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題名: その後
投稿日時: 2007-09-01 23:21:03
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たまにはその後を書いてみようかと思います

というのも、いろんなことが問題なくなってきてはじめて、見えてくることもあるような気がしているからです
今話せないことを課題としている方たちにとっても、何かのヒントになるといいのですが

話をすることも、人との交流も、しようと思えば出来るようになった娘ですが、どう考えればいいのだろう?と思うようなことがあります

・会話の話題があまり合わない人と話すのが苦手だからと、ひとりで行動する

・みんなと共同作業するのが苦手

(苦手なので、このような状況は出来れば避けたいと願っていたり、前もってちょっと憂鬱に思う
ただ、そうはいってもちゃんとやることは出来る、精神的に負担だというだけです
「苦手」の内容も本人なりな理屈があり、それはなかなか筋が通っています、とてもシビアな考えを持っています)

あとこんなところもあるように思います

・人に優劣をつけたがる
その中での自分の位置が気になる

これらは、もしかしたら完全に払拭することはなかなか難しいのかもしれないと思っています
また払拭しようとする必要があるのかどうかが、よく分かりません

自分で把握して、いい方向性に、生かしていければいいのでしょう
ただ、話せなかったときにもこういうことはもちろんあったのだろう・・それとも、こういうことがあったから、話せなかったのだろうか?話そうと思えなくなってしまったのか・・?
とすれば、またこのことから、本人が無意識のうちに問題を溜め込んでしまう可能性もあるかもしれない
それがまた違った形で現れないとも限らない

このあたりは、もう少し子どもと一緒に掘り下げてみたいと思っています
年齢が上なので私はあくまで子ども自身が自覚的に考えてほしいと思っています
いつまでも私が手を貸すわけにも行きませんし、何よりそのほうが本人がこれからの人生を生きるうえで得だと感じます
緘黙にしても、対人恐怖的な面にしてもそうですが、それは子どもの一部分であって全体ではないというのが私の考えですので、子ども自身にもこのことを冷静にとらえてもらいたいと思っています

親ばかですが、こんないいところもあります

・前もってきちんと準備して行動する
・自分の意志でやり始めたことはすごい集中力でやるし、探究心があり、優れた能力を発揮する
・批評眼が鋭く、善悪の判断がきちんとできる
・繊細で優しい心を持っている
・あざやかなイメージの世界を持っていて、人と違った創造的でユニークな視点を持っている

近頃は、音楽などを聴くと、自分の感じたストーリーや映像などが鮮明に頭に浮かび上がってきて、あとは描くだけだ~などと言っていますから、天才天才と言っているうちに、本当に天の才につながってしまったのかしら?と驚いています

きっと、好きなことを思いっきりするうちに、不安の遺伝子部分が枯渇しつつあり、優れた遺伝子部分が活性化できたのかな・・・・と、依然調べた不安遺伝子についての、つたない知識で妙に納得してみたりしています

こうした子達の優れているところについて書かれることは少ないですが、翻訳に関わらせていただいたアメリカのWIKIでは、この子達の優れている点も紹介されています

ぜひそうした点も念頭に置いて、緘黙を克服していくと同時に、みなさんのお子さんたちそれぞれの天才を開花させていただきたいと思います


題名: 中学で「学校拒否」後に高校進学、のその後
投稿日時: 2007-05-17 09:53:11
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 145
幼稚園で緘黙となり、中学で、いわゆる登校拒否状態になった娘ですが、、けいこさんはじめ、たくさんの方たちに励ましや勇気をいただいて、この春に高校へ進学しました
今のところは、とても元気に登校しています
友人も出来、会話は本人によると問題ないとのことで、半信半疑ながらも、一安心しているところです

早起きして苦手な弁当作り・・の生活も、軌道に乗り落ち着いてきたので、少しは他の方の参考になることでもあればと思い、トピックを立ててみました

会話に問題がないとは言っても、不安症状の自覚はあるようなので、現状について書いてみながら皆さんに相談にのっていただいたり、今までのことを思い出して、役に立ちそうなことがあれば少し書いてみようかと思いましたが・・ちょっとドキドキ・・宜しくお願いいたします :D


