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題名: 目に見えないものを見ること
投稿日時: 2007-06-20 08:49:24
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おはようございます

ははさんの書き込みに大変共感を覚えましたので、仕事前ですが何か言ってみたくなりました

治療の目的、改善の「標的」とするものは何か?
ということを、前に書かせていただきましたが、
私たちが、見つめなくてはならないこと、扱わなくてはならないことは、
目に見える「声や会話」が、表皮だとすれば、その骨格や、肉であるところの
「安心」・「自信」・「自尊心」・「言葉に拠らないままでも行われる、人との気持ちのふれあいに対する、楽しいと思える気持ち」です。
つまり、目に見えない構造体です

逆に言えば、その反対に、目に見える「緘黙」が、何で出来ているのかといえば
「不安」・「自己不信感」・「自己評価の低さ」・「言葉が発せないことから意志の疎通の不全感、気持ちの行き違い、誤解される等の、ふれあいを怖れ、人から遠ざかりたくなる気持ち、話せないことへの焦り、または憤り等」です

そういった、目に見えないことを見る目を持たなくてはならないのだと思います
想像力を働かせて、緘黙を形作るマイナスの構造物が、大きな氷の塊だというふうにイメージしてみるとわかりやすいと思いますが、言葉はその中に閉じ込められているのだと思います
温かい言葉や、楽しい体験で少しずつ溶かし、とても薄くなって、本人が勇気という一撃で簡単に崩れ去らせることが出来るまでは、根気よく、暖め続ける

あるいは、言葉が卵の殻の中にあるとすれば、優しく暖め続けて雛をかえらせる・・最後には、雛は内側から自分の力で殻を破って出てこなくてはならない・・

などなど・・目に見えないものをはっきりイメージし、それに働きかける、と考えてみるのはいかがでしょうか?

ですから、ははさんの言って下さったことは、大変「具体的な」効果のあることだと感じます


題名: 言霊
投稿日時: 2007-06-20 09:46:38
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みなさん、おはようございます。
私も催眠術が掛けられたらどんなにいいだろう、と思います。
EFTに期待しましたが、あまり効果は感じられません。
というかきちんとやっていないので。。。ちゃんとやれば効果あるのかな。
ホメオパシー、レイキ、いろいろやってるんですけどね。。。

言葉かけも 催眠術に近いことができるかもしれませんね。
言葉は「言霊」というぐらいですから。。。

どうしても口をついてでやすいのは マイナスの言葉です。
意識しないとプラスになる言葉掛けはできませんね。

息子はすぐ「どうせ僕なんか・・・」と卑屈になりやすいので
とにかく褒める、大げさに褒める、無駄に褒める、意味もなく褒める(^^)
「○○は本当にかわいいね」「いい子だね」「がんばったね」
「上手にできたね」など思いつく限り。

すると「お母さんの大切な僕」という意識が芽生えてきます。
これが自信につながるといいな、と思います。

余談ですが、「自分のことは自分でしなさい」などと言うと
「かわいい○○にそんなことさせるの!?」なんて
口ごたえするときもありますけどね^^;

HAPPYちゃんって、本当に素敵な、幸せなニックネームですね。
「お姉ちゃん」と呼ばれてお姉さんらしくなるように
呼び名も本当に大切ですね。


題名: はじめまして
投稿日時: 2007-06-20 11:00:20
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初めて書き込みます。
5年生の娘が緘黙で、最近は登校を渋るようになってきました。
それでも「行かなければいけない」という思いはあるようで、
なんとか学校へは行きますが、
その辛さを抱えきれなくなっているのが、よくわかります。

友達を家に呼んで遊ぶ、というような試みをしばらく続けていましたが、
その友達に対してもうまく気持ちを伝えられないばかりか、
勝気で負けず嫌いな面を強く見せてしまうことになり、
かえって友達を遠ざけてしまいました。
そんなわけで、今は学校に行ってもかばってくれたり遊んでくれる友達もなく、
一人でいろいろなことに耐えています。

