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題名: Re: 場面緘黙症を知ってから・・・
投稿日時: 2006-11-16 18:04:44
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 ふみかさん レスありがとうございます。

が、わかったから、すっきりした!とは言いがたいのが現実です。これを知ってからの私の胸中は複雑です。
 私も、正体がわかったことにはすっきりしたものの、依然として引きずっている症状には閉口しています。どなたかにも指摘されましたが、ここ数ヶ月間、思い出せば「場面緘黙症」の生活です。

当人の心のショック状態が次のように推移する、「1否定→2.怒り→3.取引→ 4.鬱→ 5.受容」(キューブラ・ロス博士)をご
 職業上、がんの方を身近に見ていますが、このように教科書どおりにはいかないどころか、うつのまま召されていく方も少なくありません。

 怒りや抑うつ状態がいけないと思わない方が良いです。その日その日でいろんなエピソードがあって、それに一喜一憂していく、平気ではいられないっていうのが普通じゃないんでしょうか……。

 のひめさん

 親として子どもには様々なことを期待しますよね。
 親の思うようにいかないのが子育てですが、情緒的に課題をもつ子どもとなったら、なおさらですよね。
 私の親も歯がゆかったり、落ちこんだりしたんでしょうね。
 子どもさんのありのままを受け入れるのが難しいとのことですが、私も人の親なので、共感できる部分があります。
 そこで、どうでしょうか? 子供さんではなく、あれこれ悩み、時折落ちこんだりたりする自分の方を、ありのままに受け入れるというのはいかがでしょうか?


題名: 話題に入っていいですか?
投稿日時: 2006-11-16 18:44:53
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こんな普通じゃない例もあります

うちでは子供が不登校になったり
学校が無理解だったりしたときには
私はついに少々変になってしまい
(けっこうすぐ変になってしまう・・)
映画を見てる途中で、
オーランド・ブルームが溺れそうになった時
なぜか突然自分までがものすごい死の恐怖に襲われてしまい
体中に本物の痺れが走り・・恐くて恐くて・・
それ以来、一人でいるのがわけもわからず恐ろしくなってしまいましたが
あの頃は、もしかしてパニック障害か何かだったのではないかと思っているのです
そんな時期もありましたが
今はたくさんの方々に支えられ、
色んなことにきちんと道筋をつけて考えることが出来るようになり、
娘と共に、場面緘黙にならなければ出会えなかったいろいろな課題に
チャレンジしていくのが楽しくなってきました
これはもしかして、自分にとっても必要なことだったのかもしれない
と思うと、子供に対し感謝の気持ちもわいてきます

アメリカの場面緘黙症のサイトを見ていたら
アインシュタインは7歳までしゃべらなかったのだとか
ヘルマン・ヘッセも世の中に適合できない悩みを発展させて
ノーベル賞をもらうまでの文学作品を生み出しました
はじめから世の中をうまく渡っていたら
素晴らしい視点を育てることは出来なかったのではないかなと思います
内面に偉大なものを持っている人間は
そう簡単に、世間の全てを受け入れたりはしないのかもしれないし
それとも、内面に沈潜していた孤独な戦いの時間が
独自の世界を生みだすための過程となったのかもしれません

もしかしてうちの子は天才なのかもしれません!

ですからかえってこのことを誇りに思い、
子供に対して、尊敬の念を持って接し、
校長先生方にも、同情ではなく、
こうした子から学ぶ視点をもっていただきたいとお願いしてあります
うちの子はけっこうプライドが高いので、このことを大変喜んでくれました

それって・・
変でしたかね?

参考までに・・。


題名: Re: 話題に入っていいですか?
投稿日時: 2006-11-17 01:10:24
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みなさん、こんばんは。

かいわれさん
>子供さんではなく、あれこれ悩み、時折落ちこんだりたりする自分
>の方を、ありのままに受け入れるというのはいかがでしょうか?

