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題名: 速報です!
投稿日時: 2007-09-18 18:05:00
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みなさん、こんにちは。

速報です!
本日の先生の連絡帳に、こう書いてありました。
「今日はかけ算の九九の五の段を学習後に1人1人聞きました。
みんなと同じくらいの声の大きさではっきりと言うことが出来ました。
友達と一緒ではなく、1人でちゃんと言うことが出来ました。嬉しいですね。」

最近別の所で愚痴愚痴のははですが、息子もがんばっている!私も頑張らないと!と元気をもらいました。


題名:
投稿日時: 2007-07-28 06:41:35
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 269
去年の8月にユーザー登録をしてもうすぐ1年です。
投稿記事200目なので、この1年思ってきたことを、書いてみます。

このトピックをたてたのが、去年の6月末。
まだ資料も出ていなくて、私が取り組んでいることは、危なっかしいことも多かったと思います。
当時は息子にとってよい情報を探していた頃です。
ネットサーフィンで色々な情報に出会いました。
励みになるものもありましたが、落ち込む内容もありました。

日本では緘黙を治す専門家はない。
学校は「緘黙」を知らない人ばかり。
メンタル系の病院でも、「緘黙」という言葉すら知らない人がいる。
そんな情報を目にする度に、じゃあ親はどうしたらいいの?と絶望感におそわれました。
緘黙の子が大きくなってからなんと生きづらいのか、、、今でもつらさを抱えた人のブログを読んで大変心が不安定になりました。

去年の4月5月(緘黙を知った頃)は、大学やいろんな所へ電話したり、センター等にも問い合わせたりしましたが、緘黙の専門家はいないんだ、というのが常に頭にあり、いろんな人に対して最初から不信感を持っていました。
発達センターや子どもセンターへ行ってた最初の頃は
そういう私の態度が出ていたと思います。

でも、こういうのって・・・よくないです。

相手に対して不信感を持ってしまうと、それが相手に伝わりやすいです。
例えば、周囲が無理解だからとこちらの態度も悪くなる、これは悪循環です。

最初にSMJに書き込んだのは、記事のコメントです。
富重さんから、「同じ境遇で悩んでいらっしゃる親御さん方に希望を与えるものかもしれません。」とお返事をいただきとても嬉しかったです。
私自身、辛いときは、よくなった症例をネットで必死で探していました。
五藤先生の記事を見つけたときは、こういう人も探せばいるかもしれない、と、ちょっとホッとして眠りについたのを覚えています。
よくなっていく例を知るととても嬉しく思ったものです。
だから富重さんのコメントはとても嬉しかったんですね。
私の様に、どうしたらいいか悩んでいる保護者はたくさんいる。希望になるようならたくさん書きたいし、参考になる情報は教えたいし、私も色々知りたい。そう思って「緘黙症治療中の方!」というトピックをたてました。
(でも今だったら「治療」という言葉は使わないです。)
だからこのトピックでは、なるべく保護者が読んで落ち込む内容は書かないでおこう、と気をつけました。保護者が落ち込んでいては、子どもを導くのはむずかしいです。

でも本当のところは、いろんな所で不満はありました。今もです。
でもそれを書き連ねたところで、「そういう現実もある」という点では参考になるのかもしれませんが、これから働きかけをしようと思っている人の一歩を止めてしまうことにもなりかねないと思っています。同じ立場の保護者の方達のやる気を奪いたくなかったです。

保護者の気持ちのあり方、働きかけは、本当に重要です。
「場面緘黙児への支援」(Helping本)にも、「保護者こそがお子さんと共に努力すべき人なのです。」と書かれてあります。

この1年間自分が経験してつくづく思った事は
人の気持ちを変えることが出来るのは、人の心のこもった働きかけだと思っています。
人を変えることが出来るのは、最後には人の力。
本や資料だけでは、足らないです。
まず相手の気持ちを理解すること。それから、私たちを理解してもらって好きになってもらうこと。人は自分の好きな人には、なんとかしてあげたいと思いますよね?
緘黙を理解してもらう、私たちの事を理解してもらおうと思ったら、まずこちら側から心を開いて相手を理解することから始まると思います。
でもそういうのって、自分の心に余裕がないと難しいです。
保護者が、辛い気持ちを抱えたままでは、もっと難しいです。

