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題名: 保健室登校
投稿日時: 2006-10-14 00:05:56
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私は息子が幼稚園の頃から、「本当に体調が悪いとき以外は休んではいけない」と教えてきました。実際に、朝起きて吐き気や腹痛、頭痛がしたりしても、平熱で風邪ではないと判断すれば、時間をかけて朝ごはんを食べさせ、気分がよくなった頃に連れていきました。入園、入学、2度の転校と、何度もピンチが訪れましたが、「この子は、今新しい環境に慣れさせなければ、次はない。」と思っていましたから、休ませることは考えませんでした。

運動会などの行事も、初めてのものはなんでも拒否反応で、参加させるのに苦労しましたが、終わってみれば「あ~楽しかった。運動会って楽しいね。」と嬉しそうにしているのでした。「この子は何でも初めてのことは怖がるから、子供のいうとおりにさせていたら何も経験しないで終わってしまう。」と思い、いやがっても全て参加させてきました。そのことが、子供の気持ちにどういう影響を与えてきたかを考えると怖い気もしますが、少なくとも、そうやってひとつひとつ取り組めることを増やしてきたことは、子供にとってマイナスではなかったと思っています。

◆中学1年 5月

「クラスがいやだから教室へ行きたくない」と息子は私に訴えました。「教室でなくても、学校のどこかにいれば出席になるよ。とにかく、学校の中に入ろう。」と説得し、私もいっしょに保健室へ上がりこみ、時間を過ごすようになりました。保健室の先生は「いいですよ。」と言って、さりげなく接してくださいました。

車で学校まで送っていくと、車から出られなくなることがありました。「家に帰る!」と息子は言うのですが、「家には帰らないよ。」と宣言し、学校の周辺をぐるぐるドライブして、子供の気が変わるのを待ちました。車はダメだと判断してからは、一般の生徒の登校時間が終わった頃に、一緒に歩いていくようになりました。体調不良の生徒でにぎわっていて、なかなか保健室にも入れない日もありました。いつも、保健室の裏口から入るのですが、入り口まで行ってもそこから一歩が踏み出せず、どこかへ走っていってしまいます。探しに行って説得して、もう1度トライ。またいなくなってまたトライ。子供との根比べでした。

保健室では、子供と筆談でやりとりしました。「みんな、授業に出て勉強しているのだから」ということで、配布されたワークなどの書き込みのしかたを教え、勉強させました。授業に出ていないことでみんなに遅れをとってしまったと思わなくていいように、クラスメートにノートを見せてもらって、欠席した授業のノートはすべて写させました。私は毎朝ずうずうしく、「お邪魔しまあ~す。」と息子の脇に陣取り、勉強をみてやったりしていました。保健室登校の常連さんたちが、毎日遅れてやってきては1日を過ごしていました。「ああ、うちの子もこのまま保健室に通って、3年間を過ごすことになるのか・・・」と思ったものです。

また、続きを書きます。


題名: 授業には出ないのに、部活はやりたい!?
投稿日時: 2006-10-14 23:22:28
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
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◆中学1年 5月の続き

保健室登校になる前に、平日の部活動に1回参加していました。保護者主導の土日のクラブにも、父親と一緒に2度参加していました。授業に全く参加できなくなってからも、「部活には出たい」 と言い出し、スポ少のときに一緒だった先輩から保健室に迎えにきてもらって、毎日部活に参加するようになりました。息子の様々なこだわりのひとつに、「積み上げてきたことを無駄にしたくない」 というのがあります。スポ少でやってきた卓球を、中学でも続けたいという気持ちが強かったようです。

クラブの保護者会長に連絡して、卓球部での配慮をいろいろとお願いしました。初め、「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ~。うちの子も喘息気味で・・・」 と、取り合っていただけない雰囲気だったので、あえて 「場面緘黙」 という言葉を使って説明をすると、ただ事ではないと分かっていただけたようでした。保護者会長さんは、生徒の部長・副部長と話をする場を設定してくださいました。私のほうからは、今、部活動が楽しみで学校に来ることができていること、無理に話をさせようとすると学校に来れなくなってしまうことなどを話しました。会長さんは 「○○君の苦手なところはみんなでカバーしていこう。部長のほうから、2・3年生に話をするように。」 と言ってくださいました。