すごくいいと思います!大切なことですね。
自分のありのままを受け止められるから、子どもを受け止められる。

私もできていませんが。。。欠点だらけなので難しいことです。
欠点だらけでも それでいいのだ(^^)と思うようにします。

ルディさん
>もしかしてうちの子は天才なのかもしれません!
>ですからかえってこのことを誇りに思い、
>子供に対して、尊敬の念を持って接し、
>校長先生方にも、同情ではなく、
>こうした子から学ぶ視点をもっていただきたいとお願いしてあります

ここに深く共感しました。
ルディさんのおっしゃることとは ずれるかもしれませんが、
ほかの子ども達も 緘黙児から学ぶことって多いと思うんです。
個性を尊重する、相手の気持ちを思いやる、なにをしたいのか、
なにを困っているのか、困っているときには手を差し伸べる

いじめやからかいが全くないとは思いません。
トラブルだってあるでしょう。
トラブルを繰り返して お互いを理解できるようになれば
共に育つ、育ち合うことができると思います。


題名: Re: 後遺症
投稿日時: 2006-11-17 20:41:47
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かいわれさん、お返事ありがとうございます。
「怒りの仕事」「喪の仕事」の情報感謝です、使ったことのない言葉なので早速回ってみます。

>その感情を消化できていないことは、“誤魔化せない”と想像します。
最後は自分でなんとか解決したいです、誤魔化しは危険ですよね。
何かに集中している時は平和なのですが、集中が出来なくなってきているので、ちょっと要注意な感じです。
 


題名: Re: 「友人と酒を飲みに行ったときの会話」
投稿日時: 2006-11-18 09:41:40
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 367
 テナーさん

 ずいぶん経ってしまいましたが、お詫びをしてくださったにも関わらず、こちらが仲直りの意をお伝えしていないのに気がつきました。

 ご指摘を受けたことが私にとっては“図星”であり、目を背けていたところに目を向けさせられたような気がしたんだと思います。

 「経験の豊富な人」と言うときの“経験”は“失敗”なのだと、何かの本で読みました。順調な人生では実りが少なく、失敗が人生にスパイスを加えてくれ、人間性が深まるんだそうです。

 私も目を背けてばかりではなく、面と向き合って、今後の人生をより意義あるものにしていきたいと思います。

 こちらの不快を表明することがテナーさんをも不快にさせてしまったことを、また時間が経ってしまったことをお詫びします。どうか、これからもアドバイスをくださるようお願いします。


題名: ReRe: 後遺症
投稿日時: 2006-11-18 11:55:48
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
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 ねこまるさん

 「喪の仕事」はフロイドの概念で、学問的にしっかりした概念ですが、「怒りの仕事」は私が勝手応用した言葉ですので、教科書には載っておりません、念のため。

 要するに、頭にきた時は、できればその時に、だめなら思い出したその時に、しっかり怒りを表出しておく、ってことです。
 よく買い物なんかにいって、店員がおばかっちょだったときなんか、家に帰ってきて「ちょっと聞いてよ、店員がサー……」って誰かに打ち明けますよね、あれをやるとその一件が忘れやすくなりますよね……。
 あんまりひどい仕打ちを受けたときは、それでもだめで、苦情の電話かけて「責任者を出せ!」ってやるんですけど、つまり、仕打ちのひどさ加減――こちらの受け止め加減によって、手当ての規模は違うんですが、手当てを怠ると、怒りが収まらず、悪化することもあるわけです。

 風邪薬のコマーシャルでも「早め早めのお手当てを……」って言いますよね。


題名: 自慢の緘黙です
投稿日時: 2006-11-19 17:59:38
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
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 ルディさんの話を聞いた後、本を読んでて膝を打ちました。

