ルディ
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題名:
もしかしたら私?そして・・超重要な再認識!
投稿日時: 2007-03-01 21:24:10
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登録日時: 投稿記事数:
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楽しみにしています・・というと困っていらっしゃることについてなのですから変なのですが 次はいつここに書いてくださるのかな?と思っていましたので、すぐに拝見してしまいました いつも貴重なお話を有難うございます!
よく、とても言いにくいことを言わなければならないような、緊張する場面で、言おうと思ってわだかまっていた気持ちから、いざ言う時になって知らない間に汗をかいていたり、足が震えてしまったり、涙声になってしまったりする時があります。自分でもコントロール不可のそのような状態は、緘黙の子が話そうとしてうまく行かない状況と似ているのかな?と感じ、重ね合わせてみたのですが、やはりそれはあくまでもそのときだけの事ですね ちゃんとやりたい、また出来るはずなのになぜか出来ないことへの、自分に対する苛立ち、わかってもらえないことへの不信感、恐れ、などの積み重なりが、心や体に大きくのしかかり、縛ってしまうこと・・またどうしても周りの人からどう捉えられているかということを考えてしまう重圧感とか、そういうものも、まわりから安易に想像するものとは程度が大きく違うのだと改めて考え、気付かせていただきました それが毎日、長い間積み重なった状況を、一回の経験と同じと考えたり、同じ経験の無い立場から発想するのとでは、全然違うということ 全くそのとおりですね (そんな解釈であってますか?) 安易に考えたことを申し訳なく思います 経験がなく想像力、共感能力の不足から、自分に起こったことからこうなのかも?と感じるのも、理解しようという心からですので能力の不足をどうぞお許し下さい
このご意見は子供の状況を理解していく為に、たいへん重要なことですね 漠然とわかっている気になっていても、はっきり把握していないことはあるものです(私だけかも・・?)
追記・・うちで、誰も場面緘黙のことがわかっていなかった頃、あるいはその原因を良くわかっていなかった頃は、子供は「学校拒否」で家にいるときでさえ暗い様子でいたものです。ところが、いろいろなことがわかって、全てはあなたのせいではない、わかってあげられなくて申し訳なかったこと、必要なことをしてあげらなかったことは大人の責任だったのだと話すと、しばらく呆然として涙ぐんでいましたが、その後すーっと柔らかくなるのが見ていてわかるほどでした。そのあとは肩の荷がおりたというか、そんな様子をしていましたっけ。それからはだんだんと体の力が抜け(緘動というほどではなくても、体まで何だかこわばっていました)、安心できる時間を好きなことをしながら過ごすなかで、自分に合ったもの、得意なものを見つけて自信を取り戻すにつれて、ほんの少しずつ伸びやかになり、今では色々な表現に大胆さが見られるほどになっています。積み重なっていた自責の念のようなもの(この表現で適切ですか?)の大きさは、本当に子供を押しつぶしてしまうほど強く心に影響しているのですね。それをほぐしていくことは、たいへん重要かつ不可欠なことであり、また時間のかかる難しいことであると感じます。かいわれさんのご指摘で、そのことを改めて思い、場面緘黙について考えるときに見逃すことの出来ない、とてつもなく(!)重要な認識であると感じました。 ある程度リラックスできたら、自発的な意志からチャレンジへと向かう強さを子供は持っている、と我が子を見ていて感じており、今の我が子に対しては、強く自分を持つことを励ますことがかえって必要と考えています。その子の状況に応じたリスクを伴う判断をしなければならず、その辺の微妙さは、本当に子供をよく見ていないとできないことですね。
長々と書いてしまい、ごめんなさい とても重要なことに気付かせてくださったかいわれさんに、深く感謝いたします
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かいわれ
