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題名: ガクッときてたこと
投稿日時: 2007-07-03 20:33:43
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このトピックの、ずーっとまえのほうで書いていた、ガクッときてた事について書いてみます

幼稚園のときは、先生の対応がとても良く、「~しなければならない」のないところだったので、比較的よかったと思っていました

おそらく、場面緘黙を、知らなかった割には、良かった・・と思います
子どもは、描いた絵や作ったオブジェを、先生にとても大事に飾っていただいていました
今思えば子どもが表現することが好きなのは、こうした先生たちのお陰だとも思えます
参観に行くと先生が一人ひとりのお母さんのそばに来て、子どもの作品や生活を丁寧に解説してくれました
そこでわかったのは、先生が子どもの作品をとても愛して下さっていることです
一番素敵に見えるように、飾ってくださっていることがよくわかりました
参観時間に、音楽に合わせて動物のまねをする遊びのときには、先生はピアノを弾きながらみんなに聞こえる大きな声で「あら、○○ちゃん(うちの子)の蛇さんは、一番すごいです!!みんなも頑張ってくださいよ~!」と言ってくださるなどして、いつでも子どもを勇気付けて下さっていましたし、ちょっとでも頑張っていることを、決して見逃さなかった
そう感じられたので、私としてはすっかり安心して行かせていました

ところがつい最近聞いた話で、年長ぐらいになると、いつもお友達が「アって言ってごらん」とばかり言うことは嫌だった
また、年中のときの先生が、仲良しにさせようとして何人かの子と自分を一緒に遊ぶようにさせたけれど、自分はその子たちがあまり好きではなかったので、それは嫌だった
のだとわかりました

それから、信頼していた小学校低学年のときの先生の、子どもに対する言葉がけで、
言葉でなく首ふりで答える子どもを「こっくりさん」と呼んだこと
お姉ちゃんがとても活躍して目立つタイプだったので「お姉ちゃんに元気を吸い取られちゃったのかしらね」とよく言われたこと
まあ、そう言いたくなるのもわかりますが、教育のプロとしては適切な発言とは言えない
子どもを勇気付ける発言と比べれば、勇気がしぼむ発言ですよね
しかも、目に見えやすい活躍に気をとられ、大人しく見える子どもの良さをちゃんと見通す能力が無い、そうでなければ、そんなことは言えないでしょう
子どもが生き生きしたときの先生は、常に、「○○ちゃんは大丈夫ですよ!お母さん とても素晴らしいですよ!」と言ってくださっていました

それから、仲良くしていた友人が、毎日、「どうして二人になるとよく話すのに、みんなといると話さないのか?話さないと、みんなに迷惑だ」と言っていたこと
ただそれは、たまたまそう言っているとき私が遊んでいた部屋に来て、それを聞き、「だんだんと話せるようになるけど、それは今すぐではないから待ってね」と言ってから、言われなくなったのだとか・・・そんなこと言ったのなんて忘れていました なかなかいい伝え方出来てましたね・・我ながら:roll:

先生に発表のとき「声を大きく 」と言われること
はっきり答えたり出来ないときに、しっかりしていない、とか、甘えている、というように判断する先生が嫌だった

高学年だから、このぐらいのレベル・・それが出来ない子は、甘えている・・そんな単純な図式で言ってくる先生って、そりゃむかつきますよね 子どもなりの小さな努力、表立っていない素晴らしい素質、あるいは気にかかっていることなどを、見通す能力が自分に無いことはさっぱりわかっていないのに、あるいはわかっていないからこそ、自分の図式にみんなを当てはめて、ダメなやつと判断する、そんな教師がいるとしたら、というか、けっこういると思います 「もしかして・・君こそがダメな教師なのでは?」そんなことを言う勇気はありませんが 8)

とにかく、自分の無能さに気づかず、それを補うために振り回しているありきたりな常識を疑わない人こそ、とんだはた迷惑ですよね 教師として存在していていいのか、自分を疑ってもらいたいですが、そもそもこういう人はそれができない