緘黙児は一進一退を繰り返して、かなりの長期戦です。
本人も大変ですが、保護者も気持ちを持続させるのはとっても大変です。

保護者が気持ちを吐き出せる場所(ブログや掲示板でもいいです。)そして伴走者がいると、とっても安定します。
この事が本当に本当に一番大切な事だと思っています。

みなさんに、そんな「場所」と「人」がありますように-。

2007年7月28日 投稿200目 はは


題名:
投稿日時: 2007-07-29 14:39:07
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ははさんへ

ははさんのような方がいてくださることで、たくさんの方が励ましを得ていると感じています
普通の状態では遭遇しなくてすむような、困った状況もある中で、なんとか希望を持って前向きになれるように、たくさんの方の励ましになれれば・・そのお気持ちは、充分成果をあげていると思います
素敵な紙芝居も拝見しましたが、娘は「この子は、まるで昔の自分みたい!」と、内容にも共感させられましたし、やさしさの感じられる色合いの素敵な絵で描いてくださったことも、嬉しかったようです

今回の書き込みを拝見して、もしかしてははさんは、私が学校や病院に大して批判的な内容を書いていることは、良くない影響があると感じられていたかもしれないな、と思いました
それをどんどん書いている私に、ハラハラされたかもしれませんね

支援を頼みたいとき、批判の気持ちが相手に伝わると、よくない

理解してもらおうと思ったら、まず相手を理解して、好きになってもらえば、相手も何とかしてあげたいと思ってくれる

親こそが、子どもとともに努力すべきであるとあった

それは、現状で、何か頼もうと思ったら、そうせざるを得ない、と言う意味では、そのとおりかもしれませんね

私がなぜ批判も書くのかと言いますと、子どもが登校拒否中に、他の、同じく子どもが登校拒否になっている方を見て、なぜ、まるで自分や子どもが悪いかのように、肩身が狭い様子で、遠慮してばかりいるのだろう?と感じたことがあったせいです
中には、人知れず引越しして行った方もいます
他の方と同じように出来なかったことが、まるでいけないことだった、申し訳ない・・とでもいうように行動される方を見ると、そんなことでどうする?
とよく思ったものです
あるいは、うちの子ども自身が、学校の価値観に対して卑屈であるようにも感じたからです

相手の理性を信じればこそ、おかしいと思ったことを率直に相談することが出来るのだと思います

けれども、現実にはそういう方ばかりではないでしょうし、まずは自分が相手を理解し、好きになってもらおうという、ははさんのお考えは、たいへん苦しい状況で、まるで「母」のようにすべてを受容するような尊敬すべき態度だと感じました

と同時に、困っているものがそこまで頑張らなくても済むような環境、逆に親も援助が受けられる環境が整うといいなと思います

私自身は、学校にほとんど何も期待していない状況になっていたので、子どもや私たち家族の、人権や名誉が傷つけられたままになることを、子どもがどうとらえるだろうかということを考えましたし、今後、同じ立場の子どもや家族がいたときに、私たちへの対応で良かったのだと思われることは良くない、そう思っていました

そして同じような立場の方々には、我慢せず、援助を当然の権利として堂々と要求していいのだと考えていただきたいと思っています
未来ある子どものためになることをする、ということのために学校や親が、率直に話せることが最も理想的だと思います
良くないことがあったことを、立場が弱い側が我慢するのはどうかと思います
また個人的な感情で、好きでないとやってくれないいかもしれないなどということは、相当レベルの低い話だと感じます

ただそれが簡単に通用しない現状では、相手を理解してあげて好きになってもらう手間を惜しまないことが、結果としてうまくいくのであればそうせざるを得ない、子どものためにはそうするしかないのかもしれませんね


題名:
投稿日時: 2007-07-29 16:11:42
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 269
ルディさんへ

また個人的な感情で、好きでないとやってくれないいかもしれないなどということは、相当レベルの低い話だと感じます

私は過去に「人に教える」仕事もしたことがあります。
どんな人でも人の感情は入り込みます。
好きでないとやってくれないかもしれない、と書いているわけではないです。
どうして、そんな風に受け取られてしまわれるのでしょう??
これも私の文章力の無さでしょうか?
他の方にもそう受け取られるのでしょうか?