そんな娘を、どうしたら前に進ませてあげられるのかと心を痛めてきましたが、
みなさんの書き込みを拝見し、自分のやることが見えたような気がします。
せめて家の中だけでも、プラスの言葉で一杯にしてあげようと思います。
みなさん、ありがとうございました。


題名: お友達
投稿日時: 2007-06-21 06:36:51
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 145
ぼやさんのお話のなかの、「お友達を自分から遠ざけてしまう」というところは、うちの娘にも大変強く見られました

幼稚園のときからそうです。
他のお友達との間を取り持ってくれるような、親切で面倒見のよいお子さんと仲良くなったことがあり、親としては嬉しくて、おうちに遊び行ったり来たり・・
ところが、何かいやだったのか、娘はそのお友達と遊ぶのを嫌がるようになり、話しかけてくれても顔を横に向けてしまうようになり・・
親としては、親切にしてくれているのに・・と申し訳なく思ってしまいます。

お友達が親切なつもりでも、意外とプライドが高く、人知れず負けん気の強い娘は、そういう関係性を好まなかったのか・・。

相手の人間性にとても敏感なところがあるうえ、自分が相手と同じかそれ以上に優れていたい、と思うようなところもあるようで、なかなか難しく、とにかくお友達が出来ればいい・・という風に単純には行きません。

高学年、中学となるほど、今度は仲良くなったお友達関係がトラブルの原因となってくることも多いと感じます。これは、女の子の方が、よりそういう感じかもしれませんね?

高校生活にあたっても、娘は、自分は目的を持ってわざわざ遠くの学校まで行っているのだから、あまり人に合わせたり、人間関係に振り回されたりして疲れたくはない、人とちょうどいい距離感のある関係性を持ちたい、友達がいても時によって一人で行動することも素敵だ、などと、大人っぽいことを言っています。自分の性格からして、どのような人間関係の持ち方が最も快適か、あるいは、人の中でどのように存在することがカッコイイのだろうか?などと、娘なりに考えているのだと感じ、頼もしく思っています。

これは、嫌な思いもし、自分の性質も見つめながら見出した、言ってみれば子どもが人生を通して得た「行動哲学」ですね。
ですから、嫌な思いを含めていろいろな体験をすることは、長い目で見れば経験として生きてくるのかもしれません
どこまで守り、どこまで経験として学べることと判断するか、とても難しいことですね。


題名: こんばんは
投稿日時: 2007-06-21 08:49:50
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みなさん、こんばんは。

>緘黙であっても、決しておとなしいだけじゃない。気が強くて、負けず嫌いなんですよね。

シッポナさん、ルディさん、ぼやさん、うちの息子も臆病な性格の割に、自分がリーダーシップを取りたい、という気持ちをものすごく持っています。友達も、結構目立つ子と遊びたがります。そのうえ、完全主義の傾向が強くて、間違えるのが嫌いなので、ホント扱い難いです。
緘黙児は自分がコントロールできる状況でないと不安になる、という傾向があるみたいですね。

ルディさん、話がちょっと古くなってしまいましたが、気になった部分に対する私の考えです。

>ところで、話すことを目指す、その行動と言うのは、具体的にはどのようなことがあるのでしょう?SCAT のところにも、「非言語的→言語的、という介入が必要」とあったわけですが、実際それはどのようなことをさしているのでしょうね?

皆さんがやっている、母親との放課後の会話練習や、先生との本読みの練習などから、仲の良い友達の隣の席にしてもらったり、同じグループにしてもらったり、という学校での配慮、家に友達を呼んで遊ばせるなども、「話すことを目指す行動・介入」だと思います。できれば、プロの指導の元に、担任やクラスメートに徐々に慣らしていって、少しずつ会話につなげていくセッションができれば、理想的ですが、それができる人は一握りだと思うので…。年齢が上の緘黙児の場合は、みちさんのように、本人の承諾を得て少しずつ会話練習の取り組みをしていくことですよね。こうしてみると、ヘルピング本に書いてあることばかりなので、結果的に行動療法という名前がつきそうですね。