まあ、それでもたいていの場合、そこまで変な人は別として、先生やお友達が、うちの子が不快に思うようなことを言ってしまうのも、場面緘黙だとは知らないし、見守ってみることも出来ないせいで、いったいどうしてそうなっているのか?と、非常に疑問に思うからだと思います
わからない・・って、何かやっぱりしっくり来なくて、その不思議さを、ただ単純に本人にぶつけるわけですね
あるいは、普通に話せるようになるといいのにという気持ちから、言ってくれた場合もあるでしょうね
でも本人は最初からそうだったので、わけわからない
でもそういうときのうちの子の反応は、意外に自己肯定的・・というか、逆に、そういうことを言ってくる人に対してかなり優しかった、キャパシティの大きな娘・・ほんとに賢いです
たいていは許してあげたけど、しつこいと怒ってました
自分がダメなやつだ、とはならなかったのが、やっぱり天才なわけです
子どもがそういう根本的な自己肯定感を持てているかどうか、というのは結構重要なことかもしれませんね

また、優れた先生は、わかっていなくても、今資料にあるような対応をちゃんとしてくれていた、その人の人間としての資質の高さによってそれが出来ていた
そういう方々には、本当に感謝しています
娘の場合、本人の根本的肯定感を育ててくださる、言葉以外の表現を大切に育ててくださる、そういう方との出会いに偶然恵まれたので、だんだん良くなることが出来た、本当にありがたいことです

そして、娘が、今治ってしまってから、偉そうに言うのには、「黙っているのも良かったよ」どうしてかというと、「話さないでいると、静かに考えられるから」なのだそうです
そうか、それじゃもしかして、そのときは静かに考える能力を育てていたのか??そうとも言えるかもしれませんね
そういえば、君は今、理解力や思考力に優れているね :)

ねえねえ、何年生ぐらいでどのぐらい話せていたの?何人ぐらいと?などと私が、ねほりはほり聞こうとしたら娘は「もう!いいじゃない!」とうるさそうに言い、今と比べて、黙っていたのだっていい点があった、と言う・・
そういわれてしまうと、なんだか、自分が人間として小さい、娘のほうがでかい・・そう感じてしまいます

あることが、いいことか悪いことか、正常か病気か、それを決めるのは誰なのか?人と自分の常識が違っているときに、ついつい自分がいけないと思ってしまう人もいれば、人に自分の常識を押し付けて平気な人もいます
しかし、考えてみれば、話すか話さないか、その視点だけで人を見ようとすること自体、貧しい考えとは言えないでしょうか?
娘が私の質問をうざく思うのは、そういう言葉にならない彼女の意識を表しているのかもしれない、と思うと、自分が恥ずかしくなります
娘は常にそういう見方の被害にあってきたけれど、常にそれを黙殺して自分の世界を強めていったことは、恐ろしいぐらいの心の強さなわけです
だから今、自分の世界を見事に展開し、素晴らしく表現することが出来る
自分の世界が強固に確立されたとわかったとき、初めて自信を持って話し始めた
それまでは、簡単にその世界を人に向かって開いたりしなかった

みんな違ってみんないい・・なんて言っても、権限のある人の常識や、大多数の人の常識が、力を持っているのが現実です
この子達がひどくなってしまうのは、そういう力が大きくて、この子達なりなゆっくりした成長力が押しつぶされてしまう、あるいはみんなと違う自分はダメなのだと思って萎縮してしまう、そういう面があるように思います

思いっきり長く書いてしまいました
読んでくださった方、どうもありがとう :D


題名: 誰にとっての問題か?
投稿日時: 2007-07-06 08:31:52
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 145
「話せないことは、誰にとっての問題なのですか?」

こう聞かれたら、皆さんはどう答えますか?