朝、私と一緒に登校し、保健室で自習して、部活動をして帰宅するという生活が1週間くらい続きました。その間、私は少しずつ離れ、保健室に息子を残して帰るようになりました。保健室の先生がときどき息子を誘って、学校の中を案内してくださったようです。

その後、「お母さんと一緒に学校に行くのはいやだ。」 と言い出し、小学校のときから頼りにしていた友達K君たち数人 (クラスは別) と登校できるようになりました。その子たちが保健室まで送ってくれて、休み時間などに保健室前の廊下で遊んでくれたりしました。息子は 「今日はK君たちと遊んだよ!」 と嬉しそうに帰ってくるようになりました。

一方で、保健室は、クラスの子達が見にきたり、体調の悪い生徒でごった返していたりで、だんだん居心地が悪くなってきたようでした。先生は完全な個室で過ごすことを提案してくださいましたが、個室が気に入ってしまってそこから出られなくなる可能性があると思い、お断りしました。

その頃、児相で投薬を勧められました。「気持ちが軽くなって、苦手なことに取り組みやすくなる薬」ということで、本人もその気になり飲み始めました。

薬を飲み始めた翌日お祭りだったので、息子と一緒に出かけると、途中で息子のクラスの男の子たち3人に会いました。あちらから声をかけてきてくれたので、私が話をしました。あとで息子に「いい子たちだね。」と言うと、うれしそうにしていました。それから、卓球部の先輩も通りかかり、手を振ってくれました。

お祭りで、偶然クラスの男の子たちに声をかけられたり、部活の先輩に会えたことで気をよくしたのでしょう。すぐに効果の出る薬ではないのですが、飲んだことで、苦手なことに取り組める希望が湧いてきたこともあったと思います。薬を飲み始めた翌日の晩には、「明日は国語の授業に出るからね。」 と息子は私に約束しました。


題名: ごほうび作戦
投稿日時: 2006-11-07 15:16:47
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
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◆中学1年 5月21日

国語の授業に出ることに成功しました。息子は、朝、友達と一緒に保健室に登校し、1時間目の国語だけ担任の先生に迎えにきてもらって授業に出て、そのほかの時間は保健室で過ごし、部活動に参加し帰宅しました。

その頃、祖父母(舅、姑)が保健室登校をしていた孫のことを心配して、なんとか授業に復帰できるように協力したいと言ってくれていました。少々高いものでもごほうびを買ってあげるから、息子がほしがりそうなものがないか考えるように言われていました。

息子はアスペ傾向で、「みんながやることは自分もやらなければならない」という常識が通じない子供でしたが、自分のほしいものにはひどく執着するところがあります。それまでも、なにか新しいことにチャレンジしなければならないときは、「ごほうび作戦」で切り抜けてきていました。小学6年のときに、「初めて記念」というタイトルをつけて、「初めてのことに挑戦できたときは、お父さんもお母さんも嬉しいから、記念に何か買う」という取り決めをしました。中学校入学時には、「頑張り記念」というタイトルに変わって、ひとつひとつ小さな課題をクリアするごとに続きものの漫画本を2~3冊ずつ買い揃えていきました。課題の難しさに応じて、ごほうびの内容も変わるのですが、今回の「授業に出るチャレンジ」には、今までにない、かなり魅力的なものを提示する必要がありそうでした。

なにかないかとあちこち物色して回って、思いついたのが「しゃべる地球儀」(3万円程度)でした。国をペンでタッチすると国名や首都名、人口などを音声で伝えてくれる地球儀です。舅.姑に了解を取り、さっそく息子と交渉をしました。「おじいちゃんとおばあちゃんがね、授業に出られるように○○に頑張ってほしいって言っていたよ。○○が頑張ってくれたら、ごほうびを買ってあげたいって言ってるんだけど・・・」と言うとちょっと話に乗ってきたので、2人で「しゃべる地球儀」を見に行きました。ちょうど、地理の授業で世界地図の勉強をしていたこともあり、息子は一目でそれが気に入りました。すぐに飽きて使わなくなるだろうとは思いましたが、それを目標に授業に出られるようになれば高くないと思いました。