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題名:
寂しいな~
投稿日時: 2007-03-02 18:56:25
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登録日時: 投稿記事数:
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みなさん こんばんは ちょっと聞いてください、昨日こんなことがあったんです。
私の受けているカウンセリングは職場の「復職プログラム」の一環で、精神科所属の臨床心理士に「ただ」でやってもらっています。 その様子は昨日の投稿でも少し書きましたが、実はその臨床心理士に会う前のできごとなんです。
約束の時間まで少し余裕があったため、自分のデスクのある事務所に寄りました。所属している県の医療ソーシャルワーカー協会の会報が来ているであろうから取りにいったんです。 そしたら、私のデスクに看護師らしい女性が座っているんです。まあ自分は休職してるんだから空いてる席に誰か座ってても不思議はないわけです。きっと病棟か外来の看護師が相談にでも来ているんだろうと思いつつ近寄ると、めあての会報を捜すため机の上をいじり始めました。 「研修なの」 例の仲良しおばさんの片割れ上司T(しょっちゅうイニシアルが変わってすいません)が私に声をかけました。見ると私の電子カルテ端末を二人でいじくっています。それを横目で見ながら、会報を探します。 『ここの机の持ち主ヨ(といったような会話があった模様、しかし私の耳には入らず)』 「ああー、すいません(本当に申し訳なさそうに)、勝手に使って……」とその看護師。 「いえいえ、いいんですよ」と私。でも実のところはちょっと面白くない。 「…………」T無言。 がさごそ……(私が机の上をあさる音) 「ハマちゃん!(隣に座っている後輩、彼だけ本名<?>で登場)、県協会の会報来てなかった?」と私。 「ああこれでしょ……(素っ気ない)」とTが私に会報の入った封筒を差し出す。 「ああこれだ」 封筒を受け取ると、Tと看護師はまた電子カルテに集中しだした。 私は、机の裏に押し込んであった体操服(昼のジョギングの時着るジャージ、洗わずに忘れて置いてあった)の袋を抱えると、そそくさと自分のデスクのある事務所をあとにしたのです。
不快感を覚えました。 ①勝手に人のデスクを使ってる(看護師の言葉どおり) ②看護師は私に自己紹介しない ③上司Tも私に看護師を紹介しない ④誰も「かいわれさん、調子どう?」といった問いかけをしてくれない
でもね、あとでいろいろ考えたんですよ……。 1)こちらも自己紹介しない 2)終始「面白くねえなオーラ」を発しちゃった 3)なので封筒渡してくれたTにお礼を言えなかった(後で考えると言いたかった) 4)相棒の看護師Hに、休んでて迷惑かけてごめんね、の一言が言えなかった
――といったようなことを自覚しました。 臨床心理士にも言われたんですよ、「人に何かを期待すると、それがかなわないときに『なんだよあいつ』って恨みに発展するから、期待しないほうが良い。自分から声かけなり、なにかしてあげるなりしなきゃ、よけいに人間関係のストレスで溜まりますよ……」と。
私の悪い行動パターンがまた出てしまいました。
でもね……、以前休職中に同じようなことがあった時は、電子メールで「使うけど良いかしら?」って確認してきたんですよ……。 それと、出勤しなくなってからほったらかしてあった机の上を整頓でもしようと行ったのに、看護師さんがどく様子もないから、目的を遂げられなかったんですよ。まあむこうにしてみりゃ『業務で使ってるんだから、休職中の奴はどいたどいた』って感じだったかもしれません。
今となっては、私は「そんなに職場で存在感がないんだ」ってわかってしまって、寂しい思いがしました。 <こういう内容の投稿はあまり読み返さないでおきます>
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かいわれ
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題名:
Re: もしかしたら私?そして・・超重要な再認識!
