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題名:
投稿日時: 2008-11-14 22:37:24
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りりさん、返信ありがとうございます。

過去を振り返ってみれば、自分の本音を隠してきたと思います。
話せないし、笑えないことも含めて。
あまりにも世間を意識した価値観のモノサシで、
考えたり選択をしてきたと思います。
それが正しいこともあるけど、違うこともありました。
正しいことは認めなくてはいけないけれど、それがどうしても嫌で、
納得がいかなくて、苦しい。
ユーモアに変えて笑ってしまえればいいと思い、
今はそれを習得しようとしていますが・・・。

本当は、机にじっと座っているのは嫌だし、ある程度は人と接したいし、黙っているのにももう疲れた自分がいます。声をだしたい!!

私の場合、頑固なところも、話せないことの原因のひとつかもしれない。
人に頭を下げたり、へりくだったり、バカになったり、プライドを捨てたり・・・つまりはもっと大人になれということなのかもしれない。

地道に、身近なところからやっていくしかないのですね。たぶん。


題名: こんにちは、りりです
投稿日時: 2008-11-16 13:40:37
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返信いただきどうもありがとう:D
何となくですがやっぱり今の陽子さんは、やっぱり長いトンネルから抜け出すあともう一踏ん張りな地点まで来ている、というような印象がありますね。

頑固なのは私もそうですし、緘黙症の人はそういう傾向がありそうな気がします。
それが元からそうなのか後からそうなったのかは分かりませんが。
こうも長い間喋らないでいると、それがいつの間にか一つの個性というかアイデンティティとなってしまうわけで、そこを変更・修正する、となると自分が失われるような恐怖もあったのを覚えています。
ただ、自分のアイデンティティとか自己とかいうものは、自分が思っているような、希薄なものではなかったのでした。簡単に消されるものではありません。だからなかなか厄介なんですが(笑)

自分を大事にしつつ他者との関わりではバランスを取りながらうまく生きるというのが大人になるということかもしれませんが、そんなに上手く行かないことも多いですね。
でもそれでもいいんだと思います。
厄介だからといって自己を切り捨てる必要はないのです。

お互いがんばりましょう:D


題名:
投稿日時: 2009-05-27 20:28:52
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久しぶりです。最近考えることを書き込みます。それは、

話さなくても済むのなら、
無理をしなくてもいい選択肢を選べばいいのではないか?ということです。
それで物事が前に進むのであれば、
例えば、壁を乗り越えようとしたり、突き破ろうとしなくてもいいのではないか?
それは、話すということに関しては、前進したことにはならないけれど、
話すことがネックで前に進めない物事があるのだとしたら、
かんもくを克服することと、その物事とを関連づけて考えるのではなく、
一度、別問題として考え、それぞれの解決法を探したほうが現実的な考え方のように思えてきました。

私の場合、
働くこととかんもく。
大学卒業とかんもく。

人との触れ合いは大切なことなのだと、よく聴きます。
それはそうだと思います。
人との触れ合いとかんもく。は切り離せないものなのでしょうか?

どうして自分には友達や仲間ができないのかと考えると、
自分で自分を認められないから、他人も認めることが出来ないこともあると思う。
友達を作る時は普通、自分に似た人を探すものでしょう?
だけど、自分に似た人は自分の嫌なところが反映されてしまう。
かといって自分と違う人にどんなに憧れて近づこうとしても、無理がある。
だからかな~?と。

まだアルバイトは出来てません。
でもそんなに焦らなくてもいいのかなと思っています。
世の中的にも落ち着いてくるまで、しばらくは「じっと」力を蓄えておけばいいのかなと。


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