国語の授業に出られたことで少し自信がついた息子は、「しゃべる地球儀」を目標に授業に出ることを続けていくことを約束しました。
苦手意識のない教科から毎日少しずつ授業に出て、朝の会や授業、お弁当、掃除などすべての活動に参加できるようになったら、おじいちゃん、おばあちゃんに「しゃべる地球儀」を買ってもらうことになりました。また、1度クリアしたことは継続することを約束させました。


題名: みちさんへ
投稿日時: 2006-11-08 08:53:16
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みちさんの息子さんのこれまでの経過、とても興味深く読ませていただいています。
「ごほうび作戦」は子どもによって向き不向きがあると思いますが、
彼のやる気を起こさせるのに、とても効果的なやり方なのだと思います。
それと、この方法を成功させるには、親自身の計画性と感情のコントロールが必要で、
これがなければ長期的には成功しませんよね。
思春期では特に、親の気まぐれなやり方で感情がこじれ、失敗してしまうことも多いよう思います。
だからこそ専門家がつくことが必要なのだと思います。
みちさんはそれを1人でやってこられたのですね~。すごいです。
(あとすみませんが、記事に何年生何月と入れていただけるとわかりやすいのですが)


題名: スモールステップとごほうび
投稿日時: 2006-11-08 11:41:25
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
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けいこさん、ありがとうございます。さっそく「何年生何月」と入れました。

>「ごほうび作戦」は子どもによって向き不向きがあると思いますが、
彼のやる気を起こさせるのに、とても効果的なやり方なのだと思います。


そうですね。うちの息子はアスペ傾向ということで、同年齢の子どもたちより情緒的にかなり幼いです。また、自分のほしいものへのこだわりがとても強いため、ときに思わぬ力が発揮されることがあります。

>この方法を成功させるには、親自身の計画性と感情のコントロールが必要で、 これがなければ長期的には成功しませんよね。
思春期では特に、親の気まぐれなやり方で感情がこじれ、失敗してしまうことも多いよう思います。


私も何度か失敗しました。子供にとって難しすぎる課題に、とても魅力的なごほうびを提示した場合、それが手に入らなかったときのことを考えてますます不安になってしまうようでした。それから、子供に全く取り組みたい気持ちがないときにも逆効果のようです。

心の中ではやりたい気持ちがあるのに、勇気がなくて一歩が踏み出せないときや、友達や先輩の優しい言葉かけなどうれしいことがあったとき、ごほうびという最後のひと押しが「やってみようかな・・・」という気を息子に起こさせるようでした。

かつて私も、「友達におはようとあいさつできたらごほうびをあげる」というようなことを息子に言ったことがあります。心理士さんと相談の上でやろうとしたことでした。小学6年のときのことですが、場面緘黙症の治療に関して、専門家の方にも何の情報もないときでした。それが、どれだけ息子にとって大変なことか、今なら理解できます。中1の時点では緘黙克服どころではなかったので、息子とじっくり話し合いながら、自然にスモールステップで進むこつをつかんでいくことができたように思います。

最近、ある人に薦められて、「アドラー心理学」に関する本を読んでいます。その中で、あるエピソードが紹介されていました。

>アドラー先生が子どもと絵を描いていて、その子が「僕、うまく描けないんだ。なんでもぐちゃぐちゃにしちゃうんだ」というと、先生は、「ここに四角い紙があるよね。一本だけ線を引けるかな?」と、その子に聞くのです。するとその子は、一本線を引きました。そこで先生は、「じゃ、続けてもう一本書けるかな?」と聞き、その子は先生に言われるとおりにしました。一歩一歩子どもは、何かをするよう勇気づけられ、学んでいきました。・・・
>例えば、恐怖症のため一人で暗い部屋に入るのを嫌がる子どもに対して先生は、「二歩だけすすめるかな?」と言うのです。そうすると、子どもは一歩だけ進むのです。そこで先生は、「二歩進めるかな。そしてドアを開けて中を覗けるかな?」と言うと、子供は、「ついでに中に入ってみよう」と思うのです。