投稿日時: 2007-03-02 19:41:23
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登録日時:2013-10-18 04:45:31 投稿記事数: 367
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ルディさん いつもコメントありがとうございます
>いつも貴重なお話を有難うございます! いいえ、どういたしまして。
>まわりから安易に想像するものとは程度が大きく違うのだと改めて考え、気付かせていただきました さらに言えば「出口の見えないトンネルの中におり、けして引き返すことができないようなかんじ」と付け加えます。
>それが毎日、長い間積み重なった状況を、一回の経験と同じと考えたり、同じ経験の無い立場から発想するのとでは、全然違うということ 全くそのとおりですね (そんな解釈であってますか?) そういうことを申し上げたかったのです。噛み砕いていただき感謝します。
>安易に考えたことを申し訳なく思います そのように、場面緘黙症当事者に謝ってくださるのは、ルディさんが初めてかもしれません。
>経験がなく想像力、共感能力の不足から、自分に起こったことからこうなのかも?と感じるのも、理解しようという心からですので能力の不足をどうぞお許し下さい 「実体験」を伴わないものは、近い部分で共感することしか出来ないと思います。全然「能力の不足」などではありません。
追記の部分は、研究熱心でお子さん想いのルディさんの取り組みを、振り返っておいでのようですね。そのようなお母さんのもとに生まれた子どもさんは幸せですね。
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かいわれ
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題名:
私は“ぱしり”です
投稿日時: 2007-03-12 19:28:23
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登録日時:2013-10-18 04:45:31 投稿記事数: 367
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みなさんこんばんは
一人息子が先週の金曜日、中学を卒業しました。「パパも卒業式に行く」と言ったら、カミさんと息子に嫌がられました。 『「蛍の光」と「あおげばとおとし」を聞いたらパパはたぶん泣くだろう」と言ったのがいけなかったようです。 息子は私立の中高一貫校なので、公立に進んだ子以外で落第した子はいなかったんです。もっとも、入試の成績不振で春休みの間補習をうけるこ子は10人くらいいるようですが……。 そのため、卒業式>お別れ>名残惜しい、という感覚があまりないのです。 それで、カミさんが言うに「ほとんどの子が高校でも一緒になる、ここでパパが泣いていたりしたら、『かいわれんところはオヤジが泣いてやがったぜ』といじめられないとも限らない」っていうんです。 正直「?」でしたが、オヤジが醜態さらしているのを(うつなので、普通考えられないレベルで泣くんですヨ)見てもあまり良い気持ちはしなかろう、それは事実だとその意見に従うことにしたわけです。
というわけで今息子は1ケ月ほどの春休みの最中なのですが、いろいろと注文が多いのです。「文房具を買いたい」「ゲームソフトを売りたい「」本を買いたい」「塾に送っていけ」「昼飯作れ」「おやつが食いたい」とのことで、スーパー2軒、文房具問屋、本屋3軒、おもちゃ屋、塾、と2市2町をまたにかけて、息子を乗せての「おかかえ運転手」をさせられました(“おさんどん”もやってます)。 そうそう私の用事で時計屋と質流れ品屋も回りました。
おかげで今日はお昼寝はなし、12:30からの「エイリアス」も見られず録画し、自分の時間はほとんどありませんでした。
まるで私は“ぱしり”です。<“ぱしり”とは「つかいっ走りです>
まあ休職中だし、高校に入れば「もうおやじとは一緒に行かねえよ」なんて言い出すでしょう。そうでなければ困る……。 まああと半年、一年のことだからせいぜい「息子孝行」してやろう、と思い直しました。
今日は充実した一日だったと日記には書いておこう……。
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かいわれ
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題名:
新薬はすごい
投稿日時: 2007-03-22 07:01:38
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登録日時:2013-10-18 04:45:31 投稿記事数: 367
