フルプレイ動画part12「最後の戦い、エンディング」 動画(15分31秒) ←part11 ↑目次 →おまけ1 ※ 再生後、動画の下段に設定ボタン(歯車)が表示される場合、画質などを調整できます。最高720pの高画質で見ることができます。 ←part11 ↑目次 →おまけ1 コメント 緘黙を誤解する人 場面緘黙症を、壮大に誤解するブラックサタン。 「作者の意図について」でも書きましたが、 私はこのキャラを描くことを通じて、緘黙を誤解している人を悪者にしたり、揶揄したりする意図はありません (どう見ても悪者っぽい演出ですが……)。 また、誤解している人を力でねじ伏せればよいと訴えているつもりもありません。 ブラックサタンとは何者か それにしても、ブラックサタンはなぜ緘黙に関わる人を、あそこまで執拗に敵視するのでしょうか。 「甘え」などと誤解する人はたくさんいるでしょうが、だからといって、あそこまでのことをする人は普通いません。 ですが、その説得力ある説明は、ゲームの中でなされていません。 これは作者の力不足です。 私が漠然と考えていたブラックサタンのイメージは、考え方がちょっと古風で、 メンタルヘルスの問題が理解できなかったり、最近の若者は根性が無くてけしからんという意識を強く持っていたりする人です。 その一方、ブラックサタンは案外、緘黙を独力で克服した経験者の可能性もあるとも思います。 こうした経験者の一部が、緘黙の悩みを吐露したり、理解を訴えたりする当事者に対して、厳しい発言をする場面を目にしたことがあります。 自分は大変な努力をして緘黙を克服した、なのにこいつらは……ということなのでしょう。 こうした人たちに、理解を訴えることによって考え直してもらうのは、簡単なことではないのではないかと思います。 親離れはまだ早い part10 でもお話したように、緘黙児が母親の救出に向かうというストーリーは、親離れを一つのヒントに組み立てました。 ですが、小学4年生に親離れは早いです。 このため、あのようなオチにしました。 緘黙のストーリーのエンディングは? マイナスを転じてプラスとする、というのが、フィクションのストーリーの一つのパターンのように思います。 緘黙児者が登場するフィクションを作った場合、このパターンで単純に考えると、 話せない緘黙児者が話せるようになって、めでたしめでたしというストーリーになりそうです。 ですが、本当にそれでよいのでしょうか。 例えば、緘黙にまでなってしまうと、話せるようにはなかなかなりません。 そこに至る過程を時間をかけて丁寧に描くならともかく、 簡単に話せるようになってお終いとしてしまっては、緘黙を治すことの困難さを描ききれません。 また、話せるようになっても、今度はいわゆる後遺症がつきまとうこともあります。 このゲームでは私なりの一つの答えを示しました。 ただ、最後までストーリーを作るのを投げ出してしまい、あのようなエンディングになった一面もあります。 最後のぶにゅう先生の一連の台詞には、少年漫画の連載打ち切りの決まり文句みたいなものも含まれています。 あれは、「ストーリーを途中で打ち切ってしまった」という作者のメッセージです……。 エンディングテーマ情報 エンディングテーマ「Feels happiness」 唄:火ノ岡レイ様 作詞:響古様 作曲:KOUICHI様 ※ かつては、歌い手も響古様ということになっていました。 魔王魂様の、歌もの素材です。この曲も人気があります。フルコーラス聴くと分かりますが、本当は結婚式の歌ではないかと思います。 ◇ YouTube「魔王魂 Feels happiness」で検索 (新しいウィンドウで開く) ※ 画像は、オープニングより。 当事者視点を意識 緘黙RPGは、私自身が学校で話せなかった経験、これまで国内外の文献で学んだこと、そして緘黙に対する考え、思いをたくさん詰め込んだゲームです。 それだけ思い入れがあるのですが、特に思い入れが強い点を一つ挙げると、当事者視点を意識したストーリーを描いたことです。 緘黙を描いた代表的なフィクションの一つに『放課後カルテ』第36話~第40話がありますが(単行本第8巻~第9巻収録)、 これは読者層を反映してか、どちらからと言えば母親視点を感じる話でした。 私は当事者側の人間なので、当事者視点で描こうと考えたわけです (もっとも、『放課後カルテ』と張り合えるとまでは、さすがに考えてはいませんが……)。 特に part9 の、緘黙を3年以上放置されたことに対する緘黙児の心情についての場面は、 当事者視点を意識したからこそ描けたのではないかという思いはあります。 ただ、子どもの視点を強く意識するあまり、 母親がやたらガミガミ怒鳴る上、時々子どもに理不尽なことを言うキャラになってしまいました。 また、母親の思いについては掘り下げ不足になってしまいました。 緘黙児の最大の理解者を、親でも教師でもなく、同級生の友達としたことも、当事者視点を意識したからこそできたことではないかと思います。 緘黙というと、専門家や教師、親が理解してどう支援するかという話題が多いですが、これは全て大人視点の話です。 こうした話に登場しない同級生こそ、緘黙児にとっては重要な存在ではないかと思います。 おまけ動画 長いシリーズでしたが、ここまでご覧くださり、ありがとうございました。 ただ、実際のゲームには、これまでの動画には登場しないイベントもあります。 その一部をご紹介するための、おまけ動画を公開できないかと考えているところです。 またご覧になってくだされば嬉しいです。 ※ 最後に、訂正。 エンディングで、制作ツールが Wolf RPG エディター2.10 とありますが、これは2.21の誤りです。 失礼致しました。 ←part11 ↑目次 →おまけ1