(岩井俊憲著「勇気づけの心理学」より引用)


うちの子の場合で言うなら、「母親と一緒に保健室に入る」「保健室で午前中を過ごす」「保健室で母親と一緒に弁当を食べる」「母親のいないところで弁当を食べる」「保健室で朝から放課後まで過ごす」・・・・「保健室の先生に筆談で答える」「一人で学校のトイレに行く」「友達と一緒に登校する」「授業に1時間だけ参加してみる」「授業に2時間参加する」など、ひとつひとつのことを一度にさせるのではなくて、1日ひとつクリアすればOKということにして、初めてクリアできたときには一緒に喜び、ごほうびをあげるということを続けてきました。

我が家の「ごほうび作戦」は今ではすっかり定着し、現在は「チャレンジ5(ファイブ)」というタイトルに変わって、5ポイントたまるとボーナス(現金)が出るシステムになっています。でも、うちは貧乏なので、子どものおこづかいの基本給は小学校低学年のときのまま据え置きです。ときどきおじいちゃん、おばあちゃんにも助けてもらっています。


題名: 保健室登校を卒業
投稿日時: 2006-11-08 13:01:28
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
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◆ 中学1年 6月

時々、プレッシャーから朝家を出られず、私と一緒に学校へ向かう途中、かばんを道路に投げ出し逃亡するといったこともありましたが、どうにかつないで少しずつ参加できる授業を増やしていきました。6月に入ると、日によって1時間目から6時間目まで参加できるようになり、初めての定期テストも無事教室で受けることができました。最後まで難しかったのは、朝の登校時に教室へ入ること、教室で体操着に着替えること、体育の授業、教室で弁当を食べること、昼休みに教室にいること、掃除に参加することなどで、そのときだけ、保健室に避難していました。担任の先生は息子の体調が悪いことにしておいてくれました。(実際、ときどき吐き気や頭痛がありました。)

中学1年のクラス編成は、小学校の先生が決めるそうです。息子の中1のクラスには、息子を積極的にサポートしてくれる子がいませんでした。また、いじわるなA君を抑えてくれるような、クラスの核になる生徒がいませんでした。

児相の方が小学校に出向いて、「サポートしてくれる生徒をできるだけ多く配置することで適応しやすくなる。」という説明をして下さったとき、小学校の担任の先生が自信ありげに「任せてください!」とおっしゃっていたと聞いていたので、私のほうからクラス編成に関するお願いは何もしませんでした。それが間違いの元でした。小学校の担任の先生を信頼しすぎて、具体的なお願いをしなかったのは私のミスでした。子供が誰を頼りにしているかということは、子供本人に聞かなければわからないところがあります。先生が感じていることとのずれがあるようです。

息子の中学校では、生徒同士のトラブルを防ぐために、他のクラスには入ってはいけないという規則がありました。一緒に登校してくれていた友達は、息子が話さないことに慣れていて、時々一緒に遊んでくれたり気遣ってはくれましたが、同じクラスでなかったので、朝教室へ入ってしまうと、息子は一人になってしまうのでした。息子は何をしてもいい自由時間が苦手で、また、集団の中で自分で仕事を見つけて動かなければならない場面で動けないため、休み時間、掃除、調理実習などがひどく苦手です。誰かが「○○君、これやって。」と指示を出してくれればやれるのですが、そうでないと動けずに固まってしまいます。「6年生のときの友達が同じクラスだったら、あれほど苦労しなかったのに・・・」と今でも悔しいです。緘黙児の場合、中学入学前には、小学校の先生に、クラス編成に関して、具体的に強くお願いすることが必要だと思います。