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みなさんこんにちは 先々週から、次のクスリが追加になりました。 エビリファイ(3mg)1錠 1× 朝 http://www.interq.or.jp/ox/dwm/se/se11/se1179045.html
飲んでみて、“すごい!”の一言です。なにがすごいのか…… ①朝ニワトリのように早く目が覚める これまでは、数時間お昼寝しても、平気で7~8時間寝られたのが、朝方4時ごろトイレに起きると「いっそ起きてしまおうか」という気にさせ、それでも再入眠しても6時前(目覚 ましは6時半)には「コケコッコー」と鳴きたくなるくらい“パキッ”と目が覚めます。 ②社交的になり、言葉のタイムリーヒット連発する たとえば、勉強会(かいわれ主催、対象は初任者)で、いつになく社交的になり、「調子の良いときのイチロー」のように、気の利いたセリフが続々出てきます。 ③引きこもり傾向から、脱却する 先週から休日のたびにバイクに乗り、あちこち走っています(基本的に交通法規は守っています)。
ここまでお読みになっておわかりですね。「かいわれは“そう(躁)”じゃないか?」って、そうだと思います(シャレではない)。
飲み始めてまもなく、カミさんの名前を連呼したり、ジャラジャラと体に障ったり、息子や愛犬(メスです)にもちょっかい出しに行ったり……。 もちろん、なにをしているか自覚はあるのですが、あたかも「ほろ酔い加減のご機嫌状態」の様相です。
その後、大分落ち着きまして、カミさんも悲鳴を上げることが無くなりました(「いい加減にしてよー、もおー」と)。
「すごい」と書いたのは良くも悪くもの意味です。小さいクスリ一錠で人間の精神状態がここまで変わるとは……、自分でも驚きです。
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かいわれ
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題名:
早起きもなんのこっちゃ
投稿日時: 2007-03-23 17:27:57
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登録日時:2013-10-18 04:45:31 投稿記事数: 367
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みなさんこんにちは
前回新たに追加されたクスリの話をしました。朝パッチリ目が覚めてとても良いことです。一方酔っ払ったように家族にしつこくする傾向については“体が慣れた”のかなりを潜めました。
さて今朝のことですが、朝方4時に目が覚め、尿意を覚えてトイレに行き小用を足しました。 いつもここからが眠れないのですが、再入眠できました。 ところが……、5時にまた目が覚めたのです。さて今度は眠れない ……。明らめてふとんから出てしまいました。自分の部屋でパソコンうったり本読んだりして過ごして、いつもの時間になったので妻を起こしました(うちのカミさんは“寝豚”です)。 飯食って新聞読んでたまでは良かったのですが、カミさんの出かける時間なって、“睡魔が襲って来た”のです。
カミさんが「まったくもう、しょうがないんだから……」と罵声を浴びせるのもどこ吹く風。たまらず寝てしまいました。
目が覚めたら10:30。2時間ほども寝てしまいました。
せっかく早起きしたのに……、また寝ちまったんじゃあ仕方ない。エビリファイとは、なんとも人騒がせなクスリです。このまま飲んでて良いんだろうか?
ちなみにエビリファイは「統合失調症」のクスリです。私の場合規格外使用で、うつの慢性症状による不安緊張の緩和を目的――といったふうに書き添える(実際にはもっと良い病名<症状名>を書いてるようです)と保険適応になるそうです。 ここまでクスリに反応する自分を見ると、本当に統合失調症なのではないか、などど思ってしまいます。
クスリは医師の指示のもとに正しく飲みたいものです。
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かいわれ
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題名:
昨日も絶好調
投稿日時: 2007-03-25 11:15:09
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登録日時:2013-10-18 04:45:31 投稿記事数: 367
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みなさんおはようございます
ここのところ皆さんのレスがなく「独り言」状態の投稿が続いていますが、やはりめげずに書き込みます。
