なかたさん、考えていただき申し訳ないような嬉しいような気持ちです
なるほどそうかもしれないと思いながら読ませていただきました
「申し訳ない」よりも、「責められるのが嫌」なのは、私も家の車を擦ってしまったときなど、すぐにそう思ってしまうので不安症だからとは思えない部分です
私はそのような時は、まず友人のところで傷を隠す巧作を行う・・どうしてもだめなら見つかる前に業者で治してしまって知らんぷりする、それも出来ないときはしおらしく「擦ってしまったの・・ごめんなさい」と言う
というように段階による判断や行動があります
でも、確かに自分のせいではない、関係ないと思っていれば何もしませんね
そこにポールが立っていたのが悪いということなら、責められるのは不当だということですね
しかも傷ついた車を見てショックなのはむしろ私のほうである・・と
でもつまるところ夫の車だから、実を言うとあんまり気にしていない
その関係ないという態度と同時に、自己主張しなくてもショックを受けていると理解してほしいというように立っていることのほうが、責められやすいひとつの「行動」と受け取られてしまいますね
実際私も、なべも気になりますが、割れたのに何もしないでいることのほうが気になるのです
怒るとすれば割ったことよりも、なんの行動もしようとしないことに対して怒ることになるでしょう
その後どうしたかと言いますと、意地悪な言い方をしてしまいました
「変なところに置いていて、すみませんでしたね」と少々皮肉を込めて言ってみました
子どもは無言で行ってしまいました
結局私が悲しい気持ちで片付けたのですが、私こそ被害者意識を持って、いつか見ていろ・・と思ってしまいました

そののち、チャンスは訪れました
加害者なのにまるで被害者のように自分を哀れんで嘆いているクイーンの曲の歌詞を二人でたまたま見たときに、これって君のテーマソング?と言って仕返ししてしまいました・・
親子と言うより、女同士のけんかじみてきました