題名: 治ったのかな?
投稿日時: 2007-06-04 11:06:22
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 145
中学での不登校から、高校進学を果たした娘ですが、お蔭様で表情も明るく、学校は楽しいようで、大学への夢を膨らませるなど、すっかり前向きな日々を過ごせるようになりました。

今までインターネットで通信授業が受けられるものを利用していたのですが、学校の授業を聞いていればよくわかるので、もういらないかもしれないとのこと。
「でも、わからないことがあったらどうする?」(前はわからないことがあると必要以上に不安になっていたので)と聞くと、「先生に聞いているから大丈夫」なのだそうです。「え?授業中に先生に聞けてるの?」と聞くと「ああ」・・「え~すごいね。がんばってるね~(内心、本当に?想像つかない感じ・・)」
中間テストでは、まだそんなに難しいことを習っていないせいもあるのでしょうが、学年トップだった教科もあって、本人は自信を持つことが出来たようです。(進学校ではないせいもある・・)
中学でほとんど授業を受けていないので大丈夫かな?と思っていたのですが、本人は教えてもらうことが嬉しくて仕方がないとでもいったように、毎日授業で聞いた面白い話を私にも聞かせてくれますから、よっぽど熱心に聞いているのでしょう。

親ばかなのかもしれませんが、もともと勉強がきらいではなかったと思っています
ただ、不安が大きくなりやすく、「話す」ことも気になって、教室がつらくなってしまっただけだったのですから、授業を受ける機会を持てなくなってしまったことを、本人はとても悲しいことと感じていました。

また、運動もがんばっていますよ。
2時間近くかかる通学で体力もついたようで、先日体育で千メートル走をしたらとても上位に入ったのだと誇らしげに教えてくれました。

これを聞いて、ちょっと情けなかった小学校のマラソン大会のことを思い出してしまいました。
今なら言っても怒られないと思いますが・・マラソン大会の本番で元気に上位を走っていたのに、急に列から抜けて棄権しまうことが何年か続いたことがありました。見ているほうは驚いて、「いったい、どうしたの?」と聞くと「Aさんに抜かされてがっかりして走れなくなった・・あの人にだけは抜かされたくなかったのに」などと、不思議なことを言い・・。「走るのがおそい人も一生懸命走り通しているのに何で!?」
そこで作戦を考えました。
はじめはずっと後ろのほうを走って、最後の何周かで追い上げれば、抜かれる心配が無いから焦らなくてすむ・・
これはとてもうまく行きました、ラスト1周でぐんぐん飛ばし、20人ぐらい抜かして練習のときと同じ順位で完走できました。

このことは、とても象徴的な出来事だったと思っています。
みんなで取り組んでいる何かが、いくら良く出来ていても、もっと出来る、自分より上位にいる人のことばかり異常に気にして、自分を追い込んでしまうところがあり、精神的につらくなり、ドロップアウトする。
そのときはいくら説明しても本人の気持ちは変わらず、なぜそこまで目標を高く設定してしまって、柔軟性が無いのかと不思議で仕方がありません。
もしかしたら、みんなが同じことをしなければならないような状況で、必要以上に適応しなければと焦るあまり、客観的な判断が出来なくなってしまうのでしょうか?
ただ、だからといって、例えば、優しすぎて欲が無いのかといえばそうではないと感じます。たいへんプライドが高く、うまく出来て当然と思っているようなところがある・・。

そういう状況は、場面緘黙と関係あるのかどうかわからず、うちの子だけのことなのかと思っていました。
ところが、資料no.14の翻訳に関わらせていただいたことで、不安の表れとしていろいろな状況があることを理解でき、本人だけを責めるべきことではないとわかって本当に良かったと思っています。本来ならばこのことを回りが理解して、サポートすべきだったのですね

資料の内容を、子どもにも説明しておいたので、高校に入ってから不安に陥りそうな状況で、本人はかなり客観的に考えることが出来たように思います。


もしかしたら、マラソン大会のときのように、一回ドロップアウト(不登校)してみて、最後尾から落ち着いてスタート出来たから、焦って自分を見失うことなく、リラックスして本来の自分を出せるようになったのかな?

