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題名: 宝島
投稿日時: 2007-06-28 23:47:26
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みなさん、こんばんは。
グレイさん、「宝島」は29年前に本放送されたアニメなのです。
私が観たのは中学生の頃、再放送です。

本放送時は「サザエさん」の裏番組だったため、視聴率的には苦戦したようで、知っている方は少ないようです。
でも、観たことのある方は口をそろえて「日本アニメの最高傑作」と言います。もちろん私もそう思います。

グレイさんのおかげで「宝島」を観て、ワクワク、ドキドキときめいたことを思い出しました。
海賊ジョン・シルバーに本物の男のかっこよさ、誇りを持って生きることの大切さなど、たくさん教えてもらったこと。
この「宝島」を観て、自分が少し変われたのです。

もう一度観よう!そう思い、DVD BOX高かったけど、注文しちゃいました。
子育てをし、疲れたおばさんとなった今でもワクワク、ドキドキできるかな?
子供たちと一緒に「宝島」を観るなんて、夢のようです!幸せです。 :P

想い出したのですが、当時私はテレビドラマはまったく観ていませんでした。
理由が「リアリティがないから」だったんです。当時の私にはアニメの方がリアリティがあったんです。
でも、今のアニメはつまらないですね。DSやPS3、Wiiはあっても本当に面白いアニメはない。
ゲームは確かに楽しいけど、心を揺さぶったり、かっこいい生き方を教えてはくれない・・・

グレイさんの、このお名前のおかげでまたシルバーやグレイに会う事ができます。
彼らのかっこよさはハンパないです。彼らに惚れない女はいません!って
緘黙症の掲示板なのに・・・たまにはいいか。 :wink:


題名: アニメの話
投稿日時: 2007-06-29 15:09:43
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そうだったのですか。 ならば今のテレビ欄に載っているはずはないですね。
でも私もシッポナさんを男の人だと思っていました。 すみません…(^^;)

確かに最近のアニメは、そんなに面白そうなのはなさそうな感じですね。(あまり見てませんけど)
私が昔のアニメで面白いなと思ったのは(再放送)、「不思議な島のフローネ」などです。
訳あって、途中までしか見ていないんですが。
サバイバル的というか、自然の知恵というか、そういうところが面白かったです。

いわゆる人間ドラマですかね。 情緒がよく描かれているという感じでしょうか。
(たくさん見ているわけではないんですが)
昔のアニメには、そういうものが多い気がします。

私の名前がきっかけで、DVD BOXまで買ってしまいましたか。
お子さんと「宝島」、楽しんで見て下さいね :)


題名: こんにちは
投稿日時: 2007-06-29 17:34:09
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ルディさん、私の稚拙な文章を褒めていただいてありがとうございます。
どこからそんな素敵な印象を受けてくださったのか・・・^^ 素直にうれしいです。

たかが掲示板のかきこみですが、その時の波動も伝わるそうです。
たとえば怒りながら「ありがとう」とメールをすると、本心でないという
波動まで届いてしまうと聞きました。不思議ですね。

昔の人はよく「お天道様が見ている」と言ったものですが
今は「誰も見ていないから」「ばれなければ不正をしても良い」という風潮があります。
信仰や宗教など関係なく、お天道様に手を合わせる
感謝する気持ちって大切ですよね。

私がシュタイナー教育をいいな、と思うのは「まず芸術ありき」
世界は美しいもの、ということを大前提にしていることです。
美しい世界をもっと知りたいし、見たいし、子どもにも見せたいです。


ルディさんのお嬢さんの学校はとても素敵ですね。
そして、自分の居場所を、自分で見つけたのですね☆

「本当に好きなことに出会ったとき、人は強くなれる」
ということを、お嬢さんから教えてもらったような気がします。

気にしすぎる・・・逆に言えば「感受性が豊か」ということで
繊細な人は表現力豊かな芸術家肌の人が多いのかもしれませんね。
うちのボーズも いつも描いたり書いたり作ったりしていますが・・・
目指せ芸術家!?


題名: トピック立てました。
投稿日時: 2007-06-29 18:45:36
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ルディさん、新しいトピックを立ててみました。
ちょっとおじゃましてしまいましたが、また以前のようにみなさんでお話をして下さい。

トピック名が長すぎて、途中で切れてしまいましたが(^^;)


題名: 朋花さんへ
投稿日時: 2007-06-30 09:26:52
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何か、また誤解を生みそうな発言かもしれませんが :roll:

緘黙症になるような子たち(あくまでも自分の子が基準でしかありませんが・・)は、繊細な感受性を持っていますので、問題は、とりまく世界や人間が、この子達の感受性にとって粗野であることではないのかと思います
いったいどっちがいけないのか・・

