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題名: みちさんへ
投稿日時: 2008-09-07 03:33:08
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返信、ありがとうございます。前回はみちさんの書き込みに気付くのが遅くてすごく間が空いていて大変申し訳なく思っていたのでほっとしています。子共は新学期が始まったばかりですが。頑張って通っています。病院の先生からのプッレシャーはアルバイトをやってみるという事でしたがやはりそんな事は今は無理で求人雑誌とか見てみましたがそこから先へは進みませんでした。私も先生から言われたことを真剣に受け止めてしまう傾向があるけど今はもっと気軽な気持ちで通院すればいいのだと思っています。先日、担任の先生と個人懇談をしてきました。1時間半くらいいろんなことを話しました。今の学校に来る前は児童施設に勤めておられて、まだ若い先生ですが、場面緘黙の女の子がいた事を教えて頂きその子は何とか挨拶が出来るようになったと言ってました。うちの子はまだ学校では担任の先生以外とは安心して接する環境にはないみたいですが、時間がかかっても今の学校が安心できる場所である事から初めて自分の居場所を見つけていこうという事になっつています。先生と色々と話が出来て良かったです。場面緘黙の事を知りその事で色々と解りましたが、話がしたいのに思うように声が出ない苦しみは当事者しか解らないけどみちさんの言われるように家族と学校のサポートなしでは難しいですよね。自分の事も色々振り返り考えてみると私自身場面緘黙の要素は持っているとおもいます。自信があることには積極的に取り組むけど対人間関係ともなれば馴染むまでがとても時間がかかってしまいます。先生にも子供はお母さんに似てるかもしれませんねと言われました。私、無理をするときっとうまい方向に進めないきもするのです。今は子供の事を全部受け止める。  その事から始めていきます。下の子供が2歳から4歳にかけて3回入院をしましたがその後物凄い甘えっ子になり私にべったりでした。私も心配もあってかそれに答えていました。今思えば上の子にとても淋しい思いをさせてしまって甘える事が出来なく過ごした事も原因のひとつだと思います。これは病院の心理テストの結果にも表れていて幼児期の時に充分親に甘える事って本当に大切だなと実感しています。子供は自分なりにコントロールしているみたいで急に家の周りを走りに行ったり、走りこみをしたりと体を動かす事でストレスの発散をしています。将来の事とか考えると頭がおかしくなりそうとか思ってましたが今はそんな事は考えず笑顔の子供をイメージして頑張ろうと思います。緘黙の子は本当に物凄く敏感なのにジーッと見てしまう私の行動は辞めなければと思う今日この頃です。みちさん、本当に親切なアドバイスありがとうございます。


題名: ビオラさんへ
投稿日時: 2008-09-13 21:28:50
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ビオラさん、こんばんは。

息子さんは担任の先生とは安心して接することができるんですね。理解のある先生でよかったです。お母さんが一人で行き詰まらないように、遠慮せずに先生にいろいろ相談されるといいと思いますよ。

>自分の事も色々振り返り考えてみると私自身場面緘黙の要素は持っているとおもいます。自信があることには積極的に取り組むけど対人間関係ともなれば馴染むまでがとても時間がかかってしまいます。先生にも子供はお母さんに似てるかもしれませんねと言われました。

私もそうです。息子の様々な傾向は私に似たんだな~と思っています。似た傾向があると、親が全く違うタイプの場合よりも、子供の心理は理解しやすいのではないかと思います。

逆に、「自分に似ているから」 「自分はなんとかなったから」 「こんなことはよくあること」 と、つい安易に考えてしまうこともありがちだと思います。確かに似ているところはあっても、子供の抱えている困難は、自分のときとは質の違うものであることをよく見てあげなければいけないと思っています。

>今思えば上の子にとても淋しい思いをさせてしまって甘える事が出来なく過ごした事も原因のひとつだと思います。これは病院の心理テストの結果にも表れていて幼児期の時に充分親に甘える事って本当に大切だなと実感しています。

「子育てに遅すぎるということはない」 と言いますよね。小さいときと同じように、とはいかないかもしれませんが、例えば、何かうれしいことがあったとき握手をして一緒に喜びあうとか、今からでもスキンシップを心がけることもできるのではないでしょうか。

子供のことを理解することはとても大切で、全てはそこから始まりますよね。でも、過去の原因については、あまりそこだけにとらわれ過ぎないようにした方がいいように思います。環境要因など過去の原因を突き詰めていっても、場面緘黙の場合、必ずしも改善にはつながらないようです。カウンセリングなどによって内面の力を高めることを目指しながら、同時に、現実的なところにも目を向けて、日常生活の中で少しずつできそうなことを実践していくことが必要だと思います。

>子供は自分なりにコントロールしているみたいで急に家の周りを走りに行ったり、走りこみをしたりと体を動かす事でストレスの発散をしています。

息子さん、しっかりしてますね。今後、何か身体を動かすことで少しでも人と関わる活動ができるといいな、と思います。うちの息子を見ていて最近思うのは、好きなこと、自分にとって楽しいことを続けていくことで、他のことにもいい影響があるということです。ビオラさんの息子さんは自分なりに考えて行動できるということで、お母さんにあれこれ口出しされることを嫌うタイプかもしれませんが、今の生活に慣れたら、話し合ってみてくださいね。

いろいろな大学のオープンキャンパスや大学祭を見に行ってみるのもお勧めです。一般的に、高校3年生になると勉強等で忙しくなるので、高校1年や2年のうちにあちこち行ってみる子が多いようです。みんな友達同士で行くのかなと思っていたら、実際には意外に親子連れが多く、親が熱心に相談に乗ってもらっている姿があちらこちらで見られました。