>いくらいい条件がそろったとしても、何も気にならないようになる、ということは、なかなか大変なことなのだと感じます。

生まれつきの気質もあるので、100%何も気にならないようになる、ということは無理だと思うんです。例えば、私は緘黙ではありませんでしたが、小学校の頃までものすごく内弁慶で、人前で発表するなど、目立つことがとても苦手でした。人前で話すことがそれほど苦にならなくなった今でも、やはり人に気兼ねしたり、うまく自分を表現できないことも多いです。でも「別にいいや。自分にはこれしかできない」、と吹っ切れるようになりました。経験を重ねて少しずつ自信をつけて、色々な社会的場面で自分なりに対処できるようになること、不安はあっても凹まないようになること、が鍵なんじゃないかなと思います。精神的に強くなっていく段階で、緘黙も治るんじゃないでしょうか。

>あるいは、言葉が卵の殻の中にあるとすれば、優しく暖め続けて雛をかえらせる・・最後には、雛は内側から自分の力で殻を破って出てこなくてはならない・・

いい比喩ですね。親が良き理解者になって、緘黙児が自分から殻を破って出てくるのを支援してあげたいです。その反面、うちの息子の場合、頑固な思い込みで「できない、やりたくない」と拒否する部分も大きいので、ちょっと鍛えてやらねばと思うことも多いんですが…。

>それを、まさに「突破する」ということを、目指すとは、いったいどのような方法があるのでしょう?もしも何か即効的な方法があるとすれば、大変興味深いです。

即効的な方法って、やはりきいたことないですね…。一般的には、時間をかけて、前進と後退を繰り返しながら、克服していくみたいです。でも、小さい子の場合は、幼稚園で体を使うゲームをしている内に、興奮して言葉が出て、それからしゃべれるようになったというケースを聞いたことがあります。あと、小学生が教室で先生に得意なことを誉められて、それから徐々に自信がついて話すようになったとかも。

>どこまで守り、どこまで経験として学べることと判断するか、とても難しいことですね。

その通りだと思います。


題名: 実際には見ていないところを褒める
投稿日時: 2007-06-21 13:37:53
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みなさん、こんにちは。
朋花さん、すごくいろいろ努力なさっているのですね。感心しました。

>どうしても口をついてでやすいのは マイナスの言葉です。
意識しないとプラスになる言葉掛けはできませんね。


そうなんですよね~ついついできないところに目がいき、マイナスの言葉は感情がメチャクチャこもっているのに、
褒めたり、プラスの言葉は感情こもってなかったりね。

実は、以前私が子ども達にやってみて、効果があるなと感じた褒め方があるんです。
2,3度やってみて、忙しさに忘れてしまっていたのですが、朋花さんの書き込みを見て思い出しました。

実際には見ていないところを褒める作戦です。やり方は簡単です。
子供が幼稚園や学校から帰ってきたら、「どうだった?」とは聞かないで、
いきなり「授業中、先生の話をしっかり聞けて偉かったね。」とか「年下の子に優しくして偉かったよ」とか
「トイレのスリッパきちんとそろえてりっぱだったよ」「給食がんばって食べて偉いよ」「先生のお手伝いして先生も喜んでいてよかったね」などなど・・・

しているであろうことを見ていたかのごとく褒めるんです。
最初は「あれ?」とキョトンとしていますが、実際子供はどの子でも園や学校で精一杯頑張っているので、
当てずっぽうに褒めたことでも心当たりがあるんですね。だから
「うん。そうなのキャベツは残したけど後はがんばって食べたよ」などとさらに細かく話してくれます。

今、あらためてこの方法を考えると、子供が「何で知っているの?見ていたの?」と聞いてくるとします。
「お母さんは、今あなたが何しているかな?と考えると、あなたが頑張っている姿が頭に浮かんでくるのよ」「心と心が通じているの」
つまりは、あなたは一人じゃない。目には見えなくてもそばにいるよ。だから安心していいんだよ。
と、不安でいっぱいの緘黙児に安心感を与えることができる気がします。
ここが最大のポイントなのだと思います。

朋花さんのおかげで思い出したので、早速これからやってみようと考えています!