よく「大丈夫!子どもを信じようよ」・・と心配したり怒ったりする夫や母をなだめていましたが、ここまでとは思っていなかったほど、見違えるように元気に明るく、また、賢くたくましくなってくれたと感じています

ところで、いったい何をもって、「緘黙や不安障害が治った」とするのでしょう?本人が、もう何も問題が無いと感じたときでしょうか?


題名: 追記
投稿日時: 2007-06-04 23:08:15
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 145
前の書き込みを子どもが見て、訂正するようにと意見を言われたので追記します

対人恐怖のせいなのか、「どうしても人が自分のことを悪く言っているような気がしてしまった」件については、自分の考察の結論は、書いてあることとは違う、とのことでした
「人に悪く言われても死ぬわけではない」と考えたのは、あくまでも考えの途中のことだった、とのこと、そうですか、そうですか、
それでは、結論はなんと出たのでしょう?と謙虚にたずねたところ、「誰も自分のことなど気にしてはいないし、話してもいない、つまり自分は、ただ自意識過剰だったのだ」・・というのが、最終的な結論なのだそうです
なるほど~~やっぱり天才だな~(ほんと、親ばか)

それに自分は学校で話しているかどうか聞かれたときに、拒絶反応などしていない(以前私がそう書いていました)とのこと
では、最近はどうなの?と聞いてみると、「まったく問題ない」のだそうです
でもたしか中三の終わりにも、言っていたでしょう?学校でいつものように話せない、声もおかしくなってしまうのだと・・それはどうなったの?
すると、「いつもどうりの声が出せるようになっている」のだそうです
では、なぜ出せるようになったの?ときいてみると
今わかることは、自分がいつもの声ではないと気にしているから、声が細くなってしまっていた、気にしないで言ってみたら、まったくいつもどうりに声が出た・・とのこと

そうか~~。わかってみれば単純なことのようだけれど・・。気にしてしまう・・ということがやめられない・・単純なだけに難しいことなのかな・・。

とにかく子どもは、なにげに一人でどんどんいろいろなことが出来るようになってしまったのに、私には報告さえしてくれていない・・嬉しいような、寂しいような・・。いつのまにか、私など追い越して、すっかり大人になってしまう日も遠くないのだろうな・・そんなことまで思ってしまいました。

長々と書いてしまいましたが、読んでくださった方、ありがとうございます
これは、いったい誰かの役に立つのか、それともただの親ばか日誌なのか・・。


題名: はじめまして
投稿日時: 2007-06-05 12:39:23
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書き込むのは初めてですが、ルディさんの書き込みはとても参考になるのでいつも読ませていただいております。
うちの娘は中2です。
娘はいままさに「みんなが私のことを馬鹿にしてみているような気がする」「同じことをしても、自分だけ笑われるような気がする」
「人が信じられない」と感じて、身動きが取れないでいる状態です。
学校へは行っていますが、つい先日まで「行きたくない」と言う気持ちも親にさえ言えない状態でした。
2年になってから、学校が真剣に向き合ってくれるようになり、病院の思春期外来も紹介してもらって通い始めました。
最初は「病院に行くくらいなら学校の方がまし!」と拒否していて、私独りで行くつもりでしたが、初診の日の前日、体育祭があり、その日初めて
「今日はどうしても学校に行けない」と言って来たので、すぐに「いいよ」と言いました。
「ほんとうにいいの!?」とびっくりしていましたが、その日はとてもリラックスした様子で過ごしていました。
すると、突然、「明日病院にいってみようかなぁー」と自分から言いました。
まだ二度しか通院していませんが、
思いのほか、お医者さんに自分の気持ちをきちんと伝えていました。
通院をきっかけに少し心の中が覗けたような気がします。