うちの息子は、最初はほとんど興味がなくて、私や主人に促されながらしぶしぶオープンキャンパスに参加しました。模擬授業の会場に一人で入ることができず、主人と一緒に講義を受けたりしていましたが、次第に場の雰囲気に慣れ、「次はここを見るよ」 と自分で考えて動くようになっていました。興味のある学部学科も見つかって、「大学ってなんだかおもしろそう。もう高校生活のことはいいよ。大学に希望を託す。大学でイメージチェンジしたい。」 などと言い出しました。

今高校で楽しくないのは、部活に入っていないため勉強だけの学校生活になってしまっていること、好きなことを一緒に楽しむ仲間がいないということが大きいと思うので、「大学では何かのサークルに入ったほうがいいよ。」 と以前から話していました。オープンキャンパス後、息子が 「ギターがもっとうまくなれるようがんばって、軽音楽部に入りたい。」 と言うので、これまでも何回か話題になっていた 「ギター教室に行ってみる」 ことをもう1度勧めてみました。

これまでは 「人と話すこと」 「人から教わること」 に自信が持てないこともあり、「そこまでしてやらなくていい」 「独学でがんばるからいい」 と気が進まない様子の息子でしたが、軽音部に入るには、その前にもっと自信をつけることが必要だと自分で気づいたようです。「自信をつけるためにちゃんと習いたい」 と言い、自分で申し込み手続きをして (もちろん少し手伝いましたが・・・)、9月からギター教室に通い始めました。先生との相性もばっちりだったようで、自分の好きなことを好きなだけ話せるということもあり、なんだかとても楽しそうです。

>私、無理をするときっとうまい方向に進めないきもするのです。今は子供の事を全部受け止める。  その事から始めていきます。

お母さんの直感を信じて、無理をせず、あせらずゆっくりできることを続けていってくださいね。「話すこと」 に関しては何も進展がないように見えてじりじりすることもあるかもしれませんが、チャンスはある日突然訪れます。息子さんがたくさんエネルギーを蓄えてやる気になったとき、「今だ!」 とお母さんが感じたときに、上手に背中を押してあげてください。


題名: 社会不安 と 社会不安障害(社会恐怖)
投稿日時: 2008-09-15 16:32:59
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 255
2月17日の投稿で、「認知行動療法的アプローチ」 について次のように書きました。

・セラピスト(お母さん)は相談者(子供)に対して障害のメカニズムを詳しく説明したり、治療法について話し合ったり、相談者の疑問にわかりやすく答えたりすることが必要です。

自分がよく理解していなければ、誰かに説明することはできませんね。

Knet資料No.1には、
場面緘黙児の90%以上が社会恐怖や社会不安も持っています。

とありますが、「社会恐怖」 「社会不安」 ってなんでしょう?
今回はそのことについてまとめながら、自分のことを振り返ってみたいと思います。

(以下は、クリストフ・アンドレ著, パトリック・レジュロン著, 野田 嘉秀訳 『他人がこわい―あがり症・内気・社会恐怖の心理学』 紀伊國屋書店を参考にしています)。

本によると
●「社会不安障害」 は、長期間しつこく続く精神疾患です。
特定のことに対して抑えられないくらい激しい恐れを感じるため、日常生活にとても大きな支障をきたし、時にはその人の人生を大きく左右してしまうほどです。多くの人が自分が病気であるということに気づかず、治療法が存在するとは思っていません。また、この病気に苦しんでいる人はできるだけ目立たないようにふるまっているため、周囲の人から見て症状がとてもわかりにくく、このことが 「社会不安障害」 が長いこと病気として認められてこなかった最大の原因だということです。

「あがり症」 「内気」 は、「軽度の社会不安」 で、病気ではありません。
でも、「社会不安」 がひどくなってくると、電話に出られない、商店で買い物ができない、といった症状が現れ、「社会恐怖」 (=社会不安障害) などの病気になってしまいます。病気ではない 「軽度の社会不安」 と、病気である 「重度の社会不安障害」 の境目ははっきりしていません。

「軽い社会不安だから」 「このくらいなら大丈夫」 とたかをくくって放っておくと、徐々に悪化して 「社会恐怖」 (=社会不安障害) や 「うつ」 などを発症してしまう可能性もあります。
今日、「社会不安」 などの 「心の苦しみ」 にも医学的治療は必要だと考えられているのは、放置することが病気の悪化につながることが証明されたためです。


では 「場面緘黙」 はどうなのでしょう?
「学校で話せないこと」 を 「個性の一部」 ととらえ、「病気」 ととらえることに強い抵抗を感じる当事者の方、保護者の方も多いと思います。「場面緘黙」 の症状にも、人によってかなりのばらつきがありますね。本人があっけらかんとしていて全く気にしていない場合もあるようですが、「本人が困っていないから」 「病気とは言えないから」 といって、放っておいても心配ないと言えるのでしょうか?