ルディさん、うちの子供たち3人ともルディさんの青いぽよ~んとしたのが大好きで、
パソコン画面に出てくると「可愛い!さわりた~い」と喜びます。「ぬいぐるみがあったらほしい!買って~」とまで・・・
確か、ルディさんの娘さんがデザインしたんですよね?
ビッグマネーの予感がします・・・ 8)


題名: 子ども時代は・・。
投稿日時: 2007-06-22 19:17:59
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 145
実は、今日、私は、長女(高3)の個人面談に行ってきました。

長女も、次女とは別の好きな専門課程のある高校へ通っているのですが、
面談では、私の出る幕はありませんでした
行きたい大学、ぎりぎりまで頑張りたい部活のこと、大学の先の仕事の希望、すべて自分で考えて決めてあるので、先生と娘が話すのを、うなずきながら聞いているだけで終わってしまいました
頼もしいような、寂しいような・・。

それでも、場面緘黙だった次女のほうは、まだまだ幼いな・・と思っていたのです
ところが・・近頃自分のすべてに自信が持てるようになってきたせいなのか、どんどん顔つきが違ってきました
ふとした表情が、ドキッとするほど大人っぽく感じられます

ああ、もう子ども時代は終わってしまったのだ
これからは、だんだんと自分の感性に自信を持って、自分の考えで生きていくのだな・・
そんなふうに感じられます

一体何が言いたいのか?と言いますと、
子どもたちに貴重な子ども時代を豊かに過ごしてもらいたい・・というようなことです
場面緘黙だからといっても、たとえば、何か、常に終わっていない宿題を抱えているような気持ちで過ごすとしたら、寂しいような気がします

それが出来れば苦労はない・・と叱られてしまいそうですが、
例えば、高校になる頃までには大丈夫になるさ!・・と腹をくくってみて、出来れば、話せないことに、あまりとらわれずに、子どもの様々な面を大切にしたり、好きなことを伸ばせるようにするなどしてあげたいものだと思います
周囲に対しては、今ではないが必ず話せるようになるのだからと説明し、今は、話せないままでも、いいところが十分たくさんあることを認めてもらい、そのまま存在していいことを強調してもらい、子どもがあせらずにその時々を充実させられるように出来ないものかと思います

治してやりたい、という思いからであっても、すべてが緘黙症を治すために、という視点になってしまうことが、一番いいのかどうか・・?
もちろん、このフォーラムは相談したいことだけを書いているから緘黙の話だけになっているのであって、実際のみなさんの生活は、そればかりではないですよね

子どもは、大人が考える以上に、自分が今何をするべきか、何が必要かということを認識する能力を持っている、というのが私の個人的な考え・・というか、実際に子どもを見ていて実感させられたことです
親は、自分が何かしてあげなくては、と考えるかもしれませんし、それも大切なことでしょうが、子ども自身の中にあるもの、子ども自身の意志で行われるすべての事を、はじめは大人から見て意味のわからないことと思われたとしても、最大限に尊重してみたほうがいい・・なんだかうまく言えないのですが・・そんな風に感じているのです

漠然と、感じているままに書いてしまいましたが・・何か、言ってることに意味ありますでしょうか?


題名: 魅力ある緘黙児
投稿日時: 2007-06-23 01:40:22
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 73
みなさん、こんばんは。
ルディさん、おっしゃりたい事なんとなくわかります。

>例えば、高校になる頃までには大丈夫になるさ!・・と腹をくくってみて、出来れば、話せないことに、あまりとらわれずに、子どもの様々な面を大切にしたり、好きなことを伸ばせるようにするなどしてあげたいものだと思います

もちろん、そう思う時もあります。特に私はコツコツ頑張るというタイプではないし、
そもそも、チマチマ小さいステップを踏んでいくなんて「あ~めんどくさ!」という風に思ってしまって
途中でやんなっちゃうんです。B型だからか、性格なのか・・・

話は変わりますが、娘が1年生最後の日に色紙を持って帰ってきました。
その色紙はクラスメイトひとりひとりが娘のいいところを書いたものでした。
娘もクラスメイトひとりひとりに書いたそうです。
だいたいの子が、字がうまいとか優しいとか書いてあったのですが、当時娘と一番仲のよかった女の子からは
「いっしょにいると、心がおちつく」と、書いてあったのです。びっくりしました。
小1で心が落ち着くなんて言葉つかうなんて・・・
いつもしゃべれない娘と遊んでくれて、感謝していたのですが「あ~この子には娘が必要だったんだ」
「この子にとって娘は魅力のある大切な存在だったんだ」という大事なことに気付きました。
よく、緘黙児は自己評価が低いとか言われているけれど、親の緘黙の娘に対する評価の方がよっぽど低い!

お友達のこの子のほうが娘のよさを理解してくれてるのかもしれない・・・
猛烈に反省しましたね。
緘黙がゆえの良さがあり、緘黙だからこそ分かる人の気持ちや、人をいたわる心。

でも、言いたい事を言えずにいる辛さを思うと、「めんどくさ!」とも言っていられないわけです。
かといって、必死になり過ぎず、バランスを保ちながら・・・
緘黙ゆえの良さを理解しつつ、不安を少しずつ解消してあげる・・・
そんな事、私にできるのか?
無理な気が・・・でも、まあ私なりに上記をふまえながら、おおざっぱにやってくしかないかな?


題名: 見つめたものが拡大する
投稿日時: 2007-06-23 01:49:52
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 56
みなさん、こんばんは。

ルディさんの書き込みを読んで、思い出した話があります。

『見つめたものが拡大する』

という法則があるそうです。
意識したことが拡大されます。

「緘黙であるわが子」にスポットを当てると できないことばかり目に付いて
「ああ、あれもできない、これもできない、どうしよう、困った子だ」と
なってしまうんですね。

では、見つめなければ縮小するか・・・?

そういうこともないこともないかもしれませんが
まったく見ないことにもできませんね。。。

でもそればっかりにならないよう 気をつけたいです。
「話せないことぐらいどうってことないよ」というおおらかさが
私には必要かな、と思ったりもします。

できること、得意なことを「見つめる」と
ルディさんのお嬢さんのように自信がついてくるのでしょうね。


別の言い方では「足りるを知る」という言葉もあります。

「あれもできない、これもできない」ではなく
「あれができる、これもできる」とできることにスポットを当てる。

斉藤一人さんの本の中によく「足りるを知る」という言葉が出てきますが
マザーテレサの言葉の中にもあったような気がします。

格言好きな(!?)朋花でした :D


題名: みくさん、丁寧に考えてくださり有難うございます
投稿日時: 2007-06-23 06:55:45
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 145
みくさん、ひとつづつ丁寧に考えて下さり有難うございます

フォーラムの場をお借りして、みなさんそれぞれの優れた感性から発せられる、様々なお考えに触れることが出来ることが、たいへん楽しく感じられます

>精神的に強くなっていく段階で、緘黙も治るんじゃないでしょうか。

本当にそうですね!
場面緘黙の子達は、優しく大人しい、と思われやすいのですが、内面には、みくさんが

>息子も臆病な性格の割に、自分がリーダーシップを取りたい、という気持ちをものすごく持っています。

と表現されているような「気骨」を持っていますから、そこをなんとか、いい形で、柔軟性を持たせつつ、伸ばしてあげられるといいですよね

即効的な方法についてですが、私が知っている劇的な改善例も

>小学生が教室で先生に得意なことを誉められて、それから徐々に自信がついて話すようになったとか

と、みくさんが書いてくださっているように、子どもがちょっとでも一生懸命にやっていること、得意だと思っていることに注目し、大げさと思われるぐらい、しかもみんなの前ではっきりと、褒めてもらったようなケースです

こういう場合に、なぜ改善しているのか?ということを考えてみると、見えてくることがありそうですね
(朋花さんが教えてくださっているように、見たものが拡大・・というか見てるときから拡大してくれている・・と考えられますね)


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