前回は発達検査をして、その結果待ちです。
お医者さんは本人をどうにかする、ということは一言も言わず、その発達検査の結果から、学校がどういう対応をするべきかを見極めて、学校に伝えてくれるそうです。
学校の対応をきちんとしてもらった上で、それでも本人の不安な気持ちが強いようなら、投薬なども考えると言うことでした。
私は信頼できそうな医者だ、と思いました。

うちの子も美術が得意で、美術系の高校への進学を考えています。
学校自体はホームページなどで見て、本人もとても気に入っているのですが、問題は、遠方なので寮に入らなければならないことなのです。
信じられないくらいの田舎にあり、でも、全国から生徒が集まる高校で、みんな寮に入ります。
学校は、「不登校児も受け入れるし、立ち直れる」と言います。
ネットで探しまくって、その高校の在校生や、ご両親の生の感想も知ることができ、親としてもここでならやり直せるかも・・・と思いますが、娘は寮生活が不安でいっぱいのようです。
高校はいつでも見学させていただけるようなので、そのうち行ってこようと思っています。
その高校は校長先生がブログを毎日書いていて、学校の様子がよくわかります。
私の夢はそのブログに娘の笑顔の写真が載ることです。


題名: まりもさん、はじめまして!
投稿日時: 2007-06-05 15:11:24
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 145
書き込みいただき、本当にありがとうございます
ここに書いたことが、どなたかの参考になるとすれば、たいへん嬉しく感じます。

お医者様や学校が、真剣に考えてくださり、適切なことをしてくだされば本当に助かりますね。少なくとも理解を求めてたくさんの労力を使わなくてもすむかもしれないのは、いろいろな意味でとてもいいですね。お嬢さんもまりもさんも、学校等、社会に対する不信感を持つことなく、安心できる環境が整うといいですね。

娘が不登校になったときは、私は困っていることを聞いてあげることはできず、子どもはだれにも理解されずにほとんど一人で抱え込んでいる状態でした。
それを考えるとお嬢さんはまりもさんに、あるいはお医者様に、自分の様子を打ち明けることが出来るのは、しっかりしているな~と感心しますし、まりもさんはお嬢さんから信頼されているのだなと感じました。

また、娘が中2の頃は、孤立無援の不登校生で、美術を志すことも決めておらず、鬱々とした日々を送っていたものです。中3のちょうど今頃、海外のサイトや富重さんのサイトのおかげで、いろいろなことが理解でき、一人で問題を抱え込まなくてもいい、自分のせいではないとわかってから、まわりの対応が変わるにつれて、子どもも徐々に安心し自信を取り戻していったと思います。
一人でも多くの方がお嬢さんを心から理解して見守ってあげることが出来て、安心できる存在、信頼し相談できる人として支えになり、今の生活が、お嬢さんにとって少しでも快適なものになるといいですね。そうすれば、もしかして、少しずつ、自然に、自信や人への信頼感、安心感が膨らんでいくのではないかと・・おそらく、娘の場合は、そうだったのではないかと思います。


題名: 小さい頃のこと
投稿日時: 2007-06-10 20:20:59
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 145
娘も、ほぼ問題が無くなったそうなので、やっと、何か聞いてみてもいいかな?と思いました。

そこで、子どもに聞きながら、少し振り返ってみようかと思います。何か、どなたかの参考になればいいのですが・・。
良くない例として役に立つこともあるかもかもしれませんし・・。
整理するのが苦手なので、前後してしまうこともあるかもしれません。

実は、小さい頃から、「話せない」「声を出せないこと」について、話題にしたことがほとんど無くて、聞いてみるのにも勇気がいります。

気にしていなかったわけではないのですが、本人の色々な成長を見るにつけ、このまま見守っていけばいいのではないかな・・と考えていました。

それというのも、また本当に親ばか話となってしまいますが・・子どもはいつもお友達がたくさんいて、好かれているようでしたし、常に特に仲良しの子が一人はいて、遊びに行ったり来たり、お泊りまでしたりしていました。そういう特定の子とは、二人きりなら普段どうりお話していました。先生にも、有難いことに、たいていは、とてもかわいがっていただいていました。