実は富重さんのサイトや海外の支援グループを知る前に、学校の相談室や、スクールカウンセラー、市の教育相談、県の教育センター、すべてに足を運んだのですが、

それぞれの判断はだいたい下記のようなものでした

学校や、市の教育相談・・・子どものおいたち、家族関係、家庭での不安材料に原因がある、場面緘黙については、病名などつけないほうがいい、あるいは、わからないのか、そのことについて何も言わない

県の教育センター・・「この子は、何も言わなくても人がわかってくれていると思っている、少しずつそうではないことをわからせ、人に自分のことを伝えることが必要だと理解させる必要がある」場面緘黙については、自分と話せるので違う・・(もうちょっとあいまいな言い方で)

全然納得いかなかった私は、そのころは、この子が家のように話せるようにしてやりたい・・何かいい方法は無いのか?と考えていましたので色々調べ、どこからどう調べたのか忘れてしまいましたが、こういう例に良い療法として、行動療法、認知行動療法があることを知り、それが行われているクリニックに行ってみたわけです

それをやっているところはとても少なく、近くにあるのは子ども向けのところではなかったのですが、とりあえず行ってみました

そして精神科医に内容を話し終わって、言われたことが
「それはいったい、誰にとっての問題なのですか?」
という言葉です :shock:
そんなの誰にとっても何も、不登校にまでなっているのに、なぜ「誰にとって」と、問われなければならないの?!と感じて・・
「といいますと?」
「それは、例えば、お母さんにとっての問題なのですか?それとも、お子さんにとっての問題なのですか?」
はっきり言って、そのときはなんだかイラつきました
何でもいいから、はやく何とかして!って感じです

でも今思えば、そう聞いてもらって良かったし、それを聞くのは、さすが!と思います
結局そこへは子どもが行くことはありませんでした
つまり、大胆なことを言うようですが、それはそのときの私が問題にしていたのであって、子どもにとっての最も切実な問題ではなかった、ということだと思います

私にもそんな試行錯誤がありました :)
まったく、こうして書くと何行かですんでしまいますが、はっきりした認識が持てないこと、納得できる答えが見つからないことほどストレスのたまることはありません

その後1年以上たって、アメリカの支援グループを見つけたときは、心から納得でき、本当にすっきりしたものです

でもそれは私の中だけでのことなのか・・?
子どもにとってこのことは一体なんだったのでしょう?
娘といったら、ほとんど人事です

子どもによって、話せないことをどのぐらい問題視しているかが違っているかもしれませんね

CBTセンターの方がブログに書いてくださったように、本人が今どのぐらい話すことに意識を向けているか、意志をもっているか・・それを良くわかっていないと、お母さんの問題意識を子どもに押し付けてしまうということになりかねません
私のような軽はずみな親にならないよう、注意が必要だと思います


題名: 誰にとっての問題?
投稿日時: 2007-07-06 11:40:46
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いつも、ルディさんの洞察力ある文章に惹かれ、楽しく読んでいます。

最近相談に行った、特別支援学校にて私も同じ質問を投げかけられました。
話せないことで、誰が困っているの?
娘(小6)が話せないことで、私も彼女が話せるようになって欲しいの一存で様々な相談機関に行きました。
そして今回特別支援学校(以前の養護学校ですね)。
場面緘黙のお子さんが何人か通っておられると聞いたので、どんなものかと相談にいきました。
先生が娘の学校での様子をお聞きになって、一言。
「でも、お嬢さん、話せないけど、それなりにコミュニケーション取れているんだし、学校に楽しく行ってるんだし、何にも困ったことないじゃないですか?話せなくても、全然困ってないとおもいますよ。困って見えるのは、お母さんじゃないかなあ?」

娘が話せないことで困っているのは、正直自分自身なんでしょうね。 :oops:


題名: 「引寄せの法則」って知ってますか?
投稿日時: 2007-07-06 12:59:03
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始めまして!!こんにちは、小5の長男が場面緘黙症のギャオちゃんです。私もルディさんの洞察力するどい文章に引かれていつも楽しく読ませていただいています。

