意分野になりました。

そして、卒業式での在校生への言葉。卒業生全員が声をそろえて言う合間に、何人かが代表してソロで言葉を言いますよね。そんな大役に選ばれるようなキャラではなかったはずなのですが、先生に「やってみるか?」と言われたときはうれしくて、こっくりとうなずいてしまいました。本番は緊張してあまり大きな声は出ませんでしたが、他にも適任の生徒がたくさんいたにも関わらず、先生が自分を選んでくれたことがすごくうれしかったことを覚えています。

先生は私に、意図的に自信をつけさせようとしたのだと、大人になってから気付きました。「放っておいて一人でできるような子どもではない」と感づいていたのかもしれません。自信を得るには、「苦手なことも、思い切ってやってみればできるようになる」という体験、信頼できる誰かに認めてもらう体験が必要な気がします。

いやな先生に無理矢理やらされたのなら、負担に感じるだけで、萎縮してできなかったかもしれませんし、そのことで、すごく傷ついたかもしれません。また、「やってごらん」と言われたときが、私にとって適切な時期でなかったら、できなくてますます自信を失っていたかもしれません。先生は「今、背中を押してやったら、この子はきっとできるようになる」と感じて、働きかけてくださったのだと思います。

もちろん苦手なことができるようになったこともうれしかったのですが、それ以上に、目立たなくてどこにいるかわからない私を、先生が見ていてくれたこと、「きっとできる」と信じてくれて、勇気づけてくださったこと、挑戦する機会を与えてくださったことがうれしかったのです。

以上、私の小学校時代の思い出でした。ちなみに、私の先生に対する好き嫌いは激しく、ウマの合わない先生とは徹底的に合いませんでした。

緘黙と関係のないことを長々と失礼しました。場面緘黙になりやすそうな気質をもった内気な生徒が、大好きな先生に積極的に関わってもらったときにどう感じたか、ということで書いてみました。


題名: みちさんへ
投稿日時: 2006-11-22 09:28:42
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 107
みちさん、貴重な体験をお話しいただき、ありがとうございました。

>先生は私に、意図的に自信をつけさせようとしたのだと、大人になってから気付きました。「放っておいて一人でできるような子どもではない」と感づいていたのかもしれません。自信を得るには、「苦手なことも、思い切ってやってみればできるようになる」という体験、信頼できる誰かに認めてもらう体験が必要な気がします。

学校で自信を持つことは、子どもが自分で体験しなければ得られないだけに、理解ある先生の存在は本当に大きいですよね。先生が自分を気にかけてくれる、好きでいてくれる、ということは子どもにも必ず伝わると思います。成績がいいとか、何かに優れている場合も自信に繋がると思いますが、やはりこれも先生の対応が影響してくるのではないでしょうか。

高学年になると親が子どもの世界に介入することが難しくなってきますが、親が先生や学校に働きかけることは重要ですよね。教師も人間なので親や子どもとの相性があるし、その人の持つ力量もありますが、ひとりでも多くの教師に緘黙のことを知ってもらい、少しでも手助けをしてもらいたいです(と書き終って、息子が通っていた幼稚園に緘黙症の資料を提出してないことに気付きました。近日中に持っていこうと思います)。


題名: 親の方から働きかけを
投稿日時: 2006-11-22 23:31:30
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 255
みくさんの書き込みを読んでいろいろ考えました。

>相談できる専門家がいないため、殆ど母親の勘で対策を決めてしまい、不安は残ります。

私は最近、専門家に相談することに限界を感じています。日本には場面緘黙に関する専門家はいないわけで、積極的な介入プログラムによる緘黙治療には実績がありません。頼りになる専門家がみつかったとしても、1ヶ月や2ヶ月おきにしか相談にのってもらえない状況では、子どもの日々変化する状態を正確に知っていただき、そのときの段階に合わせた的確なアドバイスをいただくことは無理なようです。

児相などに常駐されている児童心理の専門家の方も、発達障害児への対応や不登校を避けるためのノウハウには詳しくても、その先のことには自信がないので、積極的な意見は控えざるをえないようです。もし、緘黙児に対して現状を維持すること以上の冒険を試みようとするなら、結局は、親の判断でやっていくしかないように感じています。もちろん、親の判断だけで突っ走るのがいいとは思いませんが、専門家に思うように相談できない現状では、ある程度仕方がないと思うのです。

たまにお会いできたときに、自分のやってきたことを聴いてもらって、疑問に思ったことは質問して納得する。この作業はとても大切だと思いますが、専門家としての意見は十分に参考にさせていただいた上で、「じゃあ自分の子供に関しては今何をすればベストなのか」ということを考えて決めていくのは、親にしかできない仕事のような気がしています。のひめさんの担任の先生のように、一緒に考えてくださる場合もあるようですが、へたに関わって後退されることは怖いことなので、めったにそういう勇気ある先生はいらっしゃらないように思います。

>高学年になると親が子どもの世界に介入することが難しくなってきますが、親が先生や学校に働きかけることは重要ですよね。

「失敗したら...」と考えると、自分が決めなければならないのは怖いです。誰かに「それでいいよ」と言ってほしいです。でも、すぐに相談できる人が近くにいない場合、怖くても「まずやってみる」ことも必要だと思います。どんなことをしてほしいのかを学校側に伝え、「まずい」と感じたらいつでも引き返す準備をしつつ、子供の様子を注意深く観察しながらゆっくりゆっくりステップを踏む・・・難しいことだとは思いますが、そうすることで思わぬ成果が得られることもあります。

>緘黙症の治療は、結局は試行錯誤してその子にあったやり方を見つけていくしかないと思うのです。

私もそう思います。最終的にリスクを背負いつつ、ゴーサインを出すことができるのは親しかいないような気がしています。


題名: みちさんへ
投稿日時: 2006-11-24 02:40:44
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 107
みちさん、コメントありがとうございました。
治療の方法を決めることで悩んでいるのは、私だけじゃないんだと勇気付けられました。