子供が困っていないのは、周囲の理解があり暖かく見守られている環境にいるからこそであって、一歩厳しい環境に放り出されたとたんに不安定な状態に陥ってしまう危険性をはらんでいるように思われます。「場面緘黙だったけれど、学校は楽しかったし、いつのまにか治ってしまった。」 という人には、たまたま周囲の環境に恵まれていた人が多いのではないかと思います。

私は、小学校時代、引っ込み思案で赤面症、授業中は全く挙手をせず、たまに指名されても蚊の鳴くような小さな声しか出せない子供でした。でも、私の場合、学年があがるにつれて少しずつ自信を得て、中学校、高校では、自分なりに充実した学校生活を送ることができていたように思います。友達といえる人は限られていましたが、自分を出せる場所もありました。

幼稚園や小学校低学年でほとんど動けない、ほとんどしゃべらない状態だったのに、それが悪化せず、少しずつ解消していった要因はなんだったのかと振り返ってみると、私の場合、引越し、転校といった急激な環境の変化やいじめなどを経験せずに済んだこと、自己表現ができることや積極性よりも、ペーパーテストでいい点数がとれることが評価される時代であったこと、相性のいい先生に恵まれて自信がつくような言葉がけを多くしてもらえたことなどが大きいと思っています。

「へたに親に口出しされていたらもっとひどくなっていたと思う」
場面緘黙を克服した人の書き込みによく見かけます。私も自分のことを振り返るとそう思うところもあります。でも、よく考えてみると、親が手出し口出しをしなかったからよくなったのではないです。親が学校側に何も配慮をお願いしなくても、大人しくて目立たない生徒に目をかけ、ごく自然に励ましてくださる先生に恵まれたから、成長するにつれて自信を得ることができたのだと思います。もし、自分の苦手にしていることを日常的に非難され、「どうしてそんなこともできないの」 と言われ続けていたら、または、面と向かって言われないまでも、そんなプレッシャーを常に突きつけられるような学校生活を続けていたら、こうはいかなかったと思います。そしてもし、大人になった今も 「社会不安障害」 で苦しんでいたとしたら、「親はあのとき何もしてくれなかった」 と恨む気持ちも出てきてしまうように思います。

なんでも大げさに考えればいいということではありませんが、子供の状態が 「病気」 であったとしても 「個性」 だったとしても、「学校」 という場で子供が 「話せない」 でいるとしたら、それ以上悪化させないために、そして長期化させないために、周囲の大人は配慮しなければいけないと思います。

「場面緘黙」 を知らない先生には情報を提供し理解していただく必要があります。どうしても理解が得られないなら、場合によっては子供を学校から守らなければならないこともあるかもしれません。時には、学校を休ませることや転校などの大きな決断をしなければならないこともあるでしょう。また、不安や緊張感がとても強いときには、医師に相談することも必要かもしれません。子供が 「克服したい」 という気持ちを持っているときには、一緒にそのための方法を考えてあげたいです。人と交流する場が失われがちなときには、なんとかそういう場を求めて、必要なら親も一緒に出かけて楽しい時間を過ごすようにしたいです。

そのいったことを何もしないことが、「放っておく」 ということなのではないか・・・と思います。

●「社会不安障害」 の判断基準は、

①苦手な対象に対する激しい恐れ と  ②徹底した回避行動 です。

① 「社会不安障害」 の人たちにとっては、日常のちょっとした出来事や皆があたりまえのように行っている簡単な手続きが、とてつもなく大きな試練となってしまいます。
「社会不安障害」 の人にとって、コミュニケーションとは、相手から批判されたり、低い評価を受けたりする機会でしかありません。他人の評価にさらされることに極度に過敏であるため、自宅にいる時を除くと、心休まる時間を過ごすことができません。

②苦手なことに激しい恐れを感じているため、耐えきれずに 「回避行動」 をとってしまいます。「回避行動」 を繰り返すことで、正面から状況に立ち向かう習慣を少しずつ失っていきます。そしてある行動をとることで不快な思いをせずに済むことが続くと、その行動はますます 「強化」 されていきます。


題名: 小さいうちならちょっとした働きかけで改善することが多いです
投稿日時: 2008-09-30 23:43:54
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 255
うちの子は、これまで何度も場面緘黙状態からの回復と悪化を繰り返しています。

私は、息子が小学6年生になるまで 「場面緘黙」 という言葉を知りませんでした。知識がなかったために、それまで不適切なことをたくさんやってきました。もし私に知識があったら、息子を 「場面緘黙」 にすることもなかったかもしれません。

息子の幼稚園時代や小学校時代のことを書いてみたいと思います。


◆幼稚園の頃

息子が通った幼稚園は、少人数制で、ひとりひとりをよく見てくれるあたたかい雰囲気の幼稚園でした。

同じ地区に別の幼稚園もあり、もっと大人数で、「音楽教育」 にとても力を注いでいるということでした。「お勉強を教えてくれるから」という理由で、地区の保護者に人気がありましたが、うちの子の場合はそちらの幼稚園を選ばなくて正解だったと思っています。

息子は年少さんの頃、分離不安が強く、毎朝、大変な思いをして幼稚園に送り出していました。子供たちにはなかなかなじめませんでしたが、先生たちが常に気にかけてくださり、とても熱心に話しかけてくださったおかげで、先生たちのことは大好きでした。

運動会など、初めての行事に参加させるのにとても苦労しました。運動会では、表情も動きも硬くてとても目立ちました。不安そうで、全然楽しそうには見えないのに、終わってみると「あ~楽しかった」と満足そうにしている子でした。

お友達がなかなかできなかったのですが、年中さんの夏休み以降になって、やっと一人のお友達と遊ぶようになり、その後少しずつ2~3人のお友達と遊べるようになりました。

年長さんの頃は、「お友達と約束してきた」 と帰ってきては、親の送り迎えでお友達が家に遊びにきたり、うちの子が遊びに行ったりと、よく遊んだものです。息子が親しくなる子は皆おっとりのんびりタイプの子供たちでした。