 また、かいわれの自己顕示の時間ですので、そう思ってお読みください。

 その本は、霜田静志、国分康孝編著『自己分析を語る』誠心書房です。
 カウンセリング分野におられる数名が、自らの性格傾向を赤裸々に分析した本で、その一人米山正信さんは「彼」という視点で自らを語っています。その中の178ページです<( )内はかいわれ>。
 ――相談者(相談されるほう)は、したがって、このような対談場面において、自分をだすことをひかえる。
 彼は、以下各章にのべるように、種々な原因によって、もともと自分を表出する方の傾向ではない。
 その本来の性格傾向が、相談者の資格にマッチし、彼を比較的容易に相談者としたことは事実である。
 と同時に、彼がその自分の弱点といえる性格傾向を、相談者である、という合理化によって保護することにもなったことは否定できない。
 ともあれ、彼は普通の対話においても、いつのまにか相談場面的に相手の考えや感情に関心をよせ、その表出をうながし、それを中心に話を進展させる傾向を身につけたということができる。


 要するに、
 ・もともと自分を出さない彼は、相談場面で自分を控えるのはさほど苦痛でない。
 ・そのため、相談者の役にぴったりはまりやすかった。
 ・そのうち、日常会話でも、半ば相談にのってるように、相手に話をさせるようになった。
 ・おかげで、日常会話に苦労せずに済んだ。
 ――といったところだと思います。もちろん「彼」は場面緘黙症ではありませんが、自己を表出するのが苦手という意味では共通です。

 何が言いたいかと言いますと……
 ・かいわれも、元場面緘黙症の不安障害をもち、人間関係に苦痛を感じていた。
 ・あるときカウンセリング技法に出会った(はじめは来談者中心療法<主に受身で聞きながら来談者の変化を促す方法>)。
 ・「黙って聞いてること」がおおいに意義があることになった。
 ・仕事(ソーシャルワーカーです)で面接するうえでの、“立ち位置――自分の役割”が明確になった。
 ・それを応用し、普段の会話も、積極的に相手の話題を引き出す方に回るようになった。
 ・おかげで、あまり嫌がられることなく、会話が成立するようになり、苦痛一方ではなくなった。
 ……ってことなんです。

 今相談の仕事をしていて、悩みを抱え自分の言いたいことを中々表出できない方たちと多く出会うんですよ。
 そんな時、場面緘黙症だったがゆえに、「言いたいのに言えない」人の気持ちがわかるから、重い口が開くようになるまで待つのがたいして苦痛じゃないんです。
 またようやく断片的に出てきた言葉を、つなぐ様に引き出すのも、いつも自分がやっていることを応用すれば良いので慣れたものなんです。

 このように無条件に、人の話を時間をかけて正しく聞けるって言うのは、なかなかできないと思っています。
 そういう意味では場面緘黙症にしてくれた神さまに、私は感謝を惜しまないんです。私は人の話を聞くことに関しては、天才的な能力をもらったんだって……。
 
 お粗末さまでした。


題名: かいわれショーへの拍手
投稿日時: 2006-11-19 20:10:20
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それって、ほんとーーに稀有な才能と感じます

なぜそんなに力を入れて言うかといいますと

実は私はほとんどそれが出来なくて・・・
自分の考えが湧いてきてしまうと
ついつい相手の話より
自分の思いに夢中になって
聞き続けることが出来ません

最近は逆に子供に相談にのってもらったり
共感してもらったりしているような・・

それにしても、聞き上手なばかりでなく
とても表現の豊かななかいわれさんが
書き込んで下さるようになってから
フォーラムが生き生きとしてきたように思います

まだまだ才能は計り知れませんね


題名: 後遺症?二次障害?
投稿日時: 2006-11-21 17:39:11
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
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 後遺症について考えてみました 

 似通ったイメージの言葉ですが「後遺症」のほかに「二次障害」というのがあります。
 1.後遺症
  ①疾病の初期の急性症状(場面緘黙症)が消失したあとに長く残る非進行性の機能障害(主として言語によるコミュニケーション障害)。<中略>②転じて、表面的には一段落した事柄(場面緘黙症)の影響が後々ま で尾を引くこと。「台風のー」  [大辞林 第二版 三省堂より、( )内投稿者]

 2.二次障害<secondary impairment:impairmentは“欠損”などの機能障害[『カルテ用語辞典』第3版 照林社]>
 二次的な行動上の問題や症状。[『広汎性発達障害の子どもたち』辻井正次著 ブレーン出版 9ページ]。二次的とは「ある現象や事柄が、他の主要なものに対して従属した関係にあるさま。副次的。[大辞林] 

 ※二次障害は前掲の辞典類に意味の掲載がなかったので、自閉症の文献から引用しました。

 元場面緘黙症当事者が、成人してから様々な症状に悩まされているわけですが、どこからどこまでが後遺症といえるのでしょうか?