多分、幼稚園のときの先生の対応がとても良かったので、不安がとても大きくなることなく過ごせたことも良かったのだと思っています。一人ひとりの子どもへの対応がとても丁寧な幼稚園でしたし、いっせいに何かをすることは少なく、強制や、競争のほとんど無い幼稚園でした。いわゆる、自由保育形式です。

その頃は団地に住んでいたので、近所の子が家に来ていることがしょっちゅうで、本人の大好きなお人形遊びが出来ない日は無く、毎日誰かと遊んでいました。団地のお母さん同士は交流が盛んで、預かりあったり、一緒に出かけたりしていました。年配の方々もよく子どもたちと接してくださり、長屋的というか・・今あまりそういうところは無いかもしれませんね。
話が大きくなってしまいますが、そういう地域のコミュニケーションの多い少ないは、場面緘黙の改善と関係あるのか無いのか・・?興味深いテーマです。

私は団地の一室で、友人と一緒に小さな子ども文庫を開いていました。お話会やクリスマス会、大学生ボランティアと遊ぶ会など、一ヶ月に一度は行事を開いていましたので、子どもは色々な年齢の人と、常に接していました。
そういう場では子どもは学校ほど緊張していなかったと思います。おそらく大きな声ではなくても、家とそう変わらない感じでコミュニケーションしていたのではないかな。自分より小さい子が多かったのも、安心出来て良かったと思います。

団地にいたのは、4年生まででしたので、それまでは、本人もそれほど深刻に悩むようなことは無かったのではないかと思っています。

そして、肝心の学校での会話についてですが、幼稚園ではまったく声が出せなかったのですが、小学校では本読み等はとても小さな声で出来たそうです。
お友達とは、学校では、耳に手を当てて、内緒話のときのようにお話していたのだと教えてくれました。

今思うと、我ながら、なかなかいい環境を用意できていたな、と思っています。


題名: 自分に対する、要求レベルがとても高いこと・・の心配
投稿日時: 2007-06-12 08:05:49
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 145
こんな時間に書き込んでいるので、主婦なのに何やっているのかと思われそうですが、子どもは5時半に家を出るので、4時半に起きていますからもう終わっているのです。

子どものことで、また少々心配なことがあります。

授業が受けられて、美術も学べる、美しい自然に囲まれ、少人数授業、友人も出来て、会話もO.K・・本当に良かった、良かった。

ところが!
子どもが言うには、「もっとデッサンをやる時間をとらなくてはダメだ」
実は、もうすでにみんなより1時間も早く学校について(通学に2時間かかるのに)美術室で、朝1時間、デッサンの練習をし始めていたのですが、それでも「まだ足りない、もっとうまくならなくてはいけない」と。
「高校見学のとき、言っていたけど、他の高校の美術科の子はおそくまでデッサンの練習をしている。やらなければダメだ。」
と、イライラする様子・・。

「こうでなくてはいけない」とか、「こうでなくてはダメだ」とか
すぐそういう発想するのだな、君は・・。
その発想で陥りやすい事態を流れにしてみると、

「デッサンを非常にたくさんするのがあたりまえで、していないとだめだ」→「そんなにたくさん出来ない」→「だから自分はダメだ」

たしかに頑張るのは悪いことではないわけですが、ぼちぼちやっていって欲しいな~。

ところで昨日書いた「小さい頃のこと」を子どもに見てもらったら、「わかっていない」とのこと。
そうか、困っていたことを、いまだに知らないだけなのか。
ですから前回の書き込みは、「母がわかっていなくて自己満足している様子」を表しています。:roll:
何に困っていたのかを、少し教えてくれたので、また今度書いてみます。

実を言うと、子どもの困っていた話を聞いて、驚いたというか、ショックというか、昨日の書き込みをした自分が、親ばかではなくて、ただのアホと思えるほどでした。
なぜ子どもは、私に何も言わなかったのかしら?こんな「天然な」人に言っても無駄だと思ったのでしょうか?確かに私は良く「天然」と形容されますが・・。それとも、心配かけたくないとか?プライドがあるとか?
どなたかも、親にはそんな話は出来ないと教えてくださったような・・?
それにしても、いままで聞いたときには、違うことを言っていたようにも思います。
しばらく立ち直れないほどガクッ・・と来てしまいましたので、また落ち着いてから、書いてみます。