こちらから特にお願いしたわけではありませんでしたが、小学校入学の際には幼稚園で仲良しだったお友達と同じクラスになれるよう、幼稚園の先生が配慮してくださったようです。


◆小学校1年生

実は、息子が小学1年のときに、場面緘黙状態になりかけのところを担任の先生に救われています。

日直なのに一言も発しない、絵をかかない、自分の名前を書かない、給食当番なのに動かないなど、最初先生はだいぶ面食らったようです。

小学校での初めての二者面談の際に担任の先生から、「こんな子は初めて見ました。原因は何だと思いますか?お母さんが何でもやってあげているんではないですか?」 と問われたときには情けなくて泣きたくなりました。自分も、小学1年生の時にはできないことが多い子供だったので、そういう子供はどこにでもいるものと思っていました。でも、そのころの息子の状態は、私の小学校時代とは比べ物にならないくらいひどいものだったようです。

その先生(女性)は、親に思ったことをはっきり言うだけではなく、こちらから何もお願いしなくても、子供にとって1番いいと思う方法を一生懸命考えて工夫してくださる熱心な先生でした。( 「場面緘黙」 や 「発達障害」 のことはご存じなかったと思います。)

《放課後の雑談タイム》

緊張していてなかなか自分が出せない息子が、放課後になるとリラックスして表情が変わることに気づいた先生は、放課後に5分~10分くらい、先生と息子と親しい友達だけの雑談タイムを意識的に設けてくださいました。「さようなら」 をしてみんなが帰っていき、教室に先生と息子と親しい友達だけになったとき、息子は、まるでつき物が落ちたように肩の力が抜けて態度が変わるんだそうです。息子は最初のうちは友達と先生がおしゃべりしているのを聞いているだけだったようですが、そのうちに友達とのいつもの 「ノリ」 で、先生のまえでおどけて見せたそうです。

その日、息子は 「『あんた、おもしろいやつだね~』 って先生に言われたよ~」 と、とてもうれしそうに帰ってきました。それ以降、息子は少しずつ先生との雑談に加わるようになり、教室での発言もできるようになっていったようです。

これは、今振り返ると、場面緘黙への介入方法 「フェイディング法」(Sliding In かな?) にちょっと似ているなあと思います。幼稚園時代から息子と親しかったお友達が、息子と先生との 「会話の橋渡し役」 をしてくれた形なのかな・・・と思います。

《絵日記の宿題》

1年生の夏休みに、自由研究の代わりに、私が少し手伝って、息子に毎日絵日記を書かせ、先生に提出させました。字を書くことや絵を描くことに強い苦手意識を持っていた息子に、夏休みの間に少しでも慣れさせたかったためです。

先生がそれにヒントを得たのか、2学期以降、絵日記がクラス全員への宿題になりました。毎日のことだったので子供たちの負担になり、他の保護者の方々には不評だったようです。クラス全員に毎日コメントを書く先生も大変だったと思います。絵日記の宿題は1年生の終わりまで続きました。

先生はみんなに 「表現する力」 をつけたかったのだと思いますが、特にうちの息子のことを意識して指導してくださったところもあるのではないかと思います。息子にとっては自分を表現するいい練習になり、ずいぶん自信になったように感じました。子供の成長のために必要なことだと思ったら、少々手間のかかることでも、即実行に移してくださる先生でした。

《ほめて自信をもたせる》

また、先生は 「ほめて自信をもたせる」 ことを心がけてくださいました。例えば、息子は学校でなかなか絵を描かなかったのですが、作品などを未完成のまま終わらせることはさせず、苦手なこともみんながやることはやらなければいけないことを根気よく教えながら、完成させたものを必ずほめてくださいました。

宿題の形や居残りなどでどうにか完成した作品をクラスでただひとり 「金賞」 に選んでくださったこともあります。他のクラスの担任の先生にも協力していただいたらしく、「○君は絵がうまいなあ~。この作品はおもしろいなあ。」 と他クラスの男の先生にまでほめていただいたことで、息子はすっかりその気になり、絵を描くことに自信を持つようになりました。

1年生が終わる頃、先生は 「この子は何かをするときに、他の子の何倍もがんばらなければいけないんですね。○君が、ひとつひとつのハードルを乗り越えていけるように工夫していきたいと思います。」 と言ってくださいました。


◆小学校2年生~3年生1学期

2年生の時も同じ担任の先生です。

入学したときから、朝の登校時、「お腹が痛い! 気持ち悪い! 学校に行きたくない!」 とごねて、毎日大変な思いをしていましたが、2年生の1学期に、遅れて学校に連れて行った日、息子は私から離れられなくて、珍しく学校で大泣きしました。そのとき、先生は、「ここまで来たのだから、離しましょう。」 と言って、息子を抱きかかえて連れて行き、その後30分くらい、ずっと息子をおんぶしていてくださったそうです。それ以降、息子は 「学校に行きたくない」 と言うことがほとんどなくなりました。

みんなと同じようにできることが次第に増え、3年生になる頃にはすっかりクラスになじんで、クラスメート全員と普通におしゃべりもでき、授業参観のときには笑顔も見られ、教室でふざけあう姿も見られました。「この子は、新しい場所に慣れるのに2年かかるんだな~。あ~これならもう大丈夫。」 と安心したのを覚えています。

《お友達》

近所の子供たちとも学校のお友達とも元気いっぱい遊んでいました。学校の友達とのトラブルが頻繁にあり、ときどき先生に相談しましたが、「子供同士のそういったことは、子供にはありがちなことで、それは○君が乗り越えていかなければならないこと。大人が介入すべきではありません。」 と、取り合ってもらえませんでした。