大変なことが多かったのですが、担任の先生がいろいろ奮闘し、配慮してくださったおかげで、しだいに保健室へ行く回数が減っていきました。体育など、苦手な科目がある日には、そのプレッシャーから1日教室に入れなくなったりもしましたが、次の日にはまた立て直すことができました。6月の中ごろには、体育の授業を除いて、朝の登校時から終わりの会まで、どうにか教室で過ごせるようになりました。


題名: 担任の先生の配慮
投稿日時: 2006-11-10 14:49:24
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
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中学1年の大変だった時期に、担任の先生がしてくださったことを次に書いてみます。

① 少しでも息子の負担になりそうな活動を予定しているとき、または負担になったのではないかと思われるできごとがあったときは、電話または手紙で詳しい状況を説明し、息子の家での様子を聞いてくださいました。

「何もわからないので、お母さんのほうからいろいろ教えていただけると助かります。」と言ってくださる先生でした。先生のほうからこまめに連絡をいただけたので、私からも息子の気持ちを伝え、お願いをすることが容易でした。

② 子どもに何か伝えるときは、口頭で伝えるだけでなく、紙に書き出して手渡してくださいました。1日の予定などは箇条書きにし、ちょっとしたメッセージなどを添えてくださったので、息子はそれを家に持ち帰り、私と話題にし確認しあうことができました。

うちの子は、「課題の全体像がわからないと納得して取り組めない」「予定が目で確認できる形で手元にないと不安になる」という傾向があります。また、耳から入る情報量が多すぎると処理しきれなくなるところがあり、特に緊張しているときにはその傾向が強くなります。重要なことを言われて、それをうまく理解できなかったり、記憶できなかったりすると、不安になり混乱してしまいます。自分で聞き返したり、その場でメモするということもできないため、できるだけ書いていただけるようお願いしました。

中学校では普通、先生が早口で言ったことを自主的にメモすることを習慣づけるよう要求されます。そういう中学生として当然身につけるべきことが、すぐにはできない子もいるということ、大人側のちょっとした配慮で適応できるようになるということを、しっかりと理解してくださる先生でした。

今では息子は、自分でメモを取るということが大体できるようになりましたので、先生が書いてくれるということはめったにありません。息子のクラスには他のクラスとは違う工夫のされた生活記録表があるために、息子はそれに毎日欠かさず次の日の予定を自分で書き込む習慣がつき、今でも助けられています。

③ 文字によるコミュニケーションを図るために、各自の生活記録表に大きめに日記を書き込む欄を設け、子供の日記に対して先生が毎日コメントを書いてくださいました。息子に対してだけでなく全員になので、先生の負担は相当なものだったと思います。一種の交換日記のようなものですが、その記録表は冊子になっていて、親のほうから何か困っていることを先生に伝えたい時は、そこに大き目の付箋を貼って連絡したり、先生から電話をいただけるようお願いしたりしてました。(中学校には連絡帳がありません。)この日頃の積み重ねがあったからこそ、息子は「担任の先生となら話してもいい」という気持ちになれたのだと思います。

今私が、過去のことを振り返って書けるのも、先生が下さったメモや、生活記録表の日記が残っているからです。3年生になった今では、生活記録表の提出は希望者だけで、出す子はそれほどいないようですが、息子は毎日せっせと提出して、日記で先生と会話しています。


題名: 担任の先生の配慮 続きです
投稿日時: 2006-11-11 23:17:40
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
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④ 息子の自己評価を高めるメッセージを送り続けてくださいました。
朝、不安から家を出られず、遅れて学校へ行ったときも、「頑張って学校に来てくれて、先生もうれしいよ。」と笑顔で迎えてくださいました。メモや日記にも、「がんばってくれているね。うれしいよ~!」などのコメントがたびたび書き込まれています。

