突然お邪魔致します
学校とのやり取りで、学校恐怖になりかけのルディです
私は実は何度もはごろもさんと似た経験をしています
理解をお願いし対応をお願いすることが、親にとって大きな精神的負担となってしまうことは多いと思います
なにも自分のこのことばかり考えているのではなく、今後の人たちのことも考えてこちらの感じたことを伝えようとしても、たくさんの理不尽な壁にぶつかり、心は「いてて」な状況ばかりです
冷静に丁寧に伝えても無視されることもあったり、色々なことが積み重なるうち、しまいには私はまるで不良少年のように「むかつい」てしまうに至りました(むくれプー)
ですから卒業式のかわりに校長室で証書を渡す時、3年の先生が集まって下さるし、保護者も来て下さいと言われたのに対し、「しかと」してしまいました
そこで、かわいそうなことに子どもだけが証書を受け取ってきたのです
もはや不良となってしまった私は、どうしても行く気になれませんでした
行って卒業式で暴れたい衝動を抑えただけ偉かったと思っています

みなさんがそれぞれに感動できる卒業の形をとられたことを思うと複雑な気持ちですが、私としてはそれは言葉が通じない相手への抗議としてのネガティブな行動・・とでも言うか、自己表現のつもりです
そんなわけですから(長っ・・)、はごろもさんのご経験は、他人事とは思えません
自分を慰めるにも、納得いかないことがあるままだと、完全には消化できないと思います
自分というものを本当の意味で大事にする、という観点から考えると、納得いかないことで自分の心を傷つけられたままにすることに慣れてしまっていいのだろうか?と思います
それにしても、けいこさんのお話がうかがえて良かったですね
そういう予算的な事情もあることなどうかがうと、少しは納得することが出来ますね
でも、こちらばかりが相手を理解してあげるのもおかしな話ですから、失礼は失礼として本来ならば謝罪をしてもらいたいですね
「一母親が何を言う?」的な、そういう感じの態度に出会うと、まだまだ日本は上意下達的な発想なのねとがっかりさせられます
怒ったところで自分が疲れるだけ、という考え方もあり、それは本当にその通りです
ただ、疲れても自分の誇りを守ろうとすることや、感じたことを伝えることが必要な時もあるかもしれないとも思います
自分が我慢すれば波風が立たない、逆らうようなことはやめておこうという考えは賢いようでいて、自己卑下にもつながる発想と感じる私です
いつか、信頼できる方に感じたことをきちんと伝える機会があるといいですね
私は無理解であったり「スキルの足りない方」や「権威的な発想の方」たちにお会いする一方で、たとえばけいこさんのように本当に親身になってくださる心暖かく聡明な方々に出会うことが出来たので、充分に心が慰められ、この経験もかえって面白かったと思っています