そのときは、弱い子を守ってくれない先生を恨みに思ったりもしましたが、今は、先生の考えは間違っていなかったと思っています。本当の 「いじめ」 にエスカレートしないよう見守る必要はあるかもしれませんが、子供同士のちょっとしたトラブルに大人が口出しをしたとたんに、せっかく芽生えた友達関係が崩れて修復できなくなることもあります。

意地悪をされたり、けんかしたり、仲直りしたり、そういった経験の中で息子はしだいにたくましくなっていきました。けがをさせられたり、意地悪をされたり、1年生の時にはハラハラさせられることばかり多くて親の悩みの種だったお友達とも、次第に対等な関係になっていきました。(その子とは今も親友です。今だにときどき連絡を取り合っています。)

《転校の時期は?》

あのまま、同じ小学校に通うことができていたら、息子はたぶん 「場面緘黙」 を発症せずにすんでいたように思います。転勤族ですから避けられないことでしたが、今思えば、息子は転校させてはいけない子供だったと思います。

息子の友達のお母さんが学校の先生をしていたのですが、こんなことをおっしゃっていました。
「それまでに築いてきた人間関係をリセットして1からやり直さなければならないのは大人でもしんどいのだから、子供ならなおのこと。どうしても転校しなければならないとしたら、できるだけ早い時期に、小学校2~3年生になる前にしたほうがいい。」

そのお母さんは、息子の普段の様子を知っていたので、転校のことを心配してくださっていました。教師としての経験も踏まえてアドバイスしてくださったのだと思いますが、うちの場合、転勤、引越しの時期を選べるような状況ではありませんでした。

もちろん、転校など全く苦にしない子もいます。どこの学校に行ってもすぐに友達ができて、新しい環境で楽しく学校生活を送る子もいるでしょう。そんな子は心配ないかもしれません。でも、そういう子でも、ある程度大きくなってから、本人の気持ちを無視して大人の都合で学校をころころ変えることは、子供を傷つけることになるかもしれません。実際、うちの主人の会社には、転校をきっかけに子供が場面緘黙になったり、不登校になったりした人が数人いることを後で知りました。

「小学校2~3年生になる前に・・・」 というのは、「8~9歳になると、場面緘黙の改善の過程は、より難しく、ゆっくりとしたものになる」 (Knet資料No.14)
http://kanmoku.org/documents/knet_handout_n14.pdf
ということと重なる部分があるような気がします。様々な理由から、子供たちの交友関係に大人が介入できなくなる時期・・・ということとも関係しているようにも思います。

息子は、ようやく学校が楽しくなった小学3年生の2学期に転校しました。そして転校先の学校で意思表示の全くできない 「緘黙・緘動」 状態になりました。


題名: お久しぶりです。
投稿日時: 2008-10-04 00:54:56
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みちさん、お久しぶりです。

私も場面緘黙症の事を知ったのは一年ちょっと前なので自分の行動を

振り返ると逆の事だったり知っていたらあの時克服できていたのではと

思う事があります。目を閉じれば子供が小学一年の時のまますぐそこに

いる感じがします。してあげれなかった事や今までの歩んだ子育ては

間違いだらけではないかと寝れない日々もありましたが落ち着いて

振り返ると喋ることは出来なかったけど運動は大好きで友達とよく遊んで

いたし、運動会などはとても生き生きとして楽しい思い出もたくさんあるの


と思います。転校は本当に子供にとって大変です。大事な友達と遊べ

なくなるのは本当につらい。うちの子も家庭の事情と環境が変われば

話せるようになるのではという思いから小学5年の時に転校しました。

今思うと転校せずにいたら何人かでも話せる友達がいたのにと悔やまれ

ます。どこかに相談して決めればよかったのですが家族だけの話し合い

で決めてしまいました。でも転校した学校で孤立することなくやってこれた

のは幸いです。私も落ち着いたら子供の事を振り返って記録したいとおも

ってます。最近少しずつ元気が出て大きな声でテレビを見ながら爆笑して

いる声を聞くと私も元気が出てきます。一生懸命なりすぎると空回りしたり

自分の思いを優先させたりとなりはしないかと恐々進んでます。

何より本人の気持ちが大事なのであせらず前向きに行きたいです。

最近クリニックで薬を進められたけど子供はあまり乗る気じゃないのです

がこれも気持ちの問題でしょうか?


題名: ビオラさんへ
投稿日時: 2008-10-22 23:34:03
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 255
ビオラさん、返信がとても遅くなってしまってごめんなさい。

この頃、息子のチャレンジのサポートなどでばたばたしていました。
息子は、友達と泊まりがけでライブに参加することに成功し、現在絶好調です。
(詳しいことは、「かんもくネット正会員用掲示板」で紹介する予定です。整理するのに時間がかかりそうですが・・・)

>最近少しずつ元気が出て大きな声でテレビを見ながら爆笑して
いる声を聞くと私も元気が出てきます。


息子さん、調子がいいようでよかったです。おうちで元気なのが1番ですよね。

>一生懸命なりすぎると空回りしたり
自分の思いを優先させたりとなりはしないかと恐々進んでます。
何より本人の気持ちが大事なのであせらず前向きに行きたいです。


息子さんは、がんばりやさんで、お母さんをがっかりさせないようにと無理してしまいそうなタイプなのですね? プッシュしすぎてもいけないし、難しいですね。じっと我慢して、息子さん本人が動き出すのを待つのがいいのかもしれませんね。

うちの子は、「自分の好きなことに向かってまっしぐら~」というタイプです。興味の偏りが激しくて、興味のないことにはなかなか気持ちが向きません。でも、この頃私が、ギターやライブのことなど息子の好きなことを積極的に応援するようになってから、苦手なことにも少しずつ向き合う気持ちになっているようです。ギター教室の先生がすごーくほめてくれるのも励みになっているようです。今が頑張れるチャンスかな・・・と思うので、久しぶりに「チャレンジファイブ」を復活させて、どんどんプッシュしてます。ちょっとした課題にぶつかったとき、「これも、大事なチャレンジだよね!」と促すとやる気になるようです。

>最近クリニックで薬を進められたけど子供はあまり乗る気じゃないのです
がこれも気持ちの問題でしょうか?