昨日も、毎月恒例の同業者の研修に行ってきました。結論から言うと発言もたくさんでき、私にとっては有意義な3時間でした。 ただ、事例提供をしたT病院のKさん(彼女は私の主宰するグループスーパービジョンのバイジーです)にとっては、ご自分の人間関係のパーターンに直面化、そして意識化させられるという一寸つらい一幕もあって、それが私の発言によってもたらされた、というのが、あとになれば申し訳ない思いで悔やまれてしまうのでした。
感じることは再三書いているエビリファイという薬の効用です。 >気持ちの高ぶりや不安感をしずめるほか、停滞した心身の活動を改善する作用があります。(前々回お示ししたウエブサイト「おくすり110番」http://www.interq.or.jp/ox/dwm/se/se11/se1179045.htmlより抜粋)
なんとなく後半の「心身の活動を改善」というところは実感できます。 いつもの私ならば、言いたいと思っても、グッと押し殺してしまうことや、関心があるのにそうでないように装ってしまう傾向のあるところが、素直に適時表せる、という意味では頼りがいのあるものです。
一方、前にも書きましたが、カミさんに不必要に挑みかかってみたり、「体は疲れて眠りたいと思っているのに、無理やり意識を覚醒されているかのような感覚」もあり、効用の前半にある「気持ちの高ぶりや不安感をしずめ」の「高ぶりをしずめ」というところは、ある意味で反対の作用が出ているような感じは、正直拭えないことではあります。
ともあれ、「自分の主張したいことを、相手が不快になることがないように配慮しつつ、自分で満足できるように発言する」ということは、たいへん知的な欲求を満たし、自分の存在意義を取り戻させるに十分な行為であるということを再認識した次第です。
ちなみに、Kさんが「かいわれの追及を不快に思ったのではないか」という懸念についてですが…… 1)普段のグループスーパービジョンである程度気心が知れている。 2)問題の発言の前にいくつか受容的な言葉かけや気づきを促す穏やかな質問を投げかけていた
――という2点がありますので、取り越し苦労だと思っています。 でも気になるから、月曜日にフォローの電話をかけておこうっと。
なお、お断りしておきますが、この薬が現在場面緘黙症をもつお子さんや大人の方誰にでも効果が期待されるということでもありませんし、その服用をお勧め、あるいは処方をされることを皆さんの担当医師にうながすものではありませんので念のため。
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かいわれ
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題名:
こちらの主張
投稿日時: 2007-04-06 17:36:26
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登録日時:2013-10-18 04:45:31 投稿記事数: 367
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みなさんこんにちは
エビリファイの服用開始以降、人が変わったかいわれです。
週明けに息子が高校の入学式で、長かった春休み生活が終わります。これでまたしばらくは一人の休職生活が続きます。 昼メシに栄養あるものを食わせたり、本屋に行きたいと言えば車を出したり、と息子孝行の半月間でした。これが果たして本当の孝行なのか疑問ですし、本来いるはずのない親父が毎日家にいるというのは、息子のところに遊びにくる友達達にとっても異に映るようでした。
昨日定例カウンセリングに行ってきました。カウンセラーとは「専門家の仕事とはなにか」「ナース(事務員)と臨床心理士(ソーシャルワーカー)のアプローチの違いはなにか」などという話で盛り上がりました。
本来カウンセリングというのは、クライエントである私が多く話を語るものなのでしょうが、とくに昨日は私の促しもあり、カウンセラーのOさんが前述のようなテーマにそって、鼻息荒く持論をぶつというシーンが多くありました。彼はその都度「いやあ、私はしゃべりすぎです、かいわれさんとしてはそのへんはどうなんでしょうか」と話しすぎを自覚し反省しつつ、またかいわれに話をふってくるのでした。
私としては、「自分が想いを語ることもさることながら、相手が同じようなテーマで語っていく中で、相手が軽いカタルシス(満足感とでも言いましょうか)を得ることが出来たところで、その話を聞くことの影響をうけ自分の中でポイントが整理できたこちらの想いを言葉少なに語る、そういう作業をこなすことで、最終的にこちらもより高いカタルシスを得る」ということを、明確に意識化はされていませんでしたが、狙っていたフシがあってのことだったのです。