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緘黙を誤解する人
場面緘黙症を、壮大に誤解するブラックサタン。 「作者の意図について」でも書きましたが、 私はこのキャラを描くことを通じて、緘黙を誤解している人を悪者にしたり、揶揄したりする意図はありません (どう見ても悪者っぽい演出ですが……)。 また、誤解している人を力でねじ伏せればよいと訴えているつもりもありません。
ブラックサタンとは何者か
それにしても、ブラックサタンはなぜ緘黙に関わる人を、あそこまで執拗に敵視するのでしょうか。 「甘え」などと誤解する人はたくさんいるでしょうが、だからといって、あそこまでのことをする人は普通いません。 ですが、その説得力ある説明は、ゲームの中でなされていません。 これは作者の力不足です。
私が漠然と考えていたブラックサタンのイメージは、考え方がちょっと古風で、 メンタルヘルスの問題が理解できなかったり、最近の若者は根性が無くてけしからんという意識を強く持っていたりする人です。
その一方、ブラックサタンは案外、緘黙を独力で克服した経験者の可能性もあるとも思います。 こうした経験者の一部が、緘黙の悩みを吐露したり、理解を訴えたりする当事者に対して、厳しい発言をする場面を目にしたことがあります。 自分は大変な努力をして緘黙を克服した、なのにこいつらは……ということなのでしょう。
こうした人たちに、理解を訴えることによって考え直してもらうのは、簡単なことではないのではないかと思います。
親離れはまだ早い
part10 でもお話したように、緘黙児が母親の救出に向かうというストーリーは、親離れを一つのヒントに組み立てました。 ですが、小学4年生に親離れは早いです。 このため、あのようなオチにしました。
緘黙のストーリーのエンディングは?
マイナスを転じてプラスとする、というのが、フィクションのストーリーの一つのパターンのように思います。
緘黙児者が登場するフィクションを作った場合、このパターンで単純に考えると、 話せない緘黙児者が話せるようになって、めでたしめでたしというストーリーになりそうです。 ですが、本当にそれでよいのでしょうか。
例えば、緘黙にまでなってしまうと、話せるようにはなかなかなりません。 そこに至る過程を時間をかけて丁寧に描くならともかく、 簡単に話せるようになってお終いとしてしまっては、緘黙を治すことの困難さを描ききれません。 また、話せるようになっても、今度はいわゆる後遺症がつきまとうこともあります。
このゲームでは私なりの一つの答えを示しました。 ただ、最後までストーリーを作るのを投げ出してしまい、あのようなエンディングになった一面もあります。 最後のぶにゅう先生の一連の台詞には、少年漫画の連載打ち切りの決まり文句みたいなものも含まれています。 あれは、「ストーリーを途中で打ち切ってしまった」という作者のメッセージです……。
エンディングテーマ情報
エンディングテーマ「Feels happiness」 唄:火ノ岡レイ様 作詞:響古様 作曲:KOUICHI様
※ かつては、歌い手も響古様ということになっていました。
魔王魂様の、歌もの素材です。この曲も人気があります。フルコーラス聴くと分かりますが、本当は結婚式の歌ではないかと思います。
◇ YouTube「魔王魂 Feels happiness」で検索 (新しいウィンドウで開く)
※ 画像は、オープニングより。
当事者視点を意識
緘黙RPGは、私自身が学校で話せなかった経験、これまで国内外の文献で学んだこと、そして緘黙に対する考え、思いをたくさん詰め込んだゲームです。
それだけ思い入れがあるのですが、特に思い入れが強い点を一つ挙げると、当事者視点を意識したストーリーを描いたことです。 緘黙を描いた代表的なフィクションの一つに『放課後カルテ』第36話~第40話がありますが(単行本第8巻~第9巻収録)、 これは読者層を反映してか、どちらからと言えば母親視点を感じる話でした。 私は当事者側の人間なので、当事者視点で描こうと考えたわけです (もっとも、『放課後カルテ』と張り合えるとまでは、さすがに考えてはいませんが……)。
特に part9 の、緘黙を3年以上放置されたことに対する緘黙児の心情についての場面は、 当事者視点を意識したからこそ描けたのではないかという思いはあります。 ただ、子どもの視点を強く意識するあまり、 母親がやたらガミガミ怒鳴る上、時々子どもに理不尽なことを言うキャラになってしまいました。 また、母親の思いについては掘り下げ不足になってしまいました。
緘黙児の最大の理解者を、親でも教師でもなく、同級生の友達としたことも、当事者視点を意識したからこそできたことではないかと思います。 緘黙というと、専門家や教師、親が理解してどう支援するかという話題が多いですが、これは全て大人視点の話です。 こうした話に登場しない同級生こそ、緘黙児にとっては重要な存在ではないかと思います。
おまけ動画
長いシリーズでしたが、ここまでご覧くださり、ありがとうございました。 ただ、実際のゲームには、これまでの動画には登場しないイベントもあります。 その一部をご紹介するための、おまけ動画を公開できないかと考えているところです。 またご覧になってくだされば嬉しいです。
※ 最後に、訂正。 エンディングで、制作ツールが Wolf RPG エディター2.10 とありますが、これは2.21の誤りです。 失礼致しました。