>もし、緘黙児に対して現状を維持すること以上の冒険を試みようとするなら、結局は、親の判断でやっていくしかないように感じています。

日本では児相やSCに相談できて羨ましいな、という思いもあったのですが、みちさんのおっしゃる通り、担当者は緘黙治療の専門家ではありませんね。緘黙児はひとりひとり性格や症状が違うし、例え専門家がいても、学校に常務している訳ではないので、その子どもや学校に合った治療法を考え出すのは難しいかもしれません。イギリスでは緘黙治療の第一人者、スピーチセラピストのマギー・ジョンソンさんがいて、治療のバイブルと呼ばれている分厚いマニュアルもあります。でも、これには橋渡し役となるキーワーカーの存在が必要不可欠。学校の支援体制が整っている場合は、マニュアルを参考にして治療を進められます。でも、息子の学校は人員不足でキーワーカーをつけられないため、殆どマニュアルを活用できないし、かなり回復したためかサポートが激減して四苦八苦している状態です。サポートグループSMIRAのフォーラムで、マギーさんや他の保護者たちに意見を交換し合うことはできますが、直接会って話ができるセラピストなり、心理士なりがいれば、心強いなといつも思います。でも、実際のところ信頼できる専門家に出会うことは、どこの国でもとても難しいでしょうね。

そうそう。昨日、息子が通っていた幼稚園にSMIRAの資料を届けてきました。息子がお世話になっていた時の副校長が校長に就任していて、すごく喜んでくれました。昨年、ひとり緘黙かなと思える子どもがいて、地区の教育委員会に資料を求めたところ、かなり古いもので役に立たなかったとか。息子が在園していた2年ほど前は、緘黙症に対する認識すらなかったので、ましにはなっていますが、治療先進国と思われているイギリスでも、まだまだ治療体制が整っていないのが現実です。

息子は幼稚園時代にたまたま日本人の親友がいたのですが、その子と日本語でしゃべる以外は、殆ど話していなかった、という事実を知らされたのは卒園の1ヶ月前でした。子どもが好きなことをやらせる自由主義の園だったし、親友とはべらべら話していたので、成長すれば大丈夫と思われていたようです。小学校にあがった時、園で同じクラスだった子ども達は、息子を除いて皆同じクラス…。心配だったので、事前に小学校の校長先生に手紙を書いたにも関わらず、この結果でした。多分、幼稚園の先生が「あまり一緒にいすぎるとよくない」と判断し(こう言っていた先生もいたので)、息子だけ別のクラスにされたのではないかと憶測しています。このことも、緘黙の症状が悪化した大きな原因だと、後から思い至りました。

また、私が緘黙症のことを知る以前に、仕事で息子を小学校に迎えに行けなくて、親友のお母さんにお迎えを頼んだことがあります。この時、息子は大泣きして、親友のお母さんと息子の担任はもちろん、親友の担任も困らせました。友人宅に迎えに行ったら、いつも通り楽しく遊んでいたのですが、あとから色々聞いて驚きました。先生達が息子のいる前で、「どうしてしゃべらないのかしら?」とか、「この子、友達がいたのね。友達やそのお母さんとはしゃべれるのね、不思議だわ」などと、コメントしていたらしいのです(先生達、緘黙児はしゃべれないからといって、耳が不自由な訳でも、口がきけない訳でもありません!)。

こんな経験があるので、緘黙児の保護者の方々には、積極的に学校に働きかけて、先生達が勝手な解釈や判断をしないように注意して欲しいと、切に思います。人一倍傷つきやすい緘黙児のこと、ちょっとしたことがきっかけで、症状が悪化したり、学校に行けなくなることもありえると思うので。


題名: 「それで十分」と言われてしまったこと
投稿日時: 2006-11-24 08:30:50
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こんにちはルディと申します

皆さんの書き込み、大変興味深く拝見しております
お子さんへの真剣な取り組みに
頭の下がる思いです

私は自分自身が未だに
それほど世間とうまくやっていける性格ではないので
まず思うことは
なぜ世間とうまくやっていかなくてはいけないのか?
という疑問です
So What?と言いたいです

皆さんの論点とはずれてしまうかもしれませんが
私のこのことに対するの考えを
聞いていただきたいので
割り込んで書き込みする失礼をお許し下さい

世間とうまくやっていけないことが
なにか自分の欠陥のように
感じなくてはならないのか?

そんなに学校は素晴らしいところなのでしょうか?

私は子供の未来について
世間並みの幸せという価値観を
あてはめたくはありません

せっかく人と違ったところがあったのですから
それを周りが理解し受容するための努力は必要とは感じても
本人にはそのままのあなたで何も遠慮すべきではないと
伝えたいと思います

話さなければならないとは思いません
また大変極端なことを言えば
学校にも必ずしも行かなくたっていいのではないかと考えています

まずは周りが現在のままの子供を
完全に認め受け入れる体制をとること
そのままで尊重すること
それがまず初めになければ
集団になじませようとする努力が
子供にむかって今のあなたは不完全だから
完全にならないと世間では受け入れてもらえないのよと
無言のメッセージを送ることにはならないのだろうか?と考えます

また逆説的になりますが
もしも子供が自分から話してみようと思うとしたら
完全に今のままの自分が受け入れてもらえる
そのような環境においてではないかと思います

ですから治療という考えそのものにも
私は違和感を感じています

子供に対して親は絶対の自信を持ち
本人にもそれを持ってもらうこと

それが最も必要なことなのではないかと・・

それってやはりとても難しいことなのでしょうか?


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