まあ、たまたまO臨床心理士とは専門家とはなんぞや、という辺りの価値観がより近しいものがあり――平たく言えば“気が合う”――話を共有し易かった、ということもありますが、こうして活字にしていく作業をとおしてより明確になったことは、「私の会話は、まず相手の話を極力聞くほうに回っている。聞いていく中で相手の準備が整うならばこちらの想いのたけを語って理解してもらう」ということです。 従って、相手の準備が整わないままの場合――相手が自分にとことん疑いの念を向けているとか、怒りが納まらないなどの場合は、こちらの話はしない――できないんです。 そのため、何年も誤解をうけたままになっていたり、「そんなことなら、なんであの時言ってくれなかったんだ」と言われることがままあります。 自分でも損な部分だとは思いますが、その時に「ガーン」と言って、長年の友達関係を解消してしまったことがあり、そのため、より用心深くなっているのだと思います。 もっとも、「絶交したそいつ」は初めからその程度の奴だったのかもしれません。こちらが本心をいわず聞いてればこちらを向くのに、いざ本音(このへんは、なにせHighly Sensitive Personですから敏感で的を射ています)をぶつけると途端に不快感を露わにする、相手の未熟さも露呈したのでしょう。
ただ、「真実を伝えるときは相手の受け入れられるような形を配慮」しなければいけません。
そうすると前述の私の方法論はあながち間違っていないのかもしれません。そう思いつつ、「いつも強迫的に同じ方法ではなく臨機応変にやるのが一番ヨ」という意見が聞こえてきそうです。実はこの辺り――柔軟性に欠ける、という辺りが私の一番のウィークポイントである、というのが結論かもしれません。
とりとめなくてすいません。読み返さず投稿してしまいます。
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かいわれ
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題名:
このスレッドにこだわるわけ
投稿日時: 2007-04-15 20:55:46
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登録日時:2013-10-18 04:45:31 投稿記事数: 367
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みなさん こんばんは このスレッド「後遺症がつらいんです」は私がたてたものですが、他のスレッドに投稿するにふさわしい内容でも、“わざわざ”こちらに載せているのには理由があります。
先日のぽんさんの投稿(朝日新聞「声」)に対する反響の大きさは皆さんご存知のとおりで、やはり、当事者が声をあげていかなければ“世の中には響いていかない”というふうに感じました。その前のけいこさんが呼びかけたNHKへの投書なども皆さんの一声一声が大きな力を含んでいるものと思われ、やがては番組として「場面緘黙症」が取り上げられる原動力となるものと私も信じております。 ぽんさんの話に戻れば、やはり全国紙に掲載されたことはとても意義あることで、SMJサイトにも、その記事を読んだ方の投稿がにわかに増え反響の大きさの一端を覗かせることとなりました。 その中には、元場面緘黙症当事者の方、当事者の親御さんからのもので、場面緘黙症を「克服した」「乗り越えた」というような内容が少なからずあったように感じました。投稿者の方が言っておられるように、そのような克服の顛末をお聞かせいただくことで、現に子どもさんが場面緘黙症で悩んでおられる親御さんにとって希望を見出していける生の声として何にも勝るものとなることでしょう。 このスレッドのタイトル「後遺症がつらいんです」は次のような理由で立てさせていただきました。
私が日々暮している中で「良きづらさ」を感じることがよくあり、「いったい俺はなんなんだ」と生きていたところ、偶然このSMJサイトに巡りあい、自分が何者なのかがわかったことで、その後の人生が大きく変わっていくことになったわけです。 日々自分が薄皮を剥ぐように変わっていくのですが、とはいえ、長年連れ添ってきた「生きづらさ」が一気に解消したわけではないのです。 依然として行きづらいんだけど、でも頑張って生きている。それを自分で毎日振り返りつつ、投稿している多くの方がそうであるように「誰かの役に立てば」と思い、できるだけ“洗いざらい”書いて読んでもらう。 中には「こいつまだこんなことで悩んでいやがる、その点自分は……」とご自分の回復具合に満足いただくネタにしていただくのもまた良かろう、という想いでいるのです。