そこでルディさんに相談です。子どもは週一遊戯療法に通っていまして、それ以外に私は月一違うところにカウンセリングに通っています。そこのセラピストの方に教えていただいたのですが、「引寄せの法則」とゆう自分が意識することが現実に起こるとゆうものです。

以前「見つめるものが拡大する」とゆうお話を興味深く読ませていただきました、とてもよく似ているのではないかと思いまして。

ここにDVDのリンクを貼りますので、お時間があるときぜひご覧いただいて感想をお聞きしたいなと思います。

http://jimaku.in/w/_b1GKGWJbE8/ae1POlJjQMK
「ザ・シークレット」といいます。

是非是非ルディさんのご意見お聞きしたいです。

トピックに突然割り込んですみません。


題名: 相談者の問題かと思います
投稿日時: 2007-07-06 19:11:01
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ルディさんへ
ひまわりさんへ

こんにちは。Knetのけいこです。
ひまわりさんは人権ビデオの紹介ありがとうございました。そんなビデオがあるんですね。子どもさんも見られたのかしら?気になってます。
お二人の書き込みを読んで、思わず書き込みたくなりました。

ルディさんの精神科医もひまわりさんの先生も、
「困ってるのはお母さんであって、子どもではないでしょう」だなんて!
論理を曲げてません?

「だから?」って聞きたいです。

残念ながら、
子どもが「困ってないからこのままでいい」というなら何かに取り組むのは難しい。
(実際、小学校中学年を過ぎた子どもの取り組みは、
本人に取り組もうかという気持ちがないと難しいです。
ルディさんと訳したKnet配布資料NO.14にもありますよね)
ルディさんの精神科医がそう言うのなら分かります。
ひまわりさんが相談された特別支援学校の先生も、
知識がなくて困ったのでしょう。

本当なら相談者は、人のせいにするのではなく
「すみません。・・・だから、自分には援助出来ることがないです」と言うべきだったのでは? 
これが、なかなか言えないんですね・・・。(自分にも問わねば)


子どもが「困ってない」と言ってるからといって、
「困ってると感じてない」からといって、
本当に困っていないわけではないです。
ちゃんと「症状」がでて、身体が困ってると訴えている。
環境と子どもが合ってないというサインですから。


題名:
投稿日時: 2007-07-06 21:38:50
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 145
本当ですね、けいこさんのおっしゃることもそのとおりだと思います

まず、私が「誰にとっての問題か?」の話を書いたので、ひまわりさんがご自分の経験を書き込んでくださった、そのことにとても感謝しています

やはり色々な方の実際の経験をうかがうことは、物事を具体的に考えてみるためにも、たいへん有難いことだと思います

おかげで、けいこさんの貴重なご意見をいただくことも出来ました

「子どもは困っている、体の症状が困っていると訴えている」ということですね
環境と自分が合っていないということ

精神科医は、「話せないことは誰にとっての問題か?」と、質問したのですが、それはおそらく、行動療法や認知行動療法では、本人の意識が大事だから、そう言ったのだと思っていました
「体」が困っていても、その子自身の取り組みたいこととして「意識」にのぼっているのかどうか・・ということかな?とも思います
そこが、大人向けのところだったせいもあるでしょうね
ルディ家の娘は、その時点では話すことに関心を持っていないように思われた
(多分、すでに家にいてもいいことになっていて、しばらくそのままでいたかった、すぐに教室に行く気が無かった、からだと思います・・なにしろ、家では話すことに「困って」いないので)

ひまわりさんの場合はどうなのでしょう?
読ませていただいただけでは、わからない気もしますが、もしかしたら、ということで考えてみると、現在お子さんが学校生活に溶け込めているのなら状況は悪くない、おかあさんが心配したり焦ったりするより、今の楽しいと思える生活自体から、いい方向性へ向かえるのではないかと判断した・・とか?(資料にも、楽しいと思える気持ちから、話してみたいという気持ちが膨らむ・・とあります)
そこで、お母さんに安心感を持たせるつもりで言った・・とか?