現実的に好きなほうが人は自発的に動く。ということを言いたかったのですが。
誰でも好きな活動、好きな人には、積極的に関わりたいと思いますよね?

私は自分を卑下しているとも曲げているとも思わないです。


題名: 何のレベルか
投稿日時: 2007-07-29 21:26:54
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 145
その言い回しは、誤解を生むものだったかもしれませんね

好きだからやってくれると言う教師がいるとすれば、教師としてのレベルが低いのではないか・・そういうつもりで書いてみました

それを逆説的に言えば、好きではないからやらない、と言ってもいいことになってしまうのではないかと思ったのですが、おかしいでしょうか?

ただ、ははさんのおっしゃりたいことは、学校や病院等と良好な関係を持つということは、援助の少ない中ではとても大切なことだ、ということだと思っています
はじめから批判的な先入観を持つと、良い関係が持てない、必要な支援や理解も得にくくなる・・それではかえって子どものためにならない
ははさんがそうおっしゃりたいということは、読んだ方にきちんと伝わっていると思います

ただ、言葉にこだわる私としては、もしかしたらまた違った解釈も成り立ってしまうのではないだろうかと感じられましたので、それこそ嫌われてしまうかな?と思いましたが、最終的には私の考えも理解してくださるかもしれない、そう考えて書き込んでみたわけです

私自身があまり感情で動くことが少なく、それほど人に好かれることも好まないので、また、いろいろな情報があっても、それほど落ち込むことなくいられるほうなので、ははさんのお考えにあまり共感できなかったということもあるのかもしれません
でもそんな人は少ないと思いますので、きっとははさんに共感される方のほうが全然多いはずです

こんなことを私が言うのも変かもしれませんが、これからも、ははさんはははさんらしく、心優しい方たちに寄り添うスタンスでいていただきたいと思います

せっかくの1年を振り返られた記念の書き込みに、ははさんを困らせるようなことを言ってしまいましたね
またルディさんか・・ということで、どうぞお許しください


題名: 上手にコミュニケーションすること
投稿日時: 2007-07-30 00:58:21
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皆さん、こんばんは。突然おじゃまいたします。

以前どなたかがこの掲示板で紹介してくださった本、クリストフ・アンドレ&パトリック・レジュロン著「他人がこわい」で「上手にコミュニケーションする」ということについて大変興味深いことが述べられていました。

>私たちが感じる〈社会不安〉は〈社会能力〉と呼ばれるものと密接に関わっていることが多い。
〈社会能力〉とは・・・私たち一人ひとりが過去の経験において築き上げてきた他人とのつきあい方(行動様式)のことで、〈社会能力〉が高い人ほど、効果的で、的確で、好感度の高いコミュニケーションができるのである。

〈社会能力〉を評価する時には、「うまく自己主張ができるかどうか」がもっとも重要視されているそうです。他人に対する行動様式は、回避的行動、自己主張的行動、攻撃的行動、の三つに大きく分けられ、そのうちのふたつ、「回避的行動」と「攻撃的行動」は、生命を脅かす危険に遭遇した時にとるべき行動として遺伝子にプログラムされているため、私たち人間は無意識のうちに行ってしまいがちなのだそうです。回避的行動の極端な例が場面緘黙ですね。「回避的行動」もなにかと不都合な点が多いけれど、「攻撃的行動」もよくない点のほうが多いようです。ときには高い効果をもたらす場合もあるようですが、敵対関係を生みやすく、ストレスがたまりやすいのだそうです。

