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題名:
投稿日時: 2007-06-13 10:21:30
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こんにちわ☆

ルディさん、私もいつも読ませていただいています。
とても参考になります。

うちの娘も、ルディさんの娘さんや、朋花さんの息子さん同様、
「負けるくらいなら最初からやらない」哲学を持っています。
他の子に負けるくらいなら、それまで努力していたことでさえ、投げ出してしまったり。。。
こないだも、公園で鉄棒の練習をしていたのですが、後からきたお友達が、いとも簡単に鉄棒をクルンと娘の横でやった途端、娘は、
「もうやらない、どうせできないもん(><)!」と。
「練習したら、○○にも絶対できるよー!」と言っても、
「絶っ対!できない!」となってしまうのです。
似たようなことが他にも多々あります。。

本当、「哲学を上手に生かしていけるといいですね」、共感しました。。


題名: こんばんは
投稿日時: 2007-06-13 23:46:10
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みなさん、こんばんは。

ルディさんのお嬢さんとうちの息子
同じ星から来たのかしら!?なんて考えたら楽しいですね。
(もしかしたら ニコぷんさんのお嬢さんも!?なんて(^^)
少々ややこしい哲学はあるけど 素敵な星だろうなぁ。

学校って、教育ってなんだろう、と考えます。
去年は息子の入学を控え、いろいろな学校を見に行きました。
障害を個性ととらえ、ひとりの問題をみんなの問題として
ともに学ぶ、という学校がありました。
決して否定をせず 長いスパンで見守ってくれる、という学校もありました。
どちらもとても時間もエネルギーもいることです。

その二つの学校は残念ながら公立の小学校ではありません。
(公立でもそういう学校・クラスもあるかもしれませんが
学校の方針として掲げているところを知りません)
ひとりひとりのニーズに合わせていたら大変かもしれませんが
どこの学校でも努力しだいではできると思うんです。
どこまで学校に求めていいのでしょうね。

話は変わりますが
今、息子の学校は「あいさつ週間」で これがまた苦痛なんですね。
あいさつをしてカードに色を塗る というのができなくて。
「できなかったらしなくてもいいよ」と息子には言っていますが

「できない」「でもしなくてはいけない」「ぼくはダメだ」
という式が出来上がってしまいます。
しないならしないで もっとちゃらんぽらんでもいいような気がしますが
(いいのか!?)ヘンに生真面目なところがあるんですよね。

だったら挨拶に変わること、握手や手でタッチするなど
提案したいところですが、先生も息子が挨拶できないのを知ってて
なにか考えてくれているんだろうなと思うと
口出ししていいものかと考えてしまいます。


題名: 一緒に考えていただき、とても嬉しいです
投稿日時: 2007-06-14 10:19:19
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ニコぷんさん、書き込みありがとうございます

うちでは、ピッコロが出てくると、「あっ、ママだ、ママだ・・!」みたいな・・。
「もう!ピ~~~ッコしますよ!」(地震、地震!・・。)
高3の長女が小さい頃、いつも見ていたな~。

鉄棒のこと、なんだか様子が目に浮かぶようです
お嬢さんの、複雑な気持ち、その表情など・・。
本当に、子どもは一つ一つのことに全身全霊でぶつかっているのですね。
何かが出来る、出来ない・・心が痛くなるぐらいの真剣さですから、他の人のことは、ものすごーく気になる。
もしかして、そこはオリンピックの決勝に近い状況なのかもしれないですね :)
おばさんになって、そんなひたむきな気持ちなど、すっかり縁遠くなってしまいましたが・・ :roll:


朋花さんが、学校のことを、考えてくださっていますが、大変興味深いです


学校では「同じ」年の子達が、「同じ」時に、「同じ」こと習ってますからね。
そしていっせいに評価が下される。「判決~!」みたい。

たしか、たしか・・ユニセフだったかな?どこだったか忘れてしまいましたが、世界的な子どもの人権擁護組織が、各国の子どもの生活の中で、人権がどの程度擁護されているかを、チェックしているようなのですが、日本の現在の競争過多な状況は、個々の人格が尊重され、人間性が守られいるとは言えず、日本に対しては改善「警告」が出されている・・というようなことを読んだ記憶があります。

場面緘黙の子どもに限らず、他の子たちにとってもいい状態とはいえないのかもしれませんね。

下の子が行っている小学校で、つい最近、朝の校門で子どもの「挨拶当番」なるものが出来まして、順番に回ってきます・・ :x
「美しい日本」の方針なのでしょうか?
強制的な礼儀・・個々の表現方法を認めず均一化しようとする傾向・・。
大人の自己満足のような気がします。
ちょっと、偉そうになってしまいましたね・・ :oops:

そんな現実はありますが、クラスの様子は先生によって非常に違ってくるのではないかと感じます。先生に気軽に相談できるといいですね。「手でタッチ」なんて、すごく素敵!