疑問・・こんなふうにまるでブログのように書いてもいいか心配になってきました。


題名: こんにちは
投稿日時: 2007-06-12 12:19:47
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みなさん、こんにちは。

ルディさん、いつも興味深く読ませていただいていますよ(^^)

お嬢さん。「~ねばならない」の呪縛から開放され
生きやすくなるといいですね。

うちの息子にも息子なりの哲学?があり
「負けてはいけない。負けるぐらいなら最初からやらない」
を頑固に守っています(><)

家でも学校でも 勝敗のからむことのすべてを拒みます。
負けたくないならそれなりの努力をすればいいのですが
それはしない。→負けるかもしれないから
これが今いちばん困っていることのひとつです。
(息子は困っていないのかな???)

お嬢さんの子ども時代は とても素敵な環境だったんですね。
うちは絶対的に人と接する機会が少ないなぁ・・・。

子どもでも人に言えない悩みを抱えていたりするものです。
私自身の小学生の頃を振り返っても 親に悩みを話したこともなく
「頭が痛い」とかそんなことすら言えずにいました。
心配かけたくなかったのかな。
今思えば「なんでそんなこと…」って思うんですけどね。


題名: 哲学・・を、上手に生かしていけるといいですよね
投稿日時: 2007-06-13 09:28:49
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 145
朋花さん、ありがとうございます

朋花さんの文章からにじみ出る、たおやかで、深く優しいまなざし・・にいつも、うっとりとなってしまう私です。
なるほど、「哲学」ととらえてみるのもいいですね。
息子さんの「哲学」は、娘の「哲学」にそっくりだったので大変驚きました
(もしかして、前は同じ星にいたのかな?友人が言うには、うちの子は月星人なのなだそうですが・・)
↑内緒話

勝てない勝負からは降りる・・まったく、そのとおりです。
(「ものすごく」うまく行くかどうか、はっきりわからない状態だと、)私には「努力」は、出来ない!・・娘もそう言っていました・・。

それがマラソンのときはまだ良かったですが・・中学校の勉強や、部活や、友人関係や、ついには学校・・・と。

そう言えば、ちょうど不登校直後は「勉強がわからない」と非常に悩んでいました。
実際には、出来ているように思えるし、少しやれば理解できる能力があります。
でも「Aさんより悪かった」「Aさんの家では、○○点以上でないといけないらしい、お母さんに叱られるそうだ」(つまり、世間ではそれ以下ではダメらしい。自分の母は、呑気すぎる・・なぜ叱るぐらいの優しさ(?)が無いのか・・)
そこて、「大丈夫!君には十分理解力がある!ちょっとずつやってみよう!」と、家で私がフォローしようとすると、「ダメだ・・学校で習っていないからわからない・・」(となって、なぜかとても悲しくなる・・)
「努力なしに、いい点は取れないでしょう?」
「自分には、努力は出来ない・・」・・。???。
そして、勉強・・と言うのもなんとなく禁句に・・。

なぜそういう考えになるのか、謎なのです。

教室に行かれないのは「勉強がわからなくて不安」なこともあるようなので、「出来れば少しサポートしてもらいたい。学校の先生に教えてもらえないことが、とても悲しいと感じているようなので、どんな形でもいいので、ほんの少しでもお願い出来ないか?」と先生に言ってみると、先生は「わからなくても座って授業を受けている子はいます」とか、「わからないときは聞いてくれればいいのに」とか、「教室に来られないのならしょうがない」等々・・。

資料NO14に、この時期の子どもへの支援の中心とするべきことは、子どもが、自分自身に学習の潜在能力があるということを認識でき、自信を持てるように、学校に支援体制を作る・・というようなことがありましたが、本当に、本当に(繰り返して強調・・)そのとおりだと思います。

今日はここまで。


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