鈍感な人間は元気でいられる状況で、敏感な人間が病気とされることに、
なんというか・・その環境は、取り巻く人間は、繊細な人の基準からすれば粗野であることへの反省をもってもいいのであって、繊細な人の基準を標準とすれば、環境も人も、より洗練される、ということかもしれないと感じます
(つまり、この子達の星は、もっと洗練されていたので、ちょっとここはなじみづらい)

この子達が(粗野な)環境になじむことを考える一方で、環境や人が洗練されることについて、この子達から学ぶことが出来る、そのことに感謝したい・・そんな発想はどうだろうか?と思うのですが・・?(環境=この星)

シュタイナー的な発想では、教育は芸術的であるべき、美しくあるべき、すべてのことにその配慮を行き渡らせ、大人が努力して、繊細な、心豊かな環境を、はじめから用意する
教師は子どもの心への、洞察力を持っていることが必須とされ、ひとりひとり子の気質を深く見つめ、接し方に配慮を行き渡らせる
そんなシュタイナーの理想は、子どもの繊細な感受性を守り育てるものですね

私はそうじ力ゼロ :) ですが、芸術的なことは大好きです
この子を持って、その繊細な感覚に学び、一緒に世界の醜さや美しさについて、深く語り合えることが出来ることを、いつもとても嬉しく思っています

この子に与えられているものの大きさを思えば、尊敬の気持ちがあるだけで、その感受性ゆえに話せない時期があることなど何だ?と単純に思えます
私は、子どもに対してかわいそうなどと感じたことは全くありません

朋花さんへの内緒話↓(カードを引いてくださったお礼)

☆スピリチュアルなおまけ☆
この子は、環境(この星)に、人に理解力をもたらすための力点として存在するために生まれてきてくれました
コミュニケーションとは、言葉ではなく、理解であり、自由で豊かな想像力なのです
まわりの人間がそれを身につけるとき、この子達はその役目を終え、その本来の美しさに輝き始めます
理解とは、愛であり、治癒力であること、そのことを、この子を通して、(地球)人は学ぶことが出来るでしょう

ルディ博士が大いなる自己に聞いてみました :)

注)理解だけでなく行動療法が必要な場合もあるようなので、この内容を盲信しないようお願いいたします


題名: 小6の時の先生。
投稿日時: 2007-06-30 19:36:27
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ルディさんが言っていること、なんとなく分かるような気がします。
ちなみに私の母は、私のことを「気にしすぎる性格」としてしか見ていないようです。
ルディさんのように繊細なことを考えられる母ではないのです。私の逆です。正反対。(愚痴じみてます)

ルディさんの文章を見て思い出した事があるのですが、
私が小学校6年生の時の、担任の先生の話です。(男の先生です)

私が初めて、学校で家の自分のように話したのもその先生でした。(先生が最初で最後です)
帰りの会が終ったあと、皆をさりげなく帰して人払いをし、私だけを残しました。私が話しやすい様にです。
先生はいつも私を甘やかさず、私は特に先生にだけは小さい声ですが、しゃべることができたので、
あまり小さい声だと先生は、「聞こえない」と、私にもっと大きな声で言うようなことを示唆するように言うのです。
その時もそんな感じで、私がちょっと黙ると、「誰もいないよ」、「誰も聞いてないよ」と言っていました。
先生が色々な言葉を私に語りかけてきたと思います。 私が「しゃべっても大丈夫だ」と思うように。

そして私は次第に家の自分の声になっていきました。 先生は全く驚きません。
あとで思いましたが、まるで知っているかの様に。

変な感覚でした。 学校の人と普通にしゃべるということが。
そしてこんな話をしたのを覚えています。(他にも色々言葉を交わしましたが)
授業で手を挙げないのはなぜだ。 ということです。理由は分かりますね。
先生も分かってました。 だから先生は、「今度分かったら、手を挙げろよ? 先生必ず指すからな。」と言い、その約束をしました。

その日学校から帰る時、なんか不思議な気分で一杯で、
そして誰かに見守られているという感じがしました。 なにか安心感みたいなものも感じて。
誰かに見守られているということが、こんなにも安心することだとは思いませんでした。
それから先生から電話がかかってきた時も(用事で)、家の自分でそれなりに話す事もできるようになりました。

先生によく言われた言葉があります。
「特別扱いされたいか?」(問いかけられるような感じで)

「特別扱いされるのと、みんなと同じように扱われるのとどっちがいい?」
私は首を横に振りました。 毎回。
私が首振りのジェスチャーだけで、意思を伝えようとするとよく言われましたね。
父性っていうんですか? 先生は私がこういう子でも甘やかしたりはしませんでした。
配慮はしても。