ある日のルディ先生の授業・・。

挨拶は、人それぞれのやり方があってもいいと思いませんか?
国によっても違うのですから、いろいろな挨拶を考えてみると、いろんな人を理解することが出来るかもしれませんね。
あるインディアンの部族の言葉では、「愛する」という言葉と「理解する」という言葉は、同じ一つの言葉なのだそうです
みんなも様々な人を、理解できるようになって欲しいと思います
そうすれば、心豊かに生きていくことが出来ますよ
先生が保障します
さて、
どんな挨拶の仕方が考えられるでしょう?自由に考えてみましょう
お隣の人とやってみてもいいです

ではまた。


題名: シフォンブラム博士
投稿日時: 2007-06-14 10:43:58
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 145
朋花さんが、とても素敵な挨拶法をあげてくださったのですが、
それは、アメリカの「場面緘黙症&子どもの不安障害」援助団体のシフォンブラム博士の「治療法」にも通じる素晴らしいアイデアと感じます

このところ疑問に思っている、いったい何をもって、治ったとするのか?
治す、ということの「目標」というか「対象」は何なのか?について気になってきたので、シフォンブラム博士の提案する治療法「SCAT」(social communication anxiety treatment)について、もう一度調べてみました

以下は、一部訳してみてから、自分で意味をまとめてみたものです
(ものすごい意訳してますから、主観はいってるかもですし、間違いもあるかも)

「場面緘黙の、治療方法とは?」の中から

まず、治療の「目標」とするべきものは何か?

1・・・「 不安が減ること」
2・・・「自分自身を尊重する、自分が大切な存在である、と思える気持ちが、膨らむこと」

ー以下は(主に家以外の)様々な人々との関係において、ー

3・・・「人は信頼できるという気持ちが膨らむこと」

4・・・「人とふれあったり、心を通わせあう機会をより多く持つこと」 (言葉による交流に限らず、様々な交流のかたち)
   

このとき注意しなければならないのは、

・決して「子どもに、声を出させる、話をさせる」ということに、重点が置かれるようなことがあってはならない、ということ。

・ほんのちょっとでも、子どもに対し「声を出すことや、言葉を出す、という表現形式をとらせたい」と考えることは、やめなければならない。

また、上記の1~4を「目標」としていけば、下記のように、子どものコミュニケーション方法は進展していく。

その前提としてあるのが、

A・・・不安が低くなる
B・・・人への信頼感が増す

そして、

C・・・それぞれの子に合った方策を取る(学習を支援する体制を取る、回りの理解を徹底させる等?)、あるいはその子に適する専門的な手法を用いる(認知療法、行動療法、遊戯療法、薬、等々・・?)

上記のA~Cのような条件が整うとともに、

・・子どもが人とふれあったり、心を通わせることが増えてくる

そして、その「人とふれあい、心を通わせる」方法は、徐々に

・・「言葉を使わない形」でのふれあい、心の通わせ方(表情によるなどの) (手でタッチ、や :)

から、

・・「声を出し、言葉を使って」人とふれあい、心を通わせる

へと進展して行く。

「コミュニケーション」を、「人とふれあい、心を通わせる」と、してみました


題名: ルディさんへ
投稿日時: 2007-06-14 22:59:49
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ルディさん

すみません。
SCATの説明ですが、訳されたのはどの部分でしょう。
教えていただけますか?
意訳と仰っていますが、
ちょっと私が思ってるのとニュアンスがちがうかも・・・?
自分の理解が不十分な気がして、不安になってきました。

Helping本には、
小さい子や治療の初めの頃は
「話すこと」に関することを「ターゲット」にしてはいけないけれど、
子どもが話したいという前向きな気持ちを強く持っている場合や
ステップがどんどんあがってきたら
「ターゲット」にしていってよいと書いてあったように思います。


題名: けいこさん、たいへんお世話になっております
投稿日時: 2007-06-15 01:54:38
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 145
けいこさん、ご指摘有難うございます

今、http://www.selectivemutism.org/でもう一度、SCATの説明を見ようと思ったら、なぜかつながらない!ので、ちょっと待ってくださいね
でも、このサイトに行けばすぐ見つかると思います。

訳には自信がないので、ぜひ興味のある方は、見てください!何か間違っていたら教えてください!

ところで、Helping本と言われると、とたんに苦手意識が働く私なので、困ってしまうのですが・・。

私が、よくわかってないなりに、思っていることは、helpingのほうは、ひとつの方法の紹介、として行動療法を取り上げて、書かれているのかな~と・・。
スモールステップ、エクスポージャー、会話のはしご(階段?)等々・・。
具体的な場面に少しずつ慣れていく・・というような方法?