 ①人に上手に声をかけられない
  場面緘黙症時代の症状が残っているという意味では後遺症といえるかもしれません。あるいは社会不安障害の現象ということでしょうか。
 ②抑うつ症状
  場面緘黙症の主症状ではないので、二次障害といえます。
 ③ある特定の場面で緘黙になる(例、パーティーなどでほぼもれなく「壁の花」になる)
  幼稚園や学校でなくとも、これは場面緘黙症が残存、というより現存していると言えるでしょうか。
  
 ②はともかく、①③は確かに「現症(今ある症状)」をDSMやICDなどの診断基準に照らせば、「不安障害」にあたる症状でもあるのでしょうが、場面緘黙症であった過去から現在にいたる縦の軸を考慮すれば、既往歴のない場合と異なり単純な不安障害に非ず、というところだと私には思えます。
 
 ここまで書いていて、①もう少しDSMの判定基準を勉強してみる。②職場の机を並べている臨床心理士(医療ソーシャルワーカーとして雇われている女性がいるんです)に相談してみる、という二つの手段が浮かんできました。

 新たな展開があったらまたお知らせします。


題名: それって臨床心理なの?
投稿日時: 2006-11-22 20:18:50
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 367
 同じ部屋の臨床心理士に聞いてみました

 か:かいわれ
 し:臨床心理士

 か 「○○さん、場面緘黙症あるでしょ、場面緘黙症だった人が、大人になって、まだ人間関係でつまづいたりするっていうのは、後遺症なの、それともベースにある社会不安障害なの?」
 し 「場面緘黙症って、あたしもあんまり詳しくないけど、あれって臨床心理の領域なのかしら?むしろ発達心理のほうかしら……」
 か 「(分野はこの際どうでも良いんだけど)そうね、発達心理や教育心理の領域かもしれない……、やっぱり社会不安障害なのかな……、文献がほとんどなくて、特殊教育学会なんかで、ぽつぽつ演題がでるくらいで……」
 し 「よくわからないわ、大学院でも(そう彼女は大学院出の由緒正しい臨床心理士なんです)自分の興味のある分野しか勉強しないから……」
 か 「ああ、なるほど。――それでね、小さいときに場面緘黙症であった人が、大きくなってもその症状を引きずっているのは、やはり後遺症なのかな?(再度聞いた)」
 し 「そう言っても良いかもしれない、でも不安障害が☆@●¥……」
 か 「……、DSMなんかを見ると……(診断が重なる場合にどちらをとるか、といった質問をしたかった)」
 し 「(いきなり話をとってしまい)ああ、DSMなんてアテにならないわ、若い精神科医なんかはあれ見て診断つける人なんかいるけど、そんな簡単に診断なんか決められない……」
 し 「どれくらいの人数いるのかしら」
 か 「ある統計では1,000人中6~7人くらいって……」
 し 「ああ、そのくらいの発症率なの……」
 
 ――といった具合でした。ちなみに彼女は良識あるまともなセラピストです。

 わかったこと
 ・場面緘黙症はやっぱりマイナーで、現役の臨床心理士をしても、“よく知らない”と言わしめること。
   臨床心理の領域なの?という問いにはがっかりしました。
 ・DSMの基準はアテにしない方が良いという意見があること。
   我々の場合、お医者さんに過去に遡ってもらうわけにいかないので、記憶をたどりDSMなどにアテはめるしかないのですが……。
 ・かいわれが、元場面緘黙症当事者であることを知らせず、このような質問をしても、あまり親身になってはもらえないこと。
 ・本当の専門家は自分の知らないことは“知らない”とはっきり言うこと。

 私の場面緘黙症探求は続くのでした……。


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