私が唯一すごいなと思うのは、この先生です。
もしかしたら先生は、場面緘黙児を受け持ったことがあったのかもしれません。
それか、場面緘黙症を知っていたか。
それは分かりませんが…。 知っていなくても、先生ならありえたかも。
とにかく洞察力が鋭いというか、落ち着いてるし、子供の扱いも上手だし、子供の性質を見極める目も持っているような先生でした。

でも学校でこんなことがあったのは、先生の時だけです。
前に、誰も自分の事を理解してくれないと書きましたが、この先生以外ですね。
小学生の頃、他に女の先生で、私の事を「強い人です」と言った先生がいます。(担任でした)
私がからかわれたり、いじめられたり、笑われたりしても泣かないし、学校に行き、
チクらないからですかね。 というか、チクれないんですけど…
あの時先生は私の何を「強い」と言ったのか、謎です。
でも今はこんな風になっちゃったし、先生に合わせる顔がないですね…


題名: グレイさんへ
投稿日時: 2007-07-01 06:47:16
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 145
グレイさんのお話を読んで、グレイさん自身、優れた洞察力を持っていらして、人に対するセンサーが敏感なのだろうな~と感じました

また人からあきれられてしまいそうですが、実は私もそういうところがありまして・・ :oops: (また自画自賛・・)
それって、いいような悪いような、生きずらいのですよね

例えば、参観日とか保護者会とか、子ども会とか、会社のお茶の時間とか、スーパーでよそのお母さんにばったり会ってしまうこととか・・苦手なのです
苦手な人といっしょだと、心が嫌と感じるというより、肉体的にも苦痛を感じます

実は高校のときも、友人を避けて行事になると休んでみたり、知り合いの少ない理系を選んでみたり
そうやって、どんどん人を避けているうち、若いときには理想どうり :roll: 、本当に独りぼっちになってしまっていた頃がありますが・・でもそうなると、理想どうりなりにも、さすがに悶々としてしまっていましたね
なぜそうなったのか、ということがわからなかったからだと思います
グレイさんも「なぜ」ということを、今考えていらっしゃるのですよね

その後、おばさんになって思うのは、いったん大人になってしまうと、どんな生活しようが自由だということです
特定の、自分にとって嫌でない人とだけ話をしていても、正面きって文句を言われる筋合いは無い
特に主婦のような立場は(良妻賢母もいれば、私のような好きなことしかしてない人もいる・・もちろん私はお母さん仲間の中で浮いてますが)

しかし、しかし、それはおばさんだけの特権なのか?
今思えば、若いときにも、もっと堂々とひとりぼっちしていても良かった
堂々と自分自身であっても良かったと思います
社会性が無ければいけないなんてことは無い

それぞれの人に、その時々の必然性があると思います
それが人から見てどうであれ、人にはその必然性を理解できないのですから、自分にとってのその時が社会的に少々変であるとしても、遠慮することは無いと思います
変だと言う人がいれば、その人こそ人への理解力が無くて変です

グレイさんは人間的に優れている方を見分けることが出来る
それはグレイさん自身が優れているからだと私は思います
若いときは、そんな風に考えることがずうずうしいと思うかもしれませんが、ぜひそんな風にも考えてみてほしい気がします


題名: グレイさんの先生
投稿日時: 2007-07-02 16:21:20
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 145
グレイさんが、すぐに話せてしまった先生について、もうちょっと考察してみたくなりました

なぜそんなにすぐに話せてしまったのでしょうね

いつか朋花さんも、1週間で先生に「さようなら」と言えたことを教えて下さいましたね

子どもって、というか、子どものようでも、全くあなどれないほど、人のことををよく見ているものなのですね

私の庭師の師匠の奥様は、口は悪いけれど、とても心がピュアなかたです
娘は、カラオケでよその方の前で歌うことなどありえなかったのですが(家族とでもめったに歌わない)、その奥様と行くときに、なぜか自分も行くといってついてきました
「歌わないからね」と言ってずっと絵を描いていたのですが、最後に、なぜか急に歌うと言い出しました
いつの間に覚えたのか、なかなかいい歌を知っています
それからは、カラオケに行きたいと言うようになりました
だんだんに大きな声で、かっこよく歌えるようになり、しまいには、妹に指南するまでになりました

(これをもし安心度チェックするとしたら、行動療法になってしまいますね :wink:
特別、そんなこと考えていたわけではありませんが)

何かを強制するような人ではなくて、自分のことをわかってくれそうな人、心のきれいな人、たとえ口が悪かったり、甘やかしたりしなくても、信頼できるひと、そう思えればすぐに話せるのかもしれませんね

安心できるときには、あっけなく話せるようになることがあるのは不思議ですよね

でも、これも個人差があるのかもしれませんね


題名:
投稿日時: 2007-07-02 18:09:40
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 56
みなさん、こんにちは。