私の前の書き込みで、「C」部分、それぞれの子どもにあった専門的な手法を選ぶとすれば、その中のひとつとして、行動療法もあるのだろうと理解しています。・・?

あくまでも個人の好みから言いますと、私はこの方法が非常に苦手なので、helping本は、買ったものの、途中までしか読んでいません。
helping本も絶対のものではないと考えていますので、いったい、なぜこの本が注目されるのかわからないと思っているぐらいです。
(また問題発言か・・)このやり方は、確かに、外から見てわかりやすい方法で、専門家や先生が一緒に関わろうとするときに、目に見える部分が多い・・大人にとってわかりやすいやり方だと感じています。

不思議に思うのは、子どもは安心さえすれば、いくらでも話せるわけで、根本的な認識を変え、「安心」を手に入れれば、一気に最上段にワープ出来てしまうのではないのかしら?ということです。
きっと、それが難しいから、この方法があるんだろーが・・とお叱りを受けるのでしょうね

でも、どうせなら、面白くて楽しいやり方がいいな~と・・。(不謹慎か・・)
実際のところ、子どもは、大好きな人形遊びや、お絵かき、で自分の気持ちを外に出して、あるいは象徴化しながら、発散したり自己確認していったのではないかと思いますし、繰り返し聞いていたレミオロメンの歌詞によって、認識を変化させ勇気をもらったでしょうし、愛犬の散歩で犬友のおばちゃん相手に、社会への信頼感を得ていったかも知れませんし・・勇気を出して、大胆に自己表現する楽しさを、好きなピアノの演奏で身につけることが出来たかもしれません。何も何とか療法でなくたって、素敵なやり方はあるだろうと思います。

シフォンブラムさんのSCATは、「話す」ことだけではなく、子どもを全体としてとらえ、その子に応じた対応を見つけていく・・とあるので、表作ったりチェックしたりするのは苦手な私も「安心」です。プライドが高く、細かいこと言われるのが嫌いな娘・・という事もあります。

明日は・・あらら、今日は・・子どもの個人面談です。
山里までドライブしてきますね。


題名: こんにちは
投稿日時: 2007-06-15 12:22:16
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 56
みなさん、こんにちは。

挨拶やコミュニケーションって、なにも言葉だけではないんですよね。
挨拶週間真っ只中の息子の学校では 高学年の「おはよう応援団」が
昇降口に立ち「おはようございます!!」と絶叫しています。
ひとりの上級生が息子のところに寄ってきて「おはようございます!」
その気迫は脅迫めいたもののようにも感じました。
挨拶はいい習慣ですが 強制になると違和感を感じます。

握手や手でタッチ、でも息子は自分からは行けないだろうな。
おとなしい子にも苦痛でしょうね、挨拶週間って。

幼稚園では帰りの挨拶を 先生とひとりひとりがしていました。
握手をしたり、ハイタッチをしたり、ハグをしたり先生によって違うのですが
いい習慣でした。最初はタッチだけだった息子が一週間で
小さな声で「さようなら」が言えるようになりました。

この間テレビで、耳の聞こえない子たちのフリースクールを紹介されて
いましたが、とてもすてきな学校でした。
緘黙の子ばかりの学校があったらどうだろうと考えさせられました。
感じたことをブログhttp://tomoka410.blog64.fc2.com/blog-entry-183.htmlに書いてみました。

きっと、心の中のコップが「安心」で満たされれば 話し出すんですよね。
教育センターのセラピストと 一年かかってようやく話せるようになりました。
ああ、ようやくコップがいっぱいになったのね :D


題名: こんにちは
投稿日時: 2007-06-15 20:22:12
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ルディさん、こんにちは。

私もけいこさんと同じように、ルディさんが書かれていたシポンブラム先生のSCATの説明を見て、あれっと思いました。

SCATの概要はWhat is Social Communication Anxiety Treatment (SCAT)??
(http://selectivemutismcenter.org/SCAT.htm)に書かれていますよね。

その文面の中に、下記の説明があります。

Dr. Shipon-Blum emphasizes that although anxiety lowering is key it is often NOT enough, especially as children age. Over time, many children with Selective Mutism no longer feel 'anxious' but mutism and often lack of proper social engagement continues to exist in select settings. Many children with SM need strategies/interventions to progress from nonverbal to spoken communication.
(シポンブラム先生は、不安の低減が治療の鍵となるものの、特に子どもの年齢があがると、それだけでは充分ではないことを強調しています。時間がたつにつれ、多くの緘黙児は「不安」を感じなくなります。しかし、特定の場面においては、緘黙症状ならびに、往々にして適切な社会的行動の欠如が続きます。多くの緘黙児は、非言語的なコミュニケーションから言語的なコミュニケーションへと移行するための対策/介入が必要となってきます)。

ルディさんの説明だと、介入が必要という部分に殆ど触れていないので、誤解を招くのではと思いました。
私はSCATについて詳しく調べた訳ではありませんので、間違っていたらごめんなさい。


題名: みくさん、ありがとうございます
投稿日時: 2007-06-15 22:56:48
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 145
みくさん、ご指摘ありがとうございます

いつも、皆さんのお陰で、それぞれの方のお考えをうかがって、自分には見えていなかったことを見たり、わかっていなかったことを理解できるようになることを大変ありがたく感じます!