お薬のことは難しいです。医師がどんな効果を期待して、どんなお薬を勧めているのか、お母さんも息子さん本人も納得できないとだめですよね。効果にはかなり個人差があるようですし、副作用や断薬の際の離脱作用のこともある程度覚悟しなければなりませんから、納得するまでお医者さんに相談する必要があると思います。

「お薬を飲むことで苦手なことに取り組めるかもしれない」
「薬を飲んで頑張ってみたい」と、
息子さんがお薬を飲むことに前向きになれるなら、試してみる価値はあると思いますよ。

うちの息子の場合は、お薬そのものの効果もあったかもしれませんが、それ以上に「お薬を飲めばできるかも」という息子の期待感が、効果をもたらしたように感じました。実際、教室に入れない状態から授業に参加できるようになりましたし、かなり不安定な状態になったときに乗り切れたのも、薬の効果だったかもしれない・・・と私は思っています。

でも、お薬の効果は本当に微妙なものですから、医師の処方を信じることができないと続けていくことが難しいです。そして、風邪薬などと違って、気まぐれで飲んだりやめたりしていいものではありませんから、よく検討してみてくださいね。

うちの子の場合は、今は、心療内科とはすっかり縁が切れた状態です。息子が高校で「薬をやめたい」と言ったとき、最初お医者さんは反対しましたが、息子の意思を尊重して断薬をお願いすることにしました。離脱作用のため苦しい時期もありましたが、ゆっくり時間をかけて減薬していき、無事断薬することができました。

不安になりやすいのは持って生まれたものですから、今でも些細なことで不安になります。そんな自分を、薬に頼らずにどうコントロールしていけばいいのか、その都度よく話し合うようにしています。

>私も落ち着いたら子供の事を振り返って記録したいとおもってます。

だれでも、細かいことって、時が経つと忘れてしまいますよね。いろいろな意味で記録を残しておくことはお勧めです。

自分で整理しながら細かく記録し、それを読み返すことで、それまで見えていなかったことが見えてくることがあります。感情的になっていたことを冷静に考えられるようになったり、そこから、ふと、新しいアイディアが浮かんでくることもあります。

私、正直言うと、息子が小学1,2年生のときにお世話になった先生のことを、長年よく思っていませんでした。「力のある先生」と定評のある、熱心で厳しい方でしたが、保護者に対して自分の信念に基づいてストレートにものを言う人でしたから、私は、先生の言葉に幾度となく傷つきました。

小学3年生になり、担任が全く違うタイプの先生に代わったときに、息子が伸び伸びと学校生活を送っているのを見て、「1年生の頃あれだけ萎縮していたのは先生が厳しすぎたせい」くらいに思っていました。

でも、何年も経って「場面緘黙」を知り、最近になってそのときの記録が出てきて、そうではないと気づきました。放課後の雑談タイムなど、先生は緘黙傾向の子供に必要なことをしてくださっていたんです。息子は、小学1年生のときに、危うく「場面緘黙」になるところを担任の先生に救っていただいたのだと思いました。

ビオラさんも、時間の余裕ができたら、記録にチャレンジしてみてくださいね。きっと、いろんな発見があると思いますよ。


題名: 再び、小学1,2年生のときの担任の先生のこと
投稿日時: 2008-10-23 00:56:31
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 255
「『長い目で見てやってください』とよく言われますが、本当に長い目で見るだけでいいのでしょうか? 子供にはその発達段階で、最低限習得していかなければならない事柄があります。今長い目で見て、この先学年があがっていって、5年生になっても6年生になっても長い目で見ていくのですか? 今クリアしなければならないことを先送りにすれば、結局は子供が苦しむことになるのではないですか。」

1年生の終わりごろの先生のコメントです。このお話のあとに
「・・・ひとつひとつのハードルを乗り越えていけるように工夫していきたいと思います。」が続きます。

一歩間違うと、子供一人ひとりの発達の違いを無視した考え方ということになるかもしれません。でも、先生は、「これができなきゃダメ」とただ子供を否定するのではなく、また「できなくてもしかたないか・・・」と放っておくのでもなく、子供ができるようになるための工夫をし、必ずできるようになると信じて指導してくださいました。何かできるようになると次の課題が提示され、本人にとっても親にとってもきつかったけれど、結果、息子は一歩一歩ステップを登っていくことができました。

「今これができなくてもいいよ。いつかきっとできるようになるから・・・」と見守ることは確かに大事だと思います。しかし、「見守る」ことは「ただ見ている」ことではないのだと思います。

とくに、発達障害傾向をもつうちの子の場合、他の多くの子供たちと違って、信じて待つだけでは多くのことが身につかないで終わってしまいます。他のみんなが自然に習得していくようなことも、スモールステップで意識的に練習を積んでいくことが必要なようです。