⑤ 席替えのやり方に工夫をこらし、班編成に特に気を配ってくださいました。また、着替えの際に、安心できそうな子に一緒にいてくれるよう頼んでくださったり、昼休みなどは先生ができるだけ教室にいて、目を光らせていてくださいました。その他、集会の際の並び、運動会の組み分けなど、学校生活に慣れるまでは、苦手な生徒との接触をできるだけ避けられるよう、一緒にいて負担にならない子を配置してくださいました。

⑥ 入学当初から、意識的に「人権教育」を行ってくださいました。「みんなそれぞれ、得意なことや不得意なことをもっている。みんなが違っているのがあたりまえ。ひとりひとりをありのままに認め合える仲間になろう。」といった話を折に触れてしてくださいました。

また、ときどき教室で過ごせず保健室に避難する息子のことを疑問視する生徒が出てきたとき、個別に呼んで、「体調が悪いにも関わらず、頑張って学校にきてくれている」ということを話してくださいました。

「あって言ってみて」攻撃が出てきたとき、また、「○○君はどうして話さないの?」という子どもたちの単純な興味、好奇心に対して、私の方へも確認をとった上で、「2度の転校でつらい思いをしたこと。転校によるトラウマのせいで、今は話すことが苦手なこと。すごくつらい思いをしているのだから、今はそっとしておいてほしいこと。」を、本人のいないところで、男子全員に、また必要に応じてクラス全員に話してくださいました。

⑦ 息子のための特別の配慮が必要なときは、できるだけクラス全員同じやり方にしてくださいました。「特別扱いをしているように見えないようにする」ことは、息子に劣等感を抱かせないため、また、他の子どもたちに不公平感を抱かせないために、特に重要なことでした。

入学式当日、各教室に移動してから、どのクラスでも保護者のいる前で全員に自己紹介をさせるのですが、うちのクラスだけは、特別に用意された用紙に各自目標とか自己PRを書かせ、先生が全員分を読み上げるというものでした。また、班長や委員などを決めたり、話し合いで何かを決めなければならない場面がたくさんあるのですが、名前が書かれたマグネット板のようなものを全員分用意し、それを黒板に貼っていくというようなやりかたでした。(これは小6のときの担任の先生から教わったやり方です。)

「特別扱い」に対する子どもたちの反応は、年齢が上がっていくにつれ厳しくなっていきます。勉強やいろいろな面で、どの生徒にもプレッシャーがかかる中学1年生の時期は、もしかしたら一番大変なときかもしれません。


題名: 中学校生活を支えてきたもの ①
投稿日時: 2006-11-12 20:40:56
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
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中学1年の1学期に、「もう中学校になんか行かない」と言った息子を、学校につなぎとめたものは何なのかと、今振り返って考えています。少々無理してでも学校に通い続けたこと、担任の先生の配慮なども大きかったのですが、それだけではありません。

● 「好きなこと(卓球)を続けたい」という気持ちが強かったこと

うちの息子には、小学校中学年まで、人より得意と言えるようなことはほとんどありませんでした。成績は中くらい、不器用、運動音痴、絵も上手とは言えないし、楽器演奏などはまるでダメ、。小さいときから読書は好きで、読むことだけは習慣づけるように気をつけてはいましたが、学校でその力が評価されることはあまりありませんでした。

3つ目の小学校に転校した際に、町別対抗卓球大会に親子で参加し、卓球が好きになったことで、息子は少しずつ変わっていきました。放課後の友達づきあいということも考え、卓球スポ少に入団させ、私も玉拾いなど一緒に参加しました。また、思い切って別の卓球教室にも月謝を払って通わせました。スポ少の大会で活躍するほどうまくはなりませんでしたが、子ども会対抗のお遊びの卓球大会では、スポーツ万能の野球少年、サッカー少年たちと互角に戦い、みんなの声援を受けながら、大活躍することができました。

そんなこともあって、卓球には自信があったのでしょう。中学で教室に入れなくなったとき、部活には出たいと言い、部活を楽しみに学校へ通うことができました。保健室登校が続いていた5月、6月の日記を読むと、部活のこと、大会のことが生き生きと書かれています。