今回私が改めて感じたのは、「場面緘黙症の症状とは十人十色で、進学などの環境変化をきかっけに難なく(もちろん本人や周りの努力は不可欠だったでしょうが)回復して、ここにでてきてくれる人と、私のように依然低いところで足踏みしている、だけど出たがりでここに投稿する人、そして、完全にあるいは一部分は回復したものの、もう場面緘黙症の世界には触れたくないとこのSMJのサイトとは無縁に生活している人、大きく3つに分けられる」のではないかということです。 もちろんさらに細かく分類することも可能でしょうが……。
私は、自分でたてたこのスレッドに半ば“しがみつきながら”生きています。そういう意味では管理人の富重さんには感謝をささげたいと思います。いつも好きなことを好きなように投稿しても、文句一つおっしゃらない……。
今後も場面緘黙症が市民権を得て、現在症状の渦中にある子どもさんへの対処が社会的に充実したものになるよう、私なりの方法で今後も訴えていきたいと考えています。
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かいわれ
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題名:
認知の歪み
投稿日時: 2007-04-22 20:57:45
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登録日時:2013-10-18 04:45:31 投稿記事数: 367
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みなさんこんばんは 今日は『認知の歪み(ゆがみ)』について書きます。
認知療法では、自分の中にある「物事の受け取り方のクセ」に気づき、それが歪んでいる場合には正していく、という作業を行います。
ところが、まず気づくのが容易ではありません。
例をあげましょう。 残業の多い職場では定時で帰る人の方が「変な人」と見なされます。銀行員さんの給料が多いから、もっと顧客に還元(預金金利をあげろ)しろ、という議論が少し前にありました。聞く話ではその日の計算が1円合わないだけで、担当全てが居残って計算をやり直すそうで、残業代のことを考えたら懐から1円玉をだして帳尻を合わせりゃあ良いのに、と思わせますが、そうもいかないようです。かように銀行員さんの残業は日常のできごとです。
労働衛生の基本から見れば就業時間があって、そこから大きく逸脱する残業は「不健康」と見なされます。 このような場合、残業が恒常的になっている――なんとも思っていないという事実が「認知の歪み」であるわけですが、歪みを正して残業を辞めましょうということにはなりません。ことはそれほど単純ではありません。
私の職場も定時帰宅はまれであり、隣に座っている後輩のH君くらいしか帰りません。まして公務員ですので、「住民のために奉仕する」という大義名分のもと、遅くまで仕事をしていることが美化されるということもあります。
広い意味の「認知の歪み」は、日常の生活を見ても挙げていけば枚挙にいとまがありません。 「女は子どもを生む機械だ」と発言した厚生労働大臣もそうとうに歪んでいます。がんこで客を客とも思わずに「そんなに醤油をつけるんじゃあねえ」と客を叱るすし屋の大将も然りです。
結局、①自分が楽しく楽に生きる、②あわよくば他人とうまくやっていく、という事の障害になっている時、その歪みを正した方が良いということになるようです。
すし屋の大将は客足さえ途絶えなければ、かえって「名物おやじ」と呼ばれ幸せかもしれません。
私は職場の中間管理職Tが苦手です。以前は冗談を言い合った仲なのですが、私が休職中に豹変しました。今では彼女と話すときには緊張し言葉が出にくくなり言いたいことが伝えられません。優しい言葉など掛けてくれようもなく、それでいて「あれはするな、これはいけない」ということだけはズケズケと言ってきます。そんな彼女を私は疎ましく思っています。 Tとの関係も…… 1)豹変したのではなく、そういう一面が見えてなかっただけ、 2)ソーシャルワーカーたるものたとえ同僚でも「優しい言葉をかけてくる」ものだ、と私が思い込んでいる、 3)中間管理職なのだから、課員の過ちは正すのが彼女の役割である、
――といった風に見方を変えると、なんでもないことであり、受け取り方――認知の歪みを正せば、途端に自分が楽になる、ということになります。
もっとも、「うつ」ゆえに普段は全うに受け止められることが、どうしても悪く取ってしまいがちになる、ということはあります。 ただし私にとっての抑うつ症状と認知の歪みというのは「表裏一体」の部分があるようですので、自分で気づくことの出来た「歪み」を少しずつ修正していくことが回復の一助になっていくようです。 認知の歪みに気づくには、自分ひとりの作業では限界があります。そこでカウンセラーの助けを借りる、ということになるわけです。私も例外ではなく、これまでもお伝えしているとおり、カウンセラーの世話になっているのです。
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