何が結果的に子供の自信につながっていくのか、子供の個性によって違ってきますし、年齢が上がっていくほど難しくなっていくとは思いますが、長い目で見つつ、何かできそうなことを見つけ子供を励ましていくことができたら・・・と思います。

今では、息子が小学校1,2年生のときの担任の先生には感謝の気持ちでいっぱいなのですが、ひとつ残念なことは、あのとき先生に「発達障害」という視点がなかった・・・ということです。もし先生にそういう知識があったら、保護者に対する言葉がけがもう少し違っていたのではないかと思います。そして、私も最初から先生を信頼できていたのではないかと思います。でも、当時、そういう概念自体が存在していなかったのですから仕方ないですね。

入学当初、「こんな子は見たことがない・・・」と戸惑いがちだった先生ですが、2年時の家庭訪問の際には「○君のことはよくわかりました。もう大丈夫です。任せてください。」とおっしゃっていました。実際、息子は、3年生になるころには、他の子と変わらず、元気で明るい学校生活を送れるようになっていました。


題名:
投稿日時: 2008-10-23 09:04:13
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みちさんへ

たみこです。かんもくネットではお世話になっています。
SMJでは初めての書き込みです。
これまでも、こちらの掲示板を拝見していましたが、今回は書かずにはいられませんでした。

なぜでしょう・・・
みちさんのお子さんの小学校低学年の頃の書き込みを見て、涙が出てきました。
お子さんのひたむきに頑張る姿が目に浮かんできて。
みちさんの、当時と今との気持の差みたいなものも感じられて、なぜだか涙が出てしまいました。

担任の先生に知識がなかったとはいえ、息子さんの成長を信じて頑張ってくれていたことも。

手をかけすぎてもいけないし、かけなさすぎてもいけないし、その子供をよく理解していないと、「工夫」もできませんよね。

私は、自分の子供だからと、わかっているようで実は冷静な判断ができていないのではないか・・と思う事がよくあります。
だから、きっとみちさんの書き込みに涙がでたのでしょう。

今の息子さんについての書き込みも拝見していますが、ほんとに、凄い成長されていますよね。ここまでくる道のりが、どれだけの努力がいったのだろう・・と思うと、息子さんやみちさんには頭が下がります。

これからも、小学生の頃と現在と、書き込み読ませていただきます。


題名: たみこさんへ
投稿日時: 2008-10-25 23:20:24
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 255
たみこさん、こんばんは。

「かんもくネットフォーラム情報交換掲示板」 (Knet) では、いろいろな話題を提供してくださってありがとうございます。私も、たみこさんや皆さんの書き込みいつも読んでますよ。かんもくネット掲示板は、今とても充実していますね。

会員さんの中には、スモールステップで着実に成果をあげられている方もいらっしゃって、皆さんの書き込みを読むたびに 「私はこんなに細かい配慮はしてこなかったなあ」 と、さまざまなアイデアに感心させられてばかりいます。同じ悩みを抱えるもの同士、お互い情報交換しながら励ましあっていくことの大切さをつくづく感じています。

私と息子の取り組みは、ここ 「旧掲示板過去ログ」 (SMJ)から始まりました。でも、息子ももう大きくなって、公の掲示板で自分の日常のことをあれこれ書かれるのは嫌なようなので、こちらでは、小学生のときのことや私が学んだことなどにしぼって紹介させていただきたいと思っています。

>なぜでしょう・・・
みちさんのお子さんの小学校低学年の頃の書き込みを見て、涙が出てきました。
お子さんのひたむきに頑張る姿が目に浮かんできて。
みちさんの、当時と今との気持の差みたいなものも感じられて、なぜだか涙が出てしまいました。


たみこさんのコメントを読んで、なんだか私も涙が出てきました。

残念ながら、うちの子には 「ひたむきに頑張る」 という言葉は似合いませんが・・・苦手なこと、いやなことが山ほどある学校になんとか踏みとどまって、今まで本当によく頑張ってきたと思います。

家庭では、長年、壮絶な親子バトルを繰り返してきました。なにかプレッシャーがあると大声を出して大暴れ、物が飛んだり壊れたり・・・いろいろありました。でもこの頃は、不安なことがあってもちょっと怒りっぽくなって大声を出すくらいです。

今でも私が何か提案しようとすると、一回は 「やだよ!」 と拒否しますが、その後私の話に耳を傾けてくれます。「勝手に決めないでよ!やるかやらないかは、ぼくが決めるからね!」 と怒ったり反抗したりしながらも、なぜ今そのことに挑戦することが必要なのか、自分なりに納得するとやる気になるようです。これまでの積み重ね (チャレンジがうまくいってうれしかった気持ち) が後押ししているのかな・・・と思います。

息子の場合、まだまだ 「人並に」 とは行きませんが、近頃ではどんどん新しいことを身につけてくれるので教えがいがあります。私が何か教えようとすると、「教えるな~!!」 とひっくり返って、ことごとく拒否していたころのことが嘘のようです。

>手をかけすぎてもいけないし、かけなさすぎてもいけないし、その子供をよく理解していないと、「工夫」もできませんよね。

そうですよね。そのあたりの加減が難しいです。でも、手をかけることで、少しでもみんなと一緒に参加できることが増えたとしたら、それは、子供の自信につながりプラスになる、と私は信じています。

手をかけつつ、「大丈夫。できるからやってごらん・・・」と励ましていく・・・ときには思い切って手を離したりもして・・・

>私は、自分の子供だからと、わかっているようで実は冷静な判断ができていないのではないか・・と思う事がよくあります。

私もそうです。冷静な判断なんていつもできるものではありませんよね。それに、現在進行中のことは、時が経って振り返ってみないと、いいことなのか悪いことなのかわからないことが多いです。いつも手探り状態・・・不安です。でも、なんでもやってみなければわからない・・・考えているだけでは先に進みませんから、私はダメモトでやってみてから考えることにしています。

>これからも、小学生の頃と現在と、書き込み読ませていただきます。

うれしいです。とても励みになります!!