何のつもりで精神科医や先生がそう言ったのか?ということは、色々に取れますので、確かに、けいこさんのおっしゃるように、子どもが困っていることを無視する無責任な発言、とも取れるかもしれません

ほんとうに、子どもの「困り方」は、どのようなものなのでしょう?
困っているのか、守っているのか・・そのことにどの程度意識を持っているのか・・どのような意識の持ち方をしているのか
また、子どもによってどう違うのか

おかあさんも、とりあえず困ってしまうのは事実です
困っていけないということはない
ただ、必要以上に困るのは、かえって子どもによくない、と客観的にならなくてはならない
あくまで冷静に状況を見なくてはですよね

子どもも親も、「困った、困った」で止まっていないで、冷静に状況を理解すべきですね
「困った」勢いで進むのではなく・・それが親が子どもに見せるべき態度ではないでしょうか?困ったときこそ、冷静に考える・・という・・??

なんだか頭が混乱してきました

長くなってしまうのでこのぐらいにします


題名: ギャオちゃんさんへ
投稿日時: 2007-07-06 22:37:21
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
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そうか、ついに私も教祖にでもなってしまおうか・・?などとつけあがってしまいそうな気がしてきました

ギャオちゃんさんが、意見をと言って下さるのは、なぜなのだろうか?と・・

そこではりきって、この映像を拝見してみました

そして結論・・そう考える人にとってはそうなる・・そういうことですよね
この映像に対しても、そうだと思える人にとってはそうであるはずですね
では、そうなのだなと・・

これは、とても単純な内容だとは思いますが、(とてもアメリカチック・・)ギャオちゃんさん、実際にそう思ってみる、ということを実験されてはいかがですか?
私は、ハッピー現実化計画と名付けて実験してみたことがありますよ
一言で言えませんが、とても面白い結果でした
あやしくなりすぎるので説明は控えますが
ただ問題は、自分の考えをどのぐらいコントロール出来るかということですよね、無意識下まで
マーフィーの法則にも似ているかな

そういえば、先日ある信仰を持っている友人に会ったら、異常なほど幸せそうにしていたので気味が悪いほどでした
これを信じればあなたも全てうまくいくし、宇宙の力そのものになれるのよ、まあ、そんな感じでやたらウハウハとなっている・・はっきり言って何も考えることも無い様子で、つまり、幸せなのですね

それは、私の好みでは無かった

いったい本当は自分が何を望むのか・・自分に問いかけること、それを見つめること、が必要ですね
だって、もしかして、この考えから言うと、自分が知らない間に望んだのが今なのかもしれないからです

子どもが不登校だったときにも他の友人が、「寝る前に強くイメージすることが大事よ、学校でとても生き生きと過ごしている○○ちゃんをね。必ずやってみてね、絶対そうなるから」(あやしい友人多いです・・皆それぞれなあやしさです)
う~ん、それで、そうなったのかな?
でも、そのとき思ったのは、そんな単純に学校で生き生き出来るのだろうか?
なぜ学校なのか?学校の体質にうんざりしていたので、そう思いましたね
学びたいことがあって、学校を利用してその機会を持とう、そのぐらいのつもりでないと、学校なんて我慢できないんじゃないの?あんな、雑多な人たちがいる環境なんて・・
その思考が子どもを不登校にしたのかも・・・???
中3の頃、不登校の時間を活用 :wink: して、平日に絵のアトリエに行っていた娘でしたが、現実的な話、そこに毎日行っていたら、お金が続かないです
そういう意味では、学校はリーズナブルですから、少し変な人がいても利用したほうがいい・・ :) ぐらいなら思えましたが・・
でも途中から、子どもが言い出しました「私は同じ美術が好きな、同年代の友達と一緒に、勉強したい!」
へ~そうなの?という感じでしたが、子どもの気持ちは強かったです
優しい、品のある、信頼できる大人たちと、素敵な先生・・のアトリエよりも、同年代の友人がいい、学校の行事や、いろいろな授業に、みんなと参加したい!
その意志が、今の状況を作ったと思いますね
私ではなく、子ども自身の強い気持ちが必要だと

とりあえず、やってみても何も損は無いわけですから、ぜひギャオちゃんさんもイメージしてみてはいかがでしょう?ギャオちゃんさん自身のことでもいいのではないですか?そしてうまく行ったとしたら、子どもにその喜びを伝えてみては?