何かと人の言葉尻をとらえて批判する、強い態度に出て要求を通そうとする、相手を理詰めで追い詰め自分が正しいことを証明しようとする・・・など、私にもそういうことをついしたくなる遺伝子が組み込まれているようです。今でも、ときどきそういうことをしたくなりますが、若い時に何度か失敗していますので、そうしたくなる衝動を抑え、「自己主張的行動」ができる人間を目指したいと常々思っています。

「攻撃的行動」によって、一時的には名誉が回復されたように感じられ、プライドを守ることができたように思えるかもしれませんが、長い目で見るとマイナス面のほうが大きいです。「攻撃的行動」がもたらす結果は、私の経験によると、まず多くの人に不快感を与え、恐れられるようになります。そして、そのインパクトが大きいほど、あっという間に人から人へ伝わって行って、巡り巡って「自分が世間からどう見られているか」ということが自分の耳に入ってきたりして、自分も不快にならざるを得ないということがあります。ひどいときには子供にトバッチリが来ることも。

同じ自己主張をするなら、相手を不快にさせず、自分も不快にならず、結果として欲しいものも手に入れられるような方法を身につけたいものですよね。それは、言いたいことも言わずに我慢をすることではありません。

>そしてもうひとつの行動様式、「自己主張的行動」は、私たち人間が身につけるのは先のふたつよりはるかに難しい。きちんと自己主張をするということ、それは、ただやみくもに自分をアピールすることでは決してない。不安をできるだけ抑えながら、他人の考え、希望、感情に配慮しつつ、自分の考え、希望、感情を正しくはっきりと伝えることである。こうした「自己主張的行動」は、私たちの日常生活において、非常に幅広い状況に適応する行動様式だといえるだろう。

>訓練をする際には、「行動」だけでなく「考え方」にも気をつけなくてはならない。つまり、そういう状況に置かれた時に、「回避的行動」や「攻撃的行動」に導くような思い込み(「私が自分の考えを口にしたら、きっとうまくいかなくなる・・・」や「欲しいものを手に入れるには、強い態度に出なくては!」)をしていないかどうか、きちんと見極めなくてはならない。

場面緘黙や不登校になりやすいお子さんを持つ親御さんには、「回避的行動」を取りがちな人が多いのではないかと思います。ルディさんが書いてくださった

>同じく子どもが登校拒否になっている方を見て、なぜ、まるで自分や子どもが悪いかのように、肩身が狭い様子で、遠慮してばかりいるのだろう?と感じたことがあったせいです
中には、人知れず引越しして行った方もいます
他の方と同じように出来なかったことが、まるでいけないことだった、申し訳ない・・とでもいうように行動される方

というのも、そういう傾向をもつ親御さんだったと言えるかもしれませんね。
この「回避的行動」はあまり労力を必要としないかわり、欲求不満を生みやすく、目的を達成するのにはほとんど効果がないのだそうです。

>人の気持ちを変えることが出来るのは、人の心のこもった働きかけだと思っています。
人を変えることが出来るのは、最後には人の力。
本や資料だけでは、足らないです。
まず相手の気持ちを理解すること。それから、私たちを理解してもらって好きになってもらうこと。人は自分の好きな人には、なんとかしてあげたいと思いますよね?
緘黙を理解してもらう、私たちの事を理解してもらおうと思ったら、まずこちら側から心を開いて相手を理解することから始まると思います。

と、ははさんが書いてくださったように、場面緘黙症に対する理解の少ない現状で、専門家の方や学校の先生方の理解を得るには、まず私たちが「効果的で、的確で、好感度の高いコミュニケーション能力」を身につける必要があると思います。親御さんもそれぞれもって生まれた気質があって、最初からうまくはいかないかもしれませんが、訓練次第で上手になるようです。

