旧掲示板過去ログ


場面緘黙症Journalトップへ


113 件の記事    1  ...  9   10   11   12   
題名: かなり主観的な見解
投稿日時: 2007-11-02 09:05:27
User avatar

登録日時:
投稿記事数:
おはようございます。
娘さんは元気になられたでしょうか?

最近、役立たずのスクールカウンセラーとうちの子供を引き合わせるにはどうしたらよいか考慮中です。
うちの子供もぼちぼち鬱状態に入りつつあるのではないかと思うからです。

緘黙症の何が悪いかと言われたら、親にしてみれば「よりによってうちの子供がこんななんて我慢できない」、周囲の人にしてみれば「何を考えてるか分からなくて迷惑」これが本音であるかもしれません。
それを、「友達ができたら楽しいよね」とか、「ひとりよりみんなのほうがいいよね」と本人に言って諭すのです。

子供は幼い頃からそういう既成概念(或いは社会のニーズ)を頭に叩き込まれて育ちます。
だから、友達がいて、みんなで過ごす時間は楽しいものだと頭で理解します。

だから、本人は話せないから友達ができないのも仕方ない、いつも独りなのはやむをえないと、とりあえず理解します。
話すことができないのは、自分の意志ではないのだから・・・。

さて、話せるようになりました。
これで、自分もやっと皆と同等になれたと本人は思います。
今まで、自分を無視していた人たちが自分に近づいてくるようになります。
その世界が新鮮で、彼らと一緒に頑張ろうと思います。

でも、しばらくすると気づいてしまうのです。
彼らと一緒に目指すべきものが、自分にとってなんて色あせて見えることか・・・。
でも、その世界がすばらしいのだ、幸せなのだと幼い頃から教えられて育ったので、自分がそう感じることに納得できない。
だから、違和感を感じつつも頑張ろうとする。そして、息切れしてしまうのです。

そして、そのことを人に言っても、やる気がない、とか非協力的とか言われるのが分かるから、余計苦しいのです。

いずれにしても、子供は自分にとって不快感だという感情にあっさり流され、それに抵抗する手段を持たない限り鬱になる・・・と私は思います。

それがうちの子供の未来であるような気がするから怖いのです。


題名: みんなと楽しく
投稿日時: 2007-11-02 10:33:44
User avatar

登録日時:
投稿記事数:
何か完全無欠のものが存在すると思っていて、それに満たないものが落胆の対象になってしまうのだとしたら、その人は完全なものがあたりまえにあるという安楽な幻想を抱いていると言える気がします
不安妄想というものも、安心で完全なものを与えられる安楽さが得られないことから発しているのだとすれば、おいおい、そんな虫のいい話はころがっていないよ、と言いたくなります

それは、自分自身が人生を築いていくという精神のなかで能力をフルに生かしていくことが、生きがいや幸福になり得るというような創造的発想からすれば、怠惰なあり方と言える気がしますね

同じように、みんなといるだけで楽しい思いをさせてもらえるというのは、たなぼた的な発想で、それはそれぞれの個性のぶつかり合いを越えて意志によって築かれていくものでしかないわけです

みんなと一緒に楽しさを目指す、その過程で成長していくことが貴重なのでしょうね
でもそんなの大人が抱く幻想という気もします
実際大人の世界では、それは実現できているのでしょうか?
完璧に理解しあえるような人間関係、楽しいだけの人間関係などがあるとは思えない私はさびしい人間なのでしょうかね?

先日子どもは先輩から聞いた言葉にちょと驚いたようです
先輩は目標を持って頑張っている方で、子どもはたいへん尊敬しているのですが、「クラスでの人間関係で悩むなどは、中学生のすること」とのこと
目的に向かって生きている人間にとっては、それは2次的なことだと考えることを、子どもは驚きと尊敬の気持ちで聞いたようでした


題名: ごめんなさい
投稿日時: 2007-11-02 14:54:14
User avatar

登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 145
自分中心に話をすすめていて、書き込んでくださった方にきちんとお返事していませんね

私は専門家ではないですし、主観的なことしか言えないですから、困ってしまいます

私なりに展開しているへんてこな取り組み方を、皆さんが批判なり、共感なり自由に扱っていただけれるといいと思います

今うちの子は、自分の感じていることを言葉にすることが出来るようになってきていますから、今まで自分でもよくわからなかった不安や行動を、自分でも把握し、私にも話せるようになっています
このことはたいへんな進歩で、そういうことが出来るようになると、自分の問題に主体的に取り組むことが出来やすくなると思います
言葉で整理することは大切なことかもしれません
それが出来ないうちは、大人が思いを汲み取って気持ちを言葉に置き換えてあげて頭を整理していくのはどうかなと思います

また、子どもは私が言うことの中に含まれる様々な意味合いをたいへん良く理解してくれるのでとても助かるようになりました

一つの出来事に対して、いくつもの捉え方がある、自分が思っていることもその一つに過ぎない、それに縛られる必要は無く状況に応じて自分の考えを変化させることも出来る、そんな風であってくれればと思っています

ですから私自身も、一つだけの考えで子どもに対するのではなく、いろいろな自由な考えを子どもに提示できるようでありたいと思います

子どもはたいへん感受性が強く賢いので、おきまりの対応ではかえってばかにされてしまいます
ですから私は賢くふるまうというよりは、こんな変な大人も生息しているのか・・と驚いてもらうぐらいがいいのではないか?と思っています
あらゆる面白い考えを示して子どもを驚かせることで,お互いに認識の自由さを楽しむことが出来ればと思っています
それで認知療法的な効果が得られ、笑えればリラックスできて一石二鳥です


113 件の記事    1  ...  9   10   11   12