カメのような歩みですが、SMJ掲示板もKnet掲示板も、少しずつ書き足していきたいと思っています。


題名: 転校と場面緘黙 の影響
投稿日時: 2008-11-23 17:39:39
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 255
息子は、今でも、「あの転校がなかったら、自分はこうはなっていなかった」 と言います。
転校した頃の学校生活のことを聞いても、「よく覚えていない。あまり前のことで思い出せない。」 と言っていました。また 「あのときのことはトラウマになっている。思い出したくない。」 とも言っていました。「すごくいやだった」 という漠然としたイメージだけが残っていたようです。自分に何が起こっているのかわけがわからず、ただ、いやな気持ち、不安感、恐怖などが刻み込まれたのではないかと思います。

このときの体験が、無意識のうちに現在の息子に影響を与えているかもしれないことに、私は最近になって気づきました。高校でほとんどのクラスメートと話せるようになった現在でも、息子はたまにパニックを起こします。

例えば、いつもと違う場所に集合して整列しなければならないような場面で、「どこに並んだらいいかわからないから行けない。無理! 絶対無理!」 と訴えて身体を振るわせ、その場から動けなくなります。今の息子なら、落ち着いて周りを見渡せばすぐに友達を見つけて合流することができるのではないかと思われますし、本人もその場所に行くまではできるつもりで向かうのですが、いざその場所に到着して、大勢の生徒たちを目にしたとたん、固まってしまうのです。

似たような場面で、これまで何回かパニック状態になった経緯があるので、これまでそういう場面でつらい思いをしたことがあったのか、息子に質問してみると
「ぼくはどこに並んだらいいかわからなくて突っ立ってて、みんなが僕のことをじろじろ見てあざ笑ったんだ。話せなかったことも原因だよ。」 とのことでした。
いつのことか、どういった状況だったかは具体的には思い出せないけれど、1回、2回ではなくて、何回もそういうことがあったということでした。似たような場面に遭遇すると、いや~なイメージで頭がいっぱいになってしまって動けなくなる感じのようです。

私は、そういったパニックが起こるのは息子の 「もって生まれた難しいもの」 のせいなのだと思っていました。確かに 「状況を判断する力や臨機応変に対応する力が不足している」 ことも原因のひとつかもしれませんが、どうやらそれだけではなさそうです。

私は 「場面緘黙症の後遺症」 という言葉を使うことには抵抗があります。でも、ある程度話せるようになった今でも、転校と緘黙によるつらい経験が、息子の行動に少なからず影響を与えている可能性は否定できないようです。

かんもくネット会員さんが教えてくださったサイトに次のようなことが書いてありました。

「何度にもわたる強烈な恐怖体験は、脳の扁桃体に蓄積されていき、その後、恐怖体験に関連するものを見ただけで、不安・緊張などのストレス反応が起こる。しかも、これは無意識に行われる。過去の体験に関連するものを見るだけで、体が震え、冷静に考えられなくなるのはこのためで、一度、このような状態になってしまうと、元に戻すのはなかなか難しい。カウンセリングなどによって、この認知回路を修正して、冷静に対処できるようにする、という心理的アプローチに、「認知行動療法」 とか 「認知療法」がある。」

息子にたまに起きるパニックはこれなんじゃないかな・・・と思います。断定はできませんが、とくに、小学3年の2学期、4年の10月の転校したばかりのころに、学校で固まってしまった経験が関係しているのではないかと思われます。

その後、息子とは、「怖いことは、立ち向かわなければいつまでも怖いままであること」 「スモールステップで練習し、場数を踏むことが必要なこと」「実際にやってみたら大丈夫だった、という自信を積み重ねていくしかないこと」 を確認しあいました。そして、「機会をみつけて、先生に手伝ってもらいながら練習していこう」 ということになりました。担任の先生には、息子の言う 「トラウマ」 についてお話し、機会があったらご協力いただきたいことをお願いしておきました。

「思い出したくない」 と言っていた息子でしたが、つい先日、ひょんなことがきっかけで 「あ~!!思い出した!!」 と言いながら小学校時代のことをいろいろ話してくれました。これまで 「漠然としたいやな記憶」 しかなかったはずの、転校してから今までのこと、細かいことを次々と思い出したようです。楽しかったことも嫌だったことも、かなり具体的なエピソードまで。私の知らなかったこともたくさんありました。「いやなことたくさん思い出して疲れちゃったよ」 と言いながらも、表情が明るく、すっきりした様子に見えました。

「何が起こっていたのか」 そして 「今困っているのはなぜか」 といったことを、息子とよく話し合えるようになったことは、息子のちょっとゆがんだ 「認知」 を少しずつ変えていくことにつながるのではないかと考えています。カウンセリングとまではいきませんが、いやな記憶を封じ込め考えないようにするのではなく、あえて自ら具体的に言葉にしていくこと、そして 「どういうことだったのか?」 と、私と一緒に考えていく作業が、息子が自分の不安と向き合い、コントロールしていくための力になってくれないだろうか・・・と考えています。


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