「困っているものがそこまで頑張らなくても済むような環境、逆に親も援助が受けられる環境が整う」には、この先何年かかるかわかりません。でも、場面緘黙症を知っている私たちが、専門家や学校の先生たちと敵対関係になるのではなく、上手にコミュニケーションをとって、場面緘黙症で苦しんでいる子供たちのことを伝えていくことができたなら、今後少しずつ変わっていくかもしれません。

そういう意味でも、今の現状では、「保護者こそがお子さんと共に努力すべき人」なのだと言えるのではないでしょうか。


題名: みーさんへ
投稿日時: 2007-07-30 07:47:23
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みーさんのご意見、たいへん素晴らしいと思いました
本もとても深く読み込んでいらっしゃるのですね

やはり、現状では私たちが好感度の高いコミュニケーション能力を身に着けて、努力する、それが一番大切なことなのでしょうね

だんだん自分が何を言いたかったのだったかしら・・?と、わからなくなってきてしまいましたが、

部活でデッサンをする娘を駅まで送ってあげながら少し考えてみたことは、やはり娘に起こった、これまでの出来事や、出会ってきた先生がた、カウセラーの方々のことでした
とにかくいろいろな方がいらっしゃいます

おそらく、主に私がこんなことがあっていいのだろうか?どこかできちんと訴えなければいけないのではないだろうか?と感じる、不登校になってからの問題というのは、教室での対応を求めるときとはまた違っているのだろうなと思いました
問題が大きくなってくると、学校は責任ということにとても敏感になり、
理解しあうことは、普通のコミュニケーションの好感度というようなことだけでは難しくなってくるような気がします
コミュニケーションの好感度の保ち方というのは、状況によって変化するものだと思います

私も5、6年生のときの先生には、少々不満がありましたが、子どもの性質を説明し、見守ってみていたものです
先生は時々人の話を先入観でとらえて、よくわからない行動をされるように思われ、理解しあうことはなかなか難しかったように思いますが、若い先生でもあったので、子どもが保健室に逃げこむこともありましたが、なるべく見守るようにしていました
そして、6年の最後の発表の授業が、参観だったのですが、どうなることやら?と出かけていったものです
すると、娘が幼いころから好きなビーズで作った動物の村が、とてもとても小さなもので、一体どうやって発表するのだろう?と思っていたら、先生はビデオカメラを設置して、みんなに大きく見えるようにしてくださったのを見て、本当に有難いなと思ったものです
子どもにあった形で発表する工夫をして下さり、子どもも自信をつけたことと思います
いろいろな方にはそれぞれの良さがあり、親身になってくださる意志がある以上、その方の能力の範囲で頑張ってくださることを細かく非難することはないと、私も思います

ただそれにも程度というものは、あると思います
つねに好感度を保ち、やわらかい言い方をしていると、ひどいことをしている、こちらに失礼、ということが相手に伝わりにくいときがあるのではないでしょうか?それでいいと思っている、と、思われてしまうようなことが
時には丁寧であってもはっきり言うことが必要なときもあると思います

また、親子の立場は弱いので、理不尽な対応で悲しい思いをしながらどこにも言えない、訴えることも出来ない、そういうときにこそ、こうしたフォーラムの場があるように思うのです

何かを言われたときに、それを批判やあげ足取りと感じられるか、違った経験や感性からの意見と感じるかは、その人の理解力にかかっていると思います
様々な感性や角度からの見方を知ることが出来るのが、このような場のいい点だと思います


題名: ごめんなさい!
投稿日時: 2007-07-30 07:50:39
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 145
またログインし忘れてしまいました
上の書き込みはルディです :)


題名: ルディさんへ、私からのお願いです
投稿日時: 2007-07-30 10:59:08
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>時には丁寧であってもはっきり言うことが必要なときもあると思います

そうですね。本当にそう思います。ただ、丁寧であっても、あまりにも相手の急所をつくような言葉、つまり相手を傷つけるような言葉をずばりと言うことは、一時的な勝利を得られたとしても、長い目で見たときにプラスにはなっていかないというのが私の意見です。