「5月7日 部活がすごく楽しかった。先輩たちは優しかった。」「5月8日 部活で先輩に勝ったことがうれしかった。」「5月15日 初めて中学校の大会に出れてよかった。結果は○中の3年生とやって、3-0で負けたけど、3セット目はデュースまで持ち込んでもうちょっとのところだった。」「6月1日 卓球部の1年と仲良くなった。」「6月2日 卓球部の○君が部活のとき迎えに来てくれてうれしかった。」「6月17日 今日壮行式があった。入場のときドキドキした。エールも送られたので中体連はがんばりたい。」「6月19日 今日個人戦の1回戦で○中の2年生とあたって、な、な、な、なんと勝ってしまった。すごく気合いが入りガッツポーズを両手で決めてしまった。明日もあるのでがんばりたい。」

小学6年のときの児相での指導の中で、「これだけは負けないというものをもっていればふんばれる。」というのがありましたが、卓球をしていたことが、中学校でこれほど息子の力になるとは思っていませんでした。(地域にもよると思いますが) 中学校生活では、放課後の部活動が大きなウェートを占めます。何部に入るかで、交友関係がほとんど決まってしまう傾向さえあります。また、スポーツをするのに言葉はいりません。「声だし」に関しては、最初にお願いして免除していただいていたので、心配いりませんでした。


題名: 中学校生活を支えてきたもの ②
投稿日時: 2006-11-13 13:02:52
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
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● 得意科目の英語

うちの子の場合は、なんでも人よりとっかかりに時間がかかります。小学4年でローマ字を習ったときに全然定着しなくて、放置したら確実に中学で英語が苦手になると思いました。親が教えようとしても拒否反応ばかりだし、塾に行くのはいやがるので、大好きなおじいちゃんにローマ字を習いに行かせることにしました。毎週1回、アルファベットの書き方から始めて、ゆっくりとローマ字の本を読んだり、ローマ字でおじいちゃんに手紙を書く勉強を1年間続けました。小学校では、ローマ字指導の時間は少ししかありませんが、おじいちゃんと1年間やったら、さすがに読めるようになりました。

6年生になってからは、英語に切り替えました。中学1年の古い教科書とカセットテープを使って、読んで意味がわかればよいことにして、無理につづりを覚えさせることはせずに、教科書をノートに書き写す練習をしました。ローマ字が読めるようになっていたので、英語を読むことにはあまり抵抗を感じないようでした。途中から、英検5級合格を目指して勉強し、6年の1月に受験して合格しました。

息子に、 中学に入る前に英語に慣れさせたのは正解でした。(英会話ではなくて、学校英語です。) テストが返されると、友達同士点数の見せ合いっこをするのですが、英語だけはいつもみんなよりいい点数だったので、一目おかれていました。英語は基礎が出来てしまうとその後が楽なので、いまだに息子の唯一の得意科目で、中学校生活の一つの支えになってきたように思います。

緘黙っ子には得意なものを作ってあげるというのも、ひとつのポイントかもしれません。

児相での検査結果に、「全体としての知的レベルは正常範囲だが、かなりアンバランスな部分がある。得意なことは自動的暗記。不得意なことは考えること。自分の得意なことをのばすことが大事。勉強するなら予習型。」というのがありました。

中学では、得意科目の英語の勉強に時間をかけさせ、授業先取りで学習させました。「自分の頭で考えること」が極端に苦手で、数学にはなかなか取り組めませんでした。苦手な数学のわからない問題は答を写していいことにして、あまり時間をかけさせなかったのが返ってよかったと思っています。小学生のときは、「なんでも時間をかけて慣れさせればできるようになる」という思い込みがあって、「算数を何とかしなくては!」とやっきになっていたときもありました。検査を受けてからは、「数学は苦手なんだから、適当でいいよ。」と私が言えるようになって、子どものほうにも拒否感がなくなっていったように思います。

「能力は平均より少し下」という検査結果でしたが、中学1年のときには、定期テストの番数が上位3分の1以内に入っていて、そのことも息子の自信につながっていたようです。


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