結果はこっそりおしえて下さいね


題名: 早速ありがとうございます!!
投稿日時: 2007-07-09 16:29:39
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早速の返信ありがとうございます。すぐ見てくださったんですね。さすが教祖さま!!(ごめんなさい・・・)

やっぱりルディさんに相談してよかったです。胡散臭いからやめたら・・・なんて返事がきたらどうしようかと思っていました。肯定してくださってありがとうございます。

私が今カウンセリングを受けているのは、マイナス思考をプラス思考に変えるためとゆう感じです。ここ一年近く通ってかなり前向きな考え方に変わってきたなと自分でも自覚できるようになってきたところです。

そんな頃ルディさんの「見つめるものは拡大する」を読んで「いい考え方」だなって惚れてしまったんです。偶然にも同じ時期に「引寄せの法則」も知り私の中にすっと入ってきたんです。確かに請求書が小切手になったり、象が部屋の中に来るあたり、眉唾ものですが、この2つの法則を知ってからマイナス思考になろうとする私の心にブレーキがかかるようになりました。「あっ!!今マイナスになってる。危険危険!!」と自分で気づけるようになってきました。

長男は今小5ですが、発症は小3ですので、緘黙歴2年になります。今のところクラスメイトに恵まれ大きなトラブルもなく過ごしているようです。部活も音楽部に入り鉄琴を担当するなど日々頑張っています。

ただ怖いと思ったことはとことん怖がる性格でして、アミグダラーでしたっけ?脳のその部分が緘黙の子は発達しているんですよね?うちの子も他聞にもれずものすごいんです。特にプールで顔付けすることを怖がり、泳ぐなんてとんでもなく、顔を洗うことさえほんとに大変でした。幼稚園の子よりもレベルが低いくらいで、担任の先生にマンツーマンで特訓してもらっている有様でした。でも先週本人が「ゴーグルつけてやる」と断言したら、なんと潜れるようになったのです。この10年間苦労して苦労してプールのために不登校になるかといゆうところまできていたのですが、本当にびっくりです。

緘黙が治らなければきっとプールは上達しないと私は勝手に思い込んでいて決して無理強いはしていませんでしたが、反対にそれがよかったのでしょうか?本人がやる気になるまでずっと待っていました。やっと10年目にして達成できました。まだ泳ぐことはできませんが、潜ることが嬉しくてたまらないとゆう息子の姿をみていたら、泳げる日も近いのではないかと期待してしまいそうなんですが。

もしかして緘黙も・・・・なんて淡い期待をしてしまいそうなんですが。

生まれ落ちてから苦手なプールを10年目にして克服できたとゆう自信は本人にとって大きな自信につながるのでは・・・と思っています。克服しようとゆう勇気を奮い立たせるきっかけになるといいなと思っています。

法則に出会ってから、自分の考え方を変えようと意識し始めた途端、子どもが変わってきた様子が伺えるので、親も変わらなければいけないなと思いました。

こんなことがあったものですから、教祖様・・・いえいえルディさんに相談してみたくなって突然トピックに割り込ませていただいてしまったんです。

相談してよかったです。ほんとうにありがとうございました。また遊びに寄らせてもらってもいいですか?