ただ、ルディさんが経験なさったことというのは、私たちの想像を絶するようなひどいことだったのだろうとお察しいたします。「経験したことのない人に何がわかるの?」と言われればそれまでですね。確かに、どこかにはけ口を求めていかなければ、心のバランスを保つことができないようなこともありますよね。

>また、親子の立場は弱いので、理不尽な対応で悲しい思いをしながらどこにも言えない、訴えることも出来ない、そういうときにこそ、こうしたフォーラムの場があるように思うのです

私もそう思います。ただ、これも程度問題かと思います。丁寧でやわらかい言い方をしていても、言葉がきつく毒を持っている場合、読んだ人を傷つけたり、いやな気持にさせることが多いです。(私も気をつけなければいけませんが・・・)お互いに共感しあえるような、やさしい気持ちになれるような書き込みはありがたいものです。ルディさんも今まで、いろんな方にやさしい洞察力あふれる書き込みをたくさんしていらっしゃいましたね。

一方、失礼な態度だと思われる場合や、ご自分の視点で不適切な表現だと感じた時には、すかさず突っ込みを入れ、それを正そうとなさいます。そんなチェックマンが常にこの掲示板で目を光らせているということでは、弱い立場にいる親子が気軽に愚痴などを書ける状態ではないと思います。

>何かを言われたときに、それを批判やあげ足取りと感じられるか、違った経験や感性からの意見と感じるかは、その人の理解力にかかっていると思います

ルディさんの必殺技ですね。表現力豊かで、人一倍感受性の強いルディさんに、「理解力のない」人のように言われることはとてもきついです。ですから、多くの人が、その言葉を言われた時点で、ルディさんと話し合うことをあきらめてしまうでしょう。

もちろん、こんなことを書き連ねて、ルディさんという人を変えられると思っているわけではありません。ルディさんが受け止めてくれるかどうかは別として、この掲示板を愛する一人の人間として、ルディさんに私の希望を伝えたいと思います。

ルディさんが、これまでのように、やさしいコメントもするけれど、鋭い突っ込みも大いにしていきたいということであれば、思ったことをすぐに書きたい気持ちを抑えて、ちょっと立ち止まって考えていただきたいと思います。そして、相手が現在置かれている苦しい状況や、つらい気持ちを推し量った上で、その場にふさわしい、相手をいやな気持にさせない表現を工夫していただけるとありがたいと思います。

これはあくまでも私の希望です。自分の考えだけが正しいと思っているわけではありません。そう思わない方もいらっしゃると思います。争うために言っているわけではないので、無視してくださって結構です。


題名: みーさんへ
投稿日時: 2007-07-30 14:10:17
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登録日時:2013-10-18 04:45:31
投稿記事数: 145
みーさん、言いにくいかもしれないことを、勇気を持って言ってくださったのかもしれないと思い、みーさんのご意見を謙虚にうかがいたいと思います

そうですか、そんなにも私の発言は何か脅威のようなものに受け止められる可能性もあるとは、ちょっとびっくりさせられました

やさしい・・とはいったいどのような表現なのでしょうね

私は実を言うとこれでも言葉をつくし、相手のいい点についても考えつつ、自分が疑問に思ったことを問いかけて、一緒に考えていただけないものかと思っているのですが、何か正すべきことをチェックする人のように脅威的に感じられる方もいらっしゃり、ルディさんに見張られているようで思うように発言できない・・と、いうことでしたら本当に申し訳ないことです

同じことを言うのでも、優しい言い方、周りに配慮した言い方、よく考えて発言を・・とのこと

時々私が思うのは、優しいあいまいな言い方でも、内容を良く考えると、あまり優しいと思われない、ということもある、ということです
しかし、それを疑問に思って尋ねると、感情的な反応をされることがある

優しさとは、言い方の問題なのかな?とも思います

何というか、自分と違う意見を言われることに慣れていないので、言われるとびっくりしてしまうということもあるのではないかと思うのです

ちょっと時間がないので中途半端ですが失礼しますね

またみーさんのご意見をうかがえることを、楽しみにしています


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