ところで、私が見た文章は、すでに資料NO.1として訳してていただいているものでしたね!
social confidence の意味は、 社会への信頼感かと思っていたら、社会への自信になっていたので、ずいぶん意味が違っていましたね!?。

なるほど、治療の目的は「話すことに置かない」「期待しない」となっていても、時には「話すこと」を目指すことが必要なこともあるのですね?

では、いったいいつ、「話すこと」を目指す手段を取り入れる判断をするのか
どの場合が、それにあてはまるのか
その手段や介入とは、どのような形をとるのか
自分の子どもに合った方法はどれなのか
などを、どのように考えればいいのでしょう?

例えばNO,14では

この年代の子どもたちの場合は、「学力面でその子の持てる力を伸ばすこと」そして「社会とのつながりを保つこと」に支援の焦点を絞るべきです。・・・もし教師が、生徒が学校で感じている不安を軽減させ、その子に自信を与えることができたなら、おしゃべりしてみたいという気持ちを持って、もっと上手にコミュニケーションをとれるようになる絶好の機会をもたらすことになるでしょう

と、ありますが、ここでは「学力面でその子の持てる力を伸ばすこと」そして「社会とのつながりを保つこと」の内容が、介入にあたることになるわけですね?それとも、そうではない何か別のことなのかしら?

資料も、ひととおり見ただけでは、わからない事だらけという気がします

ただ、こういう方法でなければならない、ということは無いでしょうし、みんなが、同じ方法を取らなくてもいいのではないかと感じるので、
その基本として、目的とするべきことをシフォンブラム博士があげてくださっていることを踏まえておきたいと考えていました

私は自分の子どもしか見ていないので、ほかのお子さんにとってどういった方法が適しているかを考えることが出来ず、自分の子どもが、この考えのときにはうまくいったような気がする、とか、自分が好きなやり方、という感覚が先に来てしまいます
うちの子の場合は、確かに「話す」ということには触れず、「安心、自尊心、信頼、ふれあい」という、シフォンブラム博士のおっしゃる目的に、知らず知らず到達していったことで、会話に問題が無くなったと実感しています。
介入、方策・・をとったことになるのかどうか、何がそれのあたるのか、よくわかりませんが・・。学校に理解を求めた、学習の支援をお願いして、ほんの少し実現することが出来た、子どもが学校だけでなく様々な人と接することが出来た・・・それも、介入、支援と言えるのかしら?
でも、もしかしたら、日常の色々なことが、自然と行動療法になっていたのかも?

おそらく、小学校時代は、本人が自分自身で、小さなステップを人知れず踏んでいったのでしょう
母がしっかりしていないと、子共は苦労させられますね


題名: 子どもが偉いです
投稿日時: 2007-06-16 21:46:39
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 145
すっかり、恐れ入っているルディです

何にか?といいますと、例えばみちさんや、ははさんや、みくさんや、けいこさん・・みなさんの真剣さや、賢さ、優しさ・・等々にです。

治療というけれど、その目的は何だろう?と、ちょっとのぞいたSCATの説明に、そうかそうか!と簡単に納得してしまった私でしたが、よくよく全体を見ると、SCATというのは、おそらく、ものすごくシステマティックな取り組みなんですね!すごくきちっとした体制を組んで、計画書を作って、きちんきちんと進めていくのですね。
実は、自分が興味を持った資料しか、ちゃんと見たことが無かったのです。全然わかっていないことが、皆さんにわかってしまいました
:shock:
皆さんにとっては、何を今頃言っているの!?な私ですね。
こうした方法を、きちんと読み込んで、お子さんのために役立てる努力をされていることに、今更ながら、こころから尊敬の気持ちを抱きます
この支援の少ない状況で、書かれている内容をきちんとやっていこうとするのは、お母さんにとって、かなりのエネルギーを費やさなくては出来ないことですね。

自分は、情報をさらりと流し込んではいるものの、あとは直感だけで適当に判断しているのだということを、再認識してしまいました。
そんな母なのに、頑張っている娘に助けられて、まるで自分が正しかったようなことを言っているだけなのかもしれませんね :oops:

これから何か書いていくことを読んでくださる方は、ちょっとそういう点を頭に入れておいてくださいね。


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