題名: 頑張って欲しいプロの方たち
投稿日時: 2007-07-10 08:58:09
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
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子どもの不登校がきっかけで、学校の担任の先生、相談室の先生、大学病院付属の子どもの心クリニックの先生、教育センターの先生・・と、やたら「先生」となのつく人たちに、いっぱい接することとなりました

私のような、ただのずぼらな主婦が言うのは本当に申し訳ないのですが、それでお金もらってるプロなら、常に、最新の情報を仕入れるぐらいのことは、してもおかしくないのではないかと思ってしまいます

私のような素人が、アメリカのヤフーからたった5分で手に入れられる情報を、なぜプロが知らないのか不思議です

校長先生から、私たちは障害のプロではありません(だから適切に対応出来なくてもしょうがないってことか・・?)と言われたことがありましたが、もしも、少なくとも教育のプロなら、自分の学校の生徒が学校に来れなくなっていることに、もっと親身になっていいのでないかと思いました

教育のプロ、心理のプロ・・がここまで頼れないとは思ってもいなかった
それが実感です
この人たちの無知が、援助を求めてさまよう私にとって、かえって「障害」となってしまいました

例えば、学校では・・
・これが正しいのでは?と情報を提供しても、一母親の言うことを馬鹿にして、真剣に取り合わない(主観が入っているかもしれませんが、そう感じられた)
・間違った原因説を配布する
・親が支援を頼むと親のいないところで、子どもをなじる(最悪!)
・過去の間違っていた対応を記録していない、学校にとって都合の悪いことを引継ぎをしていない
・子どもの様子を記入したものを、他の生徒の目に止まる場所に広げて放置する
・連絡ノートを作ってもらい、質問事項を書いても返事がずっと無いことが多い
・子どもに対する無思慮な言葉がけ(そんなことをしていると、高校にいけなくなるぞ・・等々)、また、他の生徒たちの前で、うちのイメージを悪く言う、あるいは、まるでずる休みのように言う
・カウンセラーが、子どもに学校で困ったことではなく、家で困っていることは無いかと聞きたがる
・はじめから、家庭を原因とする先入観で、カウンセリングする

とりあえず、学校のことだけ書いてみましたが、数え上げればきりがありません
もしも、これがうちの子供の行った学校だけのことならいいと思いますが、他でもこういうことがありうるのだとすれば
学校の無理解から、自分たちを守る・・ということさえ必要だと思います

ただ、勿論そんなところばかりではないと思いたいです
こういうこともあるかもしれませんが、それこそ、決め付けてはいけない

状況をよく見て、柔軟に判断しなければならないと思います


題名: ギャオちゃんさんへ
投稿日時: 2007-07-10 09:26:05
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 145
そうですか、それではギャオちゃんさんは、幹部候補として、優遇させていただきます :wink:

冗談はさておき、ギャオちゃんさんの試みは、少しあやしいですが大事なことですよね
資料にも、「ポジティブな態度で接しましょう!」というのがありますが、言葉だけポジティブでは、敏感な子どもには、心がネガティブなことはバレバレでしょうから、心からポジティブでないとね
そういう意味では、確信が持ちにくい現状なのですから、つとめて自分の考えをポジティブにしてみることは、絶対いいと思います
なにしろ、そういうお母さんを見るだけで、とても安心できます
そういうちょっとしたイメージの積み重ねが、とても大事だと思います

私が学校とのやり取りで胃を悪くしていた時、子どもは「最近のママは何だか今までと違ってしまった・・(いつもはボケキャラなのに・・)」と悲しそうにしていました
「ごめんごめん、ママは血が頭に行くか、おなかに行くかのどちらかだから、わかってもらえるようにと思って少し言葉を考えると、消化のほうの血が不足するの~ :oops:
本当に、子どもはお母さんのこと、とても良く見ているのですね

小さなきっかけで、出来ないことが出来るようになる、その小さなきっかけは、ギャオちゃんさんの思いが、さりげなく現実化したのかもしれませんね!ハッピー現実化計画仲間としては、とても嬉しいです

ぜひぜひ、またいろいろなことを教えてください


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