そうですね。。。
繊細であることが世の中でもっと尊重されてもいいですよね。

どうしても‘派手’な方が目立ちます。
‘繊細’でいるより‘粗野’な方が生きやすい。
どちらがいい・悪いということではないけれど
お互い学ぶものがあって、歩み寄れる(理解できる)といいですよね。


また‘すぴ’な話題ですが。。。ある人の言葉です。

『子は親の鏡。
妻は夫の鏡。夫は妻の鏡。
自分の置かれている環境は すべて自分の鏡』

『投げかけたものが 受け取るもの』

なにも投げかけなければ 返ってこないのです。。。

息子が話せるよその人(これまで関わった何人かの先生)は 
本当に息子のことをよく考えて声を掛けてくださいます。
息子は、話しかけてもらう何分の一も返せないのですが
先生が心を開いてくれるから 息子も信頼できるのだと思います。

その点、子どもは正直ですから、息子といてもつまらなければ
心を開いて(相手にして)くれないでしょう。

でも不思議なんです。
現担任とは最初っから話せるんです。
なんでも話せるわけではないのですが、分からないことは聞きに行きます。
なにか「この人なら」というものを感じるのでしょうか。
ルディさんと同様、敏感かもしれません。

会話はなくても意気投合する子もいるんですよね。


‘緘黙’を選んだ息子の魂は なかなかチャレンジャーだな、と思います。
わざわざ この星での‘生きにくさ’を選んでいるのですから。
そのお役目を全うする手伝いをしているのが私、ということでしょうか :D


題名: なるほど!
投稿日時: 2007-07-02 20:26:00
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 145
朋花さんのお話で妙に納得しました

この子は私の願望の鏡としてのチャレンジャーだな・・と

言ってみればヒーローです

私自身は、敏感だったとしても、何とか人と話を合わせようとするほうでした
けれども何度も引越ししたせいで、次々と変わる環境で適応しようとするあまり、子どもながらにとても疲れていました
学校という世界にも、親の希望どうりの姿、学校の望む(と自分で思っている)勉強する子であろうとし過ぎるところがありました

でもそんな中であくせくするあまり、本当に好きなことや、自分の世界を確固としたものにすることは、おろそかになりがちだったように思います

そこで一拍置いて、自分一人になってみたあと始めたのは、絵を習うことでした :)
もう大人になっていましたけれど
始めに描いた絵(自分ではうまく描けたと思った)で先生に言われたことは「あなたの絵は、教科書的ですね」
そりゃ、そんな生き方しかしてないからしょうがないでしょ!

子どもがまだ不登校中に、家族で外食した折に、2つ違いの姉に泣かされました

お姉ちゃんは、なぜきょうだいでこんなにも違うのかと驚くほど、ものすごく活発な人です
スピーチコンテストに出る、交換留学に参加する、部活で活躍する、いじめを跳ね除けて絶対負けない・・・等々
何も頑張らないように見える妹のことは、許せないわけです

でもそのとき夫が言ったのは、どんなことでも自分自身のやっていることに自信を持て、ちょっと言われたぐらいで泣くのなら、みんなと同じにしていろ・・(ちょっと酷な気もしますが・・)
人に何と言われようと自己卑下するな、誇りを持て・・のつもりと解釈すれば、励ましているとも言える

緘黙という負荷を背負ってでも、自分の世界を守り確立していった子どもは、相当強いとも言えますね
それは私には出来なかったことです

そして自分の世界を絵の世界につなげてくれたことは、とても嬉しいです
娘の描く絵は、とてもイメージ豊かな、独創的な世界です
そして同時に緘黙を克服した

本当に偉いやつだな~と、誇りに思っています

ところで実はお姉ちゃんも、小さい頃喘息でとても病弱でした
発作がよく起こり、とても大変でした
ところが友人と約束して一緒にマラソン大会の練習を頑張ったところ、ある年からは常に1番でゴールするようになりました
と同時に、いつのまにか喘息も治ってしまいました
親の知らないところで、いつのまにか子どもは得意なことを見つけて、その勢いで、持って生まれた自分の弱さを克服していくことが出来る

そんな経験があるので、私はついつい自分の出る幕かどうか?と、考え深くなってしまうのです

子ども自身が何かを克服するときというのは、克服するだけではなく、自己を確立し、誇りを持って大きく成長するときでもある・・そんなことを、子どもたちから教えてもらいました

そんな子供達の成長を見守ることが出来ることを、ほんとうに有難く思います

が、しかし、もちろん何かの療法を必要としている場合もあるでしょう
これはあくまでも、我が家の教育方針なのであり、同じようにしたからといってみんながうまく行くかどうかはわかりません
それぞれの子ども&親の個性に合わせて、考えなくてはですね :wink:


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