○みーさん
ご理解いただき嬉しく感じます。
この掲示板とつながっており、皆さんからコメントをいただけることが、今の私には非常にありがたいと思えるのです。
どうかこれからも、見失がいがちな私に注意を与えてください。
○テナーさん はじめまして
私の話をおもしろがってくれてありがとうございます。
>かいわれさんは、舞い上がってない今だったら、どの時点でなんと言われますか
というのは、正直に言うと、私がAでも嫌な思いをしたかも・・・と思うんです。たしかに、「おい、今日はずいぶんご機嫌ななめだな。気にしなくてもここの払いは割り勘で良いんだぜ」くらいは言ったかもしれません。
おっしゃるように舞い上がっていなければ、このような発言もできたのだと思います。
一つは、私が感じ易く、Aの“つんけん”した感情が伝わってきて、はじめから私を舞い上がらせていたものと思います。
実は、このころAとは疎遠になっており、以前はお互い気があっていたのが、スレ違い気味だったのです。結局Aとは「おまえのカミさんへんじゃないのか」発言が決め手となり、以後親交が断絶してしまったんです。
あとになって、お互い独身のころは、J・フロイドのいう「同性愛期」、つまり中学高校時代に、異性と付き合い始める前段階に同姓と“半ば恋人同士のように”仲良くつきあっている時期がありますが、私とAは遅ればせながら、そのような関係だったというのがわかったんです。
ところがお互いカミさんができて、より健全にカミさんの方を大事にするようになった。カミさんが「あの人私苦手……」といえば、それがスタンダードになってしまい、Aの見方が代わり、それまでの仲にひびが入っていった、ということなんです。
うまい言葉を交わしていれば、お互いカミさんは大事にしつつも、良い友達でいられたかもしれません。
これは、その時の私の師匠(2年にわたって教育分析<対人援助家として受ける教育的な精神分析>をうけた)の分析でした。
“まさか~”といわれるかもしれせんが、私には人の感情がこころに飛んでくるんです。前からくる緊張屋のBさんが歩いてくると緊張のオーラを飛ばします。点滴棒を持ったがん患者さんとスレちがうと、彼女の苦悩が飛んできます。こういう時はこちらもつらくなるので“こころの意識をそむけ”ます。
ごくごく最近、このことを意識してからは、舞い上がることは少なくなりました。原因がわかると対策がとれるんですね。
子どもさんでも、そういう子供さんているんだと思います。でも良く理解できないし、みんな(鈍感な人も)そうだと思っている。そして意識の開け閉めができなくて辛いんだと思います。
意識の選択ができれば、緘黙というある意味ワンパターンな心理規制から逃れられるのかもしれません。
自分のことばかり書き連ねてしまいました。このへんで辞めます。