ニコぷんさん、書き込みありがとうございます
うちでは、ピッコロが出てくると、「あっ、ママだ、ママだ・・!」みたいな・・。
「もう!ピ~~~ッコしますよ!」(地震、地震!・・。)
高3の長女が小さい頃、いつも見ていたな~。
鉄棒のこと、なんだか様子が目に浮かぶようです
お嬢さんの、複雑な気持ち、その表情など・・。
本当に、子どもは一つ一つのことに全身全霊でぶつかっているのですね。
何かが出来る、出来ない・・心が痛くなるぐらいの真剣さですから、他の人のことは、ものすごーく気になる。
もしかして、そこはオリンピックの決勝に近い状況なのかもしれないですね

おばさんになって、そんなひたむきな気持ちなど、すっかり縁遠くなってしまいましたが・・

朋花さんが、学校のことを、考えてくださっていますが、大変興味深いです
学校では「同じ」年の子達が、「同じ」時に、「同じ」こと習ってますからね。
そしていっせいに評価が下される。「判決~!」みたい。
たしか、たしか・・ユニセフだったかな?どこだったか忘れてしまいましたが、世界的な子どもの人権擁護組織が、各国の子どもの生活の中で、人権がどの程度擁護されているかを、チェックしているようなのですが、日本の現在の競争過多な状況は、個々の人格が尊重され、人間性が守られいるとは言えず、日本に対しては改善「警告」が出されている・・というようなことを読んだ記憶があります。
場面緘黙の子どもに限らず、他の子たちにとってもいい状態とはいえないのかもしれませんね。
下の子が行っている小学校で、つい最近、朝の校門で子どもの「挨拶当番」なるものが出来まして、順番に回ってきます・・

「美しい日本」の方針なのでしょうか?
強制的な礼儀・・個々の表現方法を認めず均一化しようとする傾向・・。
大人の自己満足のような気がします。
ちょっと、偉そうになってしまいましたね・・

そんな現実はありますが、クラスの様子は先生によって非常に違ってくるのではないかと感じます。先生に気軽に相談できるといいですね。「手でタッチ」なんて、すごく素敵!
ある日のルディ先生の授業・・。
挨拶は、人それぞれのやり方があってもいいと思いませんか?
国によっても違うのですから、いろいろな挨拶を考えてみると、いろんな人を理解することが出来るかもしれませんね。
あるインディアンの部族の言葉では、「愛する」という言葉と「理解する」という言葉は、同じ一つの言葉なのだそうです
みんなも様々な人を、理解できるようになって欲しいと思います
そうすれば、心豊かに生きていくことが出来ますよ
先生が保障します
さて、
どんな挨拶の仕方が考えられるでしょう?自由に考えてみましょう
お隣の人